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スクールとホーム

 前回、「学園(スクール)ドラマ」の隆盛と、その背景(=「学校化」)について思うところを書いた。
 それと並んでもう一つ、テレビからうかがえる最近のおもしろい傾向として言えるのは、J-POPで、"HOME"や"おかえり"、“帰りたくなったよ”など縁(よすが)や結びつきの表象としての〈ホーム〉(=家庭、ふるさと)を連想する曲が目立つこと。

 これを〈スクール〉と関連させると、次のようなことが言えるのではないか。
 学校や学級という組織は、伝統的な共同体結合原理から離床して実現した疎外的な空間であり、そこで、本来多面的・全体的存在である青少年は、学習活動をすることのみに自己の活動を限定される。それぞれいくつもの領域に分けられ、パッケージ化された知識を伝達され、学力への習熟をくり返し要求される。子どもたちは一面的な生活と、その組織のリズム(=規律)に一方的に自分を合わせることを強要される。
 しかも、学校・学級は、自らの需要を生み出す働きかけを、競争の創出とそれによる学習意欲の喚起というかたちで展開する。
 同一年齢、同一教師、同一空間といったすべての要素が同一化される条件下で、子どもたちはたえず規律と競争へと駆り立てられることになる。厳格な規律と競争的な人間関係のなかで疎外状況が放置されれば、青少年はバランス回復の衝動に駆られ、学校への否定的感情、教師への敵対感情、生徒間の軋轢を増幅させ、ときにその状況からの離脱を図ろうとする。
 突如、強制的に規律的な空間へと組み込まれ、教師の権威に服従することを求められる。そのような人為性に子どもたちが簡単に同化するほうが難しい。
 だが、公的世界へのイニシエーションとして、そのような厳しい環境を尊重する傾向は依然としてある。むしろ、学校に競争や規律を求める風潮は、いっそう強くなっているのではないか。
 だからこそ、そのようなギスギスした公的世界から峻別された、プライベートで情愛的な結合の象徴としての〈ホーム〉が一方で強調されることになるのではないか。

 ところが、「家庭内暴力」「児童虐待」など、今やその〈ホーム〉の脆弱性が問題とされる状況である。
 したがってネクストステージとして、〈スクール〉に包括的で抱擁性のある(「学園ドラマ」のシナリオのような)関係性が強く求められることになる。ということで、昨今の「学園ドラマ」の隆盛に話が戻っていく――。

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