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それこそ犬山市から学ぶべきでは

■「『橋下知事は教育介入を』 府内市長から共感、賛同」、asahi.com、2008年9月17日。

 教育委員会への批判を強める大阪府の橋下徹知事は17日、府内の市長と会合を持ち、大阪の教育のあり方について意見を求めた。首長が介入できない教委制度そのものを疑問視する橋下知事に対し、各市長は「知事には教育に介入してほしい」「教委に指示できず隔靴掻痒(かっかそうよう)の思い」など、知事に共感する意見が相次いだ。知事が主張する全国学力調査の市町村別の結果公表の是非についても、大半が賛同した。
 「教育に関する意見交換会」は、橋下知事が府の市長会を通じて開催を呼びかけた。府内33市のうち東大阪、富田林、岸和田など16市長が参加。大阪、堺の市長らは欠席した。
 8月末に発表された全国学力調査の結果で、大阪の公立小中学生の成績は2年連続で全国平均を大きく下回り、知事は「教育非常事態」を宣言。教委批判を繰り返し、市町村教委に対しこれまで非公表だった学力調査の市町村別データの公表を強く求めている。
 各市長からは知事への激励、賛同が相次いだ。
 教育委員会は戦後、政治からの中立性を保つため、首長から独立した行政委員会として創設された。この教委制度のあり方について、各市長は「知事は教育内容に介入するつもりはないと言うが、ぜひ教育に介入してほしい」(倉田薫・池田市長)、「選挙公約で教育問題を掲げても、首長ができることは校舎のトイレの修繕ぐらい。隔靴掻痒の思いだ」(岡本泰明・柏原市長)などの発言が続いた。
 また、学力調査の市町村別結果の公表についても「国は府県データを公表していて、府県が市町村データを言ったらだめだというのは矛盾している。文部科学省はひきょうだ」(浅利敬一郎・豊中市長)など、公表を求める意見が大勢を占めた。平均正答率の非開示を表明したのは、貝塚市の吉道勇市長だけだった。 最後に橋下知事は「文科省は自分の判断がすべてだと考え、おごっている。地方分権すればするほど、教育委員会の中立性は薄まるべきだと考えている」と持論を述べた。

 市町村別結果を公表して、首長さんらは何をしたいんでしょうかね。教育予算(とりわけ人件費)カットの口実を何とかつくりたいという意図が透けて見えなくもない。何しろ教育への国・自治体による公的支出は少なく、私費負担の割合は高く、というのが日本の「公教育」観ですから(その穴を埋めるのが精神主義や、自己責任論であったりする)。

 ただ、あの学力テストの解像度の低さからいって、市町村間に差が出てもその信用度はかなり低い。市町村という括りで評価することにまず無理があるし、学校ごとで括っても、能力の高い先生とそうでない先生とを区別せずに評価することになってしまう。そもそも先生間にキャリアから来る能力の違いがあるのは当然のことで、それを補完するために教員の同僚性・協働性が重視される必要があるのだが、学校・教員を競争的な環境に置くことでその可能性も薄れ、むしろお互いを敬遠しあう冷たい職場環境を作り出す危険性がある。それに、各クラスには発達障害を抱えた子どもや、いわゆる貧困層、外国人労働者の子どもなど社会的マイノリティに属する生徒といった多様な面々が属しているはずである(大阪府であれば尚更では)。そういった子どもたち一人ひとりの顔を無視して、教師の能力・学校のがんばりを、テストの点数から一律に評価すべきなのだろうか。競争は公平性が確保されてこそ競争として成り立つ。そもそもスタート地点の平等性すら怪しいのを無視しつつ問題を考えようというのでは、出発点において間違っている。

 また、あのテスト自体、教師・学校を競争させるために作成されたようなもので、所与の教育内容のあり方を問い直し、改善につなげるといった性格を有していない。つまり、国の教育課程政策自体に問いを向けるような意味を与えられていないのである。改善を問われるのはたえず現場でしかない。「教育内容に介入する」というのなら、この点こそ自治体側は問題にすべきではないのか。「うちの自治体では、子どものこのような能力を測りたいからこういったテストをつくってほしい」といった要望が出されたという話も聞こえてこない。要するに、文句を言うわりに、自治体側のビジョンがいまいち見えてこないのである。
 
