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1974年からの証言

 あちこちで話題になり、絶賛されていた原武史『滝山コミューン一九七四』(講談社、2007年)をようやく手に取ることができた。
 〈戦後〉の問い直し、戦後教育・戦後教育学への批判(自己批判も含めて)が活発化している状況下での刊行だったから、自分も非常に関心を持っていた。
 なるほど、こういう本だったのか。たしかにこの本はおもしろい。貴重な戦後教育史資料の一つに位置づけることも可能だろう。「戦後は個人を重視したばかりに伝統や公共が軽んじられた」的な、劣化保守の議論とは一線を画した戦後教育認識が、実体験をもとに論じられている。
[「二〇〇六年十二月に教育基本法が改正される根拠となったのは、GHQ(連合国軍総司令部)の干渉を受けて制定されたために「個人の尊厳」を強調しすぎた結果、個人と国家や伝統の結びつきがあいまいになり、戦後教育の荒廃を招いたという歴史観であった。だが果たして、旧教育基本法のもとで「個人の尊厳」は強調されてきたのか。問い直されるべきなのは、旧教育基本法の中身よりも、むしろこのような歴史観そのものではなかったか。」279頁]

 だが、読後感は複雑だ。読んでいて、原少年の冷めた心情に深く共感できるところもあれば、そうでないところもある(著者自身が「滝山コミューン」に対する感情に揺れている)。著者より、15、6年後の平成への変わり目の時期に、保守的な土地柄の東北の小学校で、小学生を送ったという年代的、地域的な違いゆえだろうか。いや、出来の違いだろう。
 原氏の小学校時代の記憶はおどろくほど鮮明である。対して自分は、原氏の同級生と同じく当時の細やかな記憶はほとんど「喪失している」。原氏は有名私立受験のために進学塾に通う早熟な小学生時代を送り、一方ではこまめに日記を付け、鉄道の世界に耽り、また集団生活への同化に違和感をもつナイーブさを持ち合わせていた。毎日バカをやって暮らしていた自分の少年時代とは比較にならない。自分が受けてきた義務教育(それも「戦後教育」という範疇に入ってしまうのか?)を振り返るとき、たとえ同質の問題を抱えていたとはいえ、著者が体験した集団主義教育の質の高さや子どもたちの積極的な姿をうらやましく思ってしまう。私が体験した教育もまたある種の集団主義を抱えてはいたが、それはもうイデオロギー性や「美しい物語」を失った、多分に管理主義的なそれだったとしか受け取ることができない。
 ただ、だからといって、原氏が体験した教育が特異で例外的なものだったとみるべきではない。むしろ、そこに最も純粋な形で、「戦後教育」の有する可能性と問題点が表れているとみるべきだろう。

 それにしても、戦前ではなく、ほんの30年前に本書が示すような集団主義教育実践が行われていたことは正直知らなかった。著者が通っていた東久留米市立第七小学校〔七小〕では、全共闘世代の若手教員を中心に全国生活指導研究協議会〔全生研〕の方式に基づく教育が行われ、新聞メディアなどを通して注目を浴びていた。生活指導・学級集団づくりに関する著書も多く出されていたが、原氏の目線を通して読み直してみるかぎり、たしかに違和感を抱くところもある。
[「そこには一見、憲法や教育基本法に保障された「個性の尊重」が、「内外の反動的諸勢力」によって脅かされているという、典型的な護憲派リベラルの主張が読み取れる。だが全生研で強調されたのは、集団主義教育であった。「大衆社会状況の中で子どもたちの中に生まれてきている個人主義、自由主義意識を集団主義的なものへ変革する」という文面からは、世界が東西の二大陣営に対立していた時代にあって、まだ理想の輝きを失っていなかった社会主義からの影響が濃厚にうかがえる。「個人」や「自由」は、「集団」の前に否定されるのである。
 このような集団主義教育は、旧ソ連の教育学者、A.S.マカレンコ(一八八八~一九三九)の著作によるところが大きかった。」50-51頁] 

 70年代教育を歴史的に捉え直す本格的な研究はまだないんじゃないか。当事者たちが生きているから、生々しくなってとても書けないというのがあるかもしれない。ただ、戦後史の枠組みで捉え直していく意義は大いにありそうだ。
 本書が、マイナスイメージの戦前教育と、それとは対照的に「日本国憲法、教育基本法の価値理念によって聖化された戦後教育」という構図を破壊する力は十分にある。
[「私は当時の七小が、文部省の指導を仰ぐべき公立学校でありながら、国家権力を排除して児童を主人公とする民主的な学園を作ろうとした試みそのものを、決して全否定するものではない。それどころか、この希有といってよい体験から少なからぬ影響を受けていることを、いまの私はよく自覚している。
 しかし、ここで問題にしたいのは、自らの教育行為そのものが、実はその理想に反して、近代天皇制やナチス・ドイツにも通じる権威主義をはらんでいることに対して何ら自覚をもたないまま、「民主主義」の名のもとに、「異質的なものの排除ないし絶滅」(前掲『現代議会主義の精神史的地位』)がなぜ公然と行われたのかである。それは、ナチス政権下の公法学者となったカール・シュミットと同じように、民主主義に対するきわめて一面的な理解に根差していたといえないだろうか。」211-212頁]

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