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一日稽古会

 昨土曜日は、仙台錬武会の一日稽古会の日。昨年に続いて、二回目である(事務局長殿ご苦労)。
雨の中、ずぶ濡れになりながらバイクで会場に向かう(わが辞書に「電車」という文字はない。嘘)。
 参加者の顔ぶれをみると、若い人(10代、20代)が多い。もともと若手が多数を占める、宮城県では珍しい会だが、今回の稽古会も若手で占められた。自分が年長者に入ってしまう。
 稽古は10時前から16時過ぎまで。みっちり稽古して、HEROHEROになってきた。
 皆の稽古ぶりも真剣そのもの(でも、休み時間にまで学校の勉強をするのはやりすぎです)。
 「わざ」は、身体から切り離して存在することはできない。学校で学ぶ(科学的)知識のように抽象的な「言語」や「記号」としてはありえない。言語化できたとしても、それは「わざに関する知識」であって、「わざ」自体ではない。
 個々の身体を通してのみ具現する、普遍化・一般化が困難なもの、それが「わざ」の特徴である。だから、「わざ」の習得は、師匠の言葉に耳を傾けつつも、それだけではなしえない。「わざ」を学ぶ者が、自らの身体に主体的に働きかける作業を通して、はじめて達成できる。
 だから、皆真剣である。自分の身体との内なる対話を通さないと、それは習得できないのだから。五体を使って多様な対話を試み、非日常的な身体感覚を高めていく。その繰り返しを通して、いつしか身体が「あまってくる」ようになり、さらにその「わざ」の意味にまで思考を深めていくことができるのだろう。
 自分はもうそろそろ、その深みに入っていかなければければならないのだが、まだまだ思考が浅いようだ。「『信夫』(=夜の敵)では、暗闇の中でなぜ相手が敵だとわかるのか」との師匠の問いかけは、今まで自問したことがないものだった。まだまだ形だけの居合であり、敵対行為としての武術にまでは至っていない。これからも幾度となく、そのような事態に陥るのだろう。
 その世界の深さに想いを馳せつつ、行きと同じように、ずぶ濡れになりながら自宅に帰るのでありました。とほほー。

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