 橋下という人間には、とにかく煽動的な放言・暴言が目立つ(「くそ教育委員会」とはまた…)。府知事になってからの言動をみていても、まず「敵」をつくってから、ひとびとの情動的な部分に語りかけることで自らの支持を広げている。小泉とも共通するその戦略は、ファシズム的といっても過言ではない。だが、そのような戦略から何が政策として実現されうるのだろうか。結局のところ、合理化合理化で、短期的に目に見える成果はでない教育・福祉の「ライフライン」はひたすら縮小していく、という結果しか生まないのではないか。

 ■  □  ■

 とはいえ、「選挙公約で教育問題を掲げても、首長ができることは校舎のトイレの修繕ぐらい。隔靴掻痒の思いだ」という首長さんたちの不満にも一理ある。
 住民の直接選挙で選ばれた自治体行政のトップである首長の権限が、義務教育に関して教育予算の執行等に留められている(地教行法24条)というのは、近年の地方分権改革の流れを念頭におけば、再考されてしかるべき問題である(一方の教育委員会からすれば、教育予算に関する独自の権限をもたず、首長から任命される教育委員は非常勤・兼職、実際の広範な教育事務を教育長等に委任せざるを得ないという現状がある。教育委員会もまた、主体性を発揮しにくいのが現状である。なお、「教育委員会」という時、3~6人の教育委員からなる合議制委員会を指す場合(狭義)と、それに教育長-事務局体制を含めて「教育委員会」という場合(広義)があるのだが、最近の教員汚職事件をめぐる報道などから、多くの人は教育委員を除いた教育長-事務局体制を指して「教育委員会」と誤解していたりするのではと、ふと思ったりする)。

 だが、現行法下でも首長のリーダーシップと教育委員会との連携によって市町村が主体的に教育改革に取り組むことは可能である。それこそ、全国一斉学力テストには参加していない愛知県犬山市(現市長からは何やら不協和音も聞こえるが)や、あるいは構造改革特区を活用した埼玉県志木市などすぐれた先行事例がすでに存在するのだから、大阪の首長さん方はこれらの事例に学ばれたらどうだろうか。
 今回の記事は、大阪府各自治体の首長と教育委員会との協議・意見交換すら、実のところほとんど行われていない現状をほのめかしているようにも読める。

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コメント

こんにちは。

まったく仰るとおりだと思います。
吹田市長は橋下に反旗を翻していましたが、それが正論です。

ちなみに、その犬山は市長の策動で教育委員の入れ替えがおこなわれています。このまますすむと来年4月のテストは危ないかもしれません。

投稿: K | 2008/09/21 09:26

>K先生
コメント、ありがとうございます。

 田中現犬山市長は施政方針演説で、学校教育における「評価活動の充実」を掲げていました(犬山市HPより)。
 その「評価」は何のためにするのか。外部への「説明責任」(アカウンタビリティ)のためか、子どもへの「応答」のしかたをふりかえり、改善のすじみちをさぐる(レスポンシビリティの)ためか~、その両者の関係性が首長-教委の間で建設的に議論されればいいのにと思います(自分ももっと「教育評価」について勉強しなければ)。

 数値目標の短期間での達成を過度に教育に求めるようになれば、市場原理の悪い部分ばかりを取り入れることになるのは眼に見えています(成果ばかりを見て、子どもを見ない。成績だけでなく、成績「偽装」工作もレベル・アップする?)。 
 これは検討してみないとわかりませんが、学力テストの結果を受けて各都道府県教委が作成している「学校改善支援プラン」も、子どもの興味を誘い、思考を鍛えるような教育内容・教材の検討には至らず、(短期的な目標達成のために)学習指導法や「活用」スキルの形骸化に陥っているきらいがあるのではないかとみています。
 なんかまとまりがなく、すいません。

投稿: タカキ | 2008/09/22 13:46

吹田市長の見解とは、これ(↓)のことですね。

■阪口善雄(吹田市長)「全国学力学習状況調査の結果の公表に関わり「今こそ、教育の本質を見失ってはならない」-今の雪崩を打ったような点数至上主義への流れを懸念する-」、平成20年9月19日。
http://www.city.suita.osaka.jp/home/sityoshitu/original/_31685.html

投稿: タカキ | 2008/09/22 17:44

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