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研究=自分の生き方の反映

 週末は科研の教育会研究会。下準備を手伝ってくださったすだっち、サコさん、ばっしーさん、ありがとうございました。助かりました(なんだかんだで、一人ではけっこう準備・気配りが大変ですね)。
 さて、研究会だが、新春から熱い議論が交わされて、いろいろと感じるものがあった。
 研究会に参加していつも思うのは、〈教育(学)〉という枠組みを大きく越えて議論がなされている、ということ。
ある教育の歴史的事実を捉えるためには〈教育(学)〉の発想だけではダメで、隣接領域(日本史、政治学、経済学、行政学、社会学、哲学etc.)の視点もふまえないと史実を鮮やかに切れるメスは持てない―、そう言われているような気がする。でも、それが難しい。いろいろな他分野の知識や流れてくる情報を自在に摂取できる“襞”が自分の体にあればなぁと思う。
もっとも、それは結局、それら知識や情報を自分の生き方に関わるものとして身につまされて受け止められるかという問題であり、“襞”というのは世界と関わっていく「主体」としてのあり方・思想のことなのだろう(そこが史料を血読できるかどうかの分かれ目なんだと)。 
 
 さて、研究会の内容から受け止めた事をいくつかメモ書きすると、
・〈教育会〉という発想が一体どこから来たのかという問題提起(近世からの連続性、海外からの視点)
・〈教育会〉をめぐる情報がどのように取捨選択されたか、政策担当者(森・田中・澤柳)の思想を同時代的な視点から把握する意義
・教育会の初期の形態の中に教育“自治”への可能性をみることができるか
・学校規模の拡大傾向との関係で教育会を検討していくことができるか
・教育世論の形成と権威化と事実化にかかわる教育会の歴史的位相の検討(「労働組合法に戦前の権威主義体制からの解放の手段を見出した教員社会は、生活権を中心とする労働者意識の形成と教育問題の専門的検討による教育の権威化の創出という二つの側面を統一的に展開しえたのであろうか」)。
・戦後、教育会の解散・存続をめぐる問題(戦後も存続した信濃教育会、栃木連合教育会の事例)
・北海道の独自性(府県とは異なる地域性-「開拓と連動した教育」)への視点
、などなど。
盛りだくさんだったけど、どれも重要な視点である。

 それと今回もすごかったのが“夜の部”で、「象牙の塔」内部の混乱をめぐる先生方の情報・体験談は、(私の研究生活にも結びついた、容易に身につまされるものであるため、いやそうでなくとも)あまりに鮮烈である(C先生の「ファイル2,3冊」発言には吹いた)。
大学(院)教育改革といいながら、グランドデザインもくそもあったものではない。
改革云々言う前に、まずそれを謳う側が、自己の「主体」としてのあり方・生き方=自己認識を見つめ直さなければ。
うん、なんか前半の話とつながった気がする。
これからの研究生活への「自戒」として留めておこう(笑い)。

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