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金が出せないなら口も出さないでくれ

「財政審:教員の定数増を求める文科省に批判的意見が相次ぐ」『毎日jp』2007年10月12日。

「教育に対する日本の『公的支出』は高い?低い?」『Benesse教育情報サイト 教育ニュース』2007年10月12日。

 教育予算の増減をめぐって文部科学省と財務省との駆け引きが今後予想される――そんなニュースが今朝のテレビでも流れていた。財政審の姿勢については、すでに前から分かっていたことだから、今さら何も感じることはない(彼らがどの程度、教育現状について正確な事実認識を持っているのかは不明であるが。予算をめぐっては、例えば、「輝ける『団塊』に暗澹たる『教員大量退職時代』」2005年11月10日で指摘した問題が挙げられる)。
 そもそも最近の教育改革は、基本的に「行政改革の一環」としての教育改革、外在的な理由に基づくものなのであって、教育内在的な理由に基づいた議論によっては動いていないのである。従来の各種審議会はほとんど中教審へと一元化され、その結果として、教育改革論の劣化が目に余る事態に陥っていることは、すでに方々から指摘されていることではないか。教育再生会議のように俗悪な議論がまかり通ってしまうとすれば、さすがに国民総脱力してしまうというものだ。昨年暮れ、寺脇研さんが本学研究科にいらして講演したとき、今の若手文部科学官僚はほとんど志気を失っている旨のことを話されたのを思い出す。今ほんとうに求められているのは、「教育改革論の改革」(=我々大人が教育をみる「まなざし」の高度化)なのである。ポピュリズムが蔓延する状況下でいくら教育改革をしても、よい結果を得られるはずがない。とかく、「教育再生」(このネーミング自体に俗悪さを感じる)を唱える論者たちは市場原理を教育に導入したがるが、他国における市場原理主義の帰結がどれほど惨憺たるものになったか。「教育再生」論者たちは、単なる好みや信条の発露にとどまらず、そのことにもう少しは配慮してもいいのではないか。
 もちろん、財政的見地からすれば予算の増額はできるだけしたくないのが本音だろうし、教育内部での改善の余地もまだまだあろう。その点にはある程度共感できる。だが、「教育改革」が本音として教育内在的な理由には根ざしていないのだから、そのことに少しでも自覚的であるならば、異論者に発言機会も与えないほど大きな声で持説をがなり立てることだけは避けてもらいたい。それが私の「教育改革」論者への要望である。
 これまでの「教育改革」論はあまりに欲張りすぎだった。「金は出さないが口は出す」レベルの、現場からすればたまらないものであった。「金が出せないから口も極力出さない」(だから、学習指導要領による縛りも極力避けるというのが、「ゆとり教育」の本旨だったと私は思っているが)。せめてそれぐらい自重もしくは苦悩が透けてみえる教育改革論の展開を見たい。

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