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「慰安婦」問題から教示を得る

■大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか―メディア・NGO・政府の功罪』(中公新書、2007年)。

 1990年代以降、「歴史認識」をめぐる大きな争点であった「慰安婦」問題。本書は、「慰安婦」救済を目的に設立された「アジア女性基金」に関わった、当事者による回顧録―「達成」と「失敗」の記録―的色彩を帯びている。
 本書で著者は、従来の政府、官僚主導によっては対処が困難な社会問題、政治問題の解決に果たすメディア、NGOといった新しい「公共性の担い手」の意義を強調している。著者によれば「「慰安婦」問題は、こうしたメディアとNGOの公共的機能が典型的に発揮されたケースだった。「慰安婦」問題は典型的な人権、しかも女性の尊厳にかかわる問題であり、同時に日本国民の「歴史認識」を問う問題だったからである」(ⅴ頁)。

 本書には、左右両側からたたかれた当事者ならではの視点が貫かれている。例えば、それは、単なる政府=悪玉論に陥り、煽動的で独善的になりやすいメディアやNGOの問題をも言及している点である。
 数ある戦後責任の中で、何を優先すべきか・急を要するか、そして硬直的な政府・官僚に対して、現実的に被害者へのどのような償いの仕方がありうるのか。本書を読むと著者のそのような苦悩が見えてくる。かくしてその苦悩は、「アジア女性基金」というかたちで具体化されたが、それはまもなくメディアやNGOなどから批判されることになる(国家補償論的観点から)。「『慰安婦』問題は、すでに被害者個々人の救済、個々の元『慰安婦』への償いというより、歴史認識、ナショナリズム、フェミニズムをめぐる政治的・感情的な争いへと転化してしまっていたのである」(26頁)。 
 多様である個々の被害者の要求から離れ、「過剰な倫理主義」(89頁)的発想のもと、非現実的なタテマエ論に終始したメディアやNGO(日本だけでなく、被害国-韓国のそれをも含む)の姿勢を、著者はリアリズムを欠いたものとして疑問視する。

「政権内のぎりぎりの折衝や、日本が遂行した一五年戦争の侵略性を認めようとしない自民党多数派の歴史観の根深さ、「慰安婦」問題で謝罪することへの反発の強さは、一般の市民には見えない。多くのNGOや学者にもほとんど見えない。こうして、国家補償派の学者やNGOは、『もうすこし時間があれば』といった希望的観測にもとづく批判を基金に浴びせ、実現の見込みのない目的を掲げて突き進んだのである。」(112頁)

「『慰安婦』問題にかかわった多くの支援団体、NGO、弁護士、学者、ジャーナリストは、みずからが政治闘争の主体であり、〈みずからの言動は結果責任を問われる-傍点〉という自覚をどれだけもていたのだろうか。そうした自覚とリアリズムを欠いたまま、裁判闘争やメディアの圧力、国連などを利用した外圧によってみずからの主張を実現できると考え、被害者たちにそう助言してきたのではないか。こうした希望的観測のもとに被害者を引っ張ってきた支援団体や弁護団は、結果に対する責任を負うべき主体として、将来の予測と政治闘争の方針の立て方において大きな過ちを犯したのではなかろうか。」(155頁)

 著者にいわせれば、「国家補償」とは、実はどれをとっても完全な償いはあり得ない多様な「償い」(償いきれない償い)のなかで、相対的には「基金による償い」よりはましな、しかし実現可能性のきわめて乏しい、ひとつの償いのあり方だった。「にもかかわらず、多くの学者やNGO、メディアの担い手は、あたかも国家補償だけが唯一無二の被害者の意思であり、それが実現しなければ「慰安婦」問題の解決はあり得ないという言い方をした。そうした主張は、法的責任と道義的責任の関係、政治的力関係や司法府のあり方、メディアや運動体の力に関する冷静な認識と評価を欠いた、ある種の思い込みだったのではないか。それは、多くの被害者に裁判と特別立法による解決への期待を最後まで抱かせ、最後の最後になってその期待を裏切ってしまうという、取り返しのつかない結果をもたらしたのではなかったか」(207頁)。
 元「慰安婦」の女性たちを支援するはずが、彼女らの多様な償いへの要求を無視し、狭量で独善的な「正義」を言い募ることに終始して、結果的に被害者の救済へとつなげることができなかった(できていない)NGO、メディアの姿勢はたしかに反省すべき点を含んでいるのかもしれない。

         ◇

 「慰安婦」問題に限らず、ある運動や政策を「失敗」とみなすとき、何をもってそうみなすのか、「失敗」だというならほかにどのような解決方法がありえたのか、そのような評価のための自覚化された視座と基準が必要である(これから行われる政策への批判なら、必要な資源、手段、実現可能性など実際的な側面への厳醒な考察が必要となる)。教育学の世界にいると、とくにそう強く感じる。学者たちから、さも簡単に「~の失敗」といったを言葉を聞くようなら、どのような観点からそのように評価するのかその理由を、また、「過度の倫理主義」による抽象的・独善的な議論に陥っていないかどうかを、厳しく問いつめていかなければならない。本書から、そのような意味での教示を得た。

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