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「自己責任」としての教員免許更新制

 年の瀬というのに、教育には暗い話ばかりが続く。
 一年前の教育基本法改悪にはじまる安倍晋三の行った愚行に、教育は翻弄され続けている(本人は性懲りもなく、最近またテレビに出演していた。その言い訳がましさは「男子の本懐」に悖る)。

 教員免許更新制という愚策をめぐっては、すでに所見を述べてきた。
その後もまったくもって、こんな無謀なことができるのかという疑念が解消されない。
 大学の中にいると、更新講習実施に向けた調査の動向が耳に入ってくる。
それを聞くと、この制度実施をめぐる混乱ぶりがよく伝わってくる。
膨大な教員人口に対処するために、大学が翻弄されることは必至である。
更新のためにやらなければならない作業が膨大なものになる(講習:1人あたり30時間、試験、評価報告書…)。
一年を通して、大学教員の休む暇というものがなくなる。だって、更新講習は長期休暇期間にやらざるを得ないのだから。
大学は、国の政策の外注を請け負うことになるわけである(国はそれを外側から監視する)。
果たして、本来の〈研究〉から切り離されて、そんな実務に振り回されていいのだろうか。
大学の意義がわからなくなってくる。
 しかも、更新講習は、教員の自己負担である(30000円程度)。
国がめざす教員の質保証が、教員の「自己責任」でまかなわれる――端的に言って、国の責任の放棄ではないか。
結局、国は、さんざん「教育再生」を喧伝しておきながら、することといえば、個人を「不安」にさらし、「監視」をするだけでしかないのである。
 もし、この制度をプラスに評価するとすれば、それは(教員養成系)大学にとって、新たなドル箱産業になるという意味でしかない(教員の過労と引き換えに)。

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コメント

 はじめまして。tyuuri@札幌と言います。

 「教員免許更新制」からこちらのブログにたどり着きました。

 受ける側からも、先生の発言には大変共感します。

 今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: tyuuri@札幌 | 2008/01/09 18:32

>tyuuri@札幌さま

 コメントありがとうございます。
当ブログが、現実をみるための何か有益な視点を提供できれば幸いです(もっともつれづれ日記的な場末のブログですが)。
そちらのブログもぜひ拝見させていただきます。
現場の生の声をぜひお聞かせください。

投稿: タカキ | 2008/01/11 12:08

 タカキさん、こんばんは。

 お返事、ありがとうございました。

 職場では、このような話題が出ることは滅多にありません。
(と言うか、そんな暇が無いです。)
 組合の分会会議で、執行部からの報告があることがありますが、まだ全貌が明らかでないので、自分で資料を見つけないと、進行しつつある現実が見えません。

 世論も反対の方向に全く向かわないのは、過去に喧伝された「不適格教師排除」の論理に肯定的だからなのでしょう。毎日のように「教師の不祥事」が報道されている昨今ですから。
(幼・小・中・高で全国100万人いるんですから、年に100人逮捕されても0.01%ですわね。残りの99.99%は多分まじめにやっていると思うんですが・・各職域毎に一度統計を出してもらいたいものです。)

 また、実施される「教員免許更新制」の制度導入の目的が「最新の知識技能の修得」とされていることさえ、ほとんどの国民が知らないでしょう。
 「なんか、最初の話と違うんでは?」「そんなことは、自己研修か官制研修で出来ることではないか?」「10年に1回30時間の受講で何が最新なのか?」と、気が付いてくれる方が増えれば、税金の無駄遣いを納得されるものと思われますが。

 話がちょっとそれますが、先生のお書きになった、昨年実施の「全国学力調査」の結果についての感想ですが、「全国で最高と最低の差が5%程度しかない。これは学力格差が全国で生じていないことを実証している」旨の記述。全く同感です。
 わたしは、大学で数理統計学を専攻しましたが、この程度の差は、誤差でしかありません。つまり順位を付けること自体無意味です。
 むしろ、わたしは、全国の小・中の同僚が、どんなにか頑張っていることを実証した結果として、誇りすら感じました。
 77億円かけて実施した結果に対して、文部科学省は、日本の教員を、ビタ1つほめることもしない。
 人間、金や贈り物がなくとも、ほめられたり、感謝されただけで、その方に尽くそうとするものです。教員が、時間外手当がない中で、生活指導や部活にとりくむのも、全くこの理由からだけです。マ、役人は、人の扱い方を知らないと言うことでしょうか。

 わたしのブログをご覧いただけるとのこと。ありがとうございます。
 一中学教員の記述ゆえ、考察が足りない点・間違いがあったら、ご指摘下さい。
 また、先生の論調の主旨を真似してしまう場合もあるかもしれません。あまりにもひどいと思われた場合は、ご指摘下さい。

 それでは、また。

投稿: tyuuri@札幌 | 2008/01/11 17:37

>tyuuri@札幌さま
 「先生」はやめてください。学生に指導しているような身分ではない「研究員(任期制)」といったところですので。
 ポピュリズムに対抗して、「専門職」としての教員の声を生かした「教育世論」をどのようにつくり上げていけるのか。それは一つの大きな課題ですね。
 メディア、ガバナンス―鍵はいったいどこにあるのか、突き詰めていきたいと思います(教育という視点だけで解決できる問題ではないのですが)。

投稿: タカキ | 2008/01/14 23:32

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