« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

「剣気無心」

 すでに「仙台錬武会ブログ」「すだ公民館」で取り上げられている通り、先週土曜日、第43回全日本居合道大会が仙台市体育館で行われた。
 自分も大会当日はスタッフとして早朝から昼食を取る暇もなく、電算処理にかかりきりになった(間近で行われている演武も落ち着いてみれなかったが、まあチラ見できただけでもOKか)。
 さらに夜は、打ち上げの幹事として奔走。いつもの如く二次会、三次会と日にちをまたぐまで飲み、昨日はへろへろで布団から出られなかった。

          ◇

 全日本居合道大会は、五段の部、六段の部、七段の部に各都道府県から選出された選手各1名、計3名(×47)が出場、それぞれトーナメント方式で勝ち負けを争う。試合は真剣による形(各流派古流と全日本剣道連盟居合)の演武の形式をとる(さすがに斬り合いはできませんから)。
 各段選手個人の結果[個人戦]はもちろん、都道府県ごとの成績をも算定して、団体の結果[団体戦]も競う。
 算定の仕方は以下の通り。
 一試合につき、勝ち数と旗数を計算する。勝敗は審判員三人による判定=赤・白の旗の数で決する。旗三本[3-0]での勝利なら、勝ち数が1点、加えて旗数が0.03点加算される(つまり、旗一本につき、0.01点)。合計、1.03点である。
 選手は、勝ち進めば多くて1回戦から6回戦(決勝)までを戦う。それがすべて[3-0]の勝利なら、1.03×6=6.18点ということになる。
 これを、五段、六段、七段の各47人の選手でそれぞれ計算し、3名の合計を都道府県ごとに算出して順位を出すわけである。

 今回の大会で地元・宮城県は三選手で合計15.44点をあげ、団体・初優勝を成し遂げた。前回の大会が行われたのは、1991(平成3)年。その時のことはこのブログで少し触れたことがある(「若き日の師匠の勇姿(以上の衝撃?)」、2008年6月16日)。その時宮城県は、都道府県対抗順位で惜しくも2位だった。
 だから、県連居合道部会として「今回こそは」という悲願があっただけに、先生方の感慨は一入のはず。
 この日のために、特練を積んでこられた選手の先生方、本当におめでとうございました。

          ◇

 ちなみに、今日の記事のタイトルは、記念品として配られた手拭いの文字。書かれたのは、大学剣道部のときにお世話になった堀籠先生だった(相変わらずの達筆!)。いまだご健在だったなぁ。 
 もう一つの記念品は、玉虫塗の……、ええと名刺盆でしたっけ。M野さんのお土産と同じくらい使わない気が……、いえ何でもございません(汗)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「これにもお豆がなるの?」

~「教える『加減』~それは教授者の知恵や技術に帰結すると思う~」補遺(2008年10月19日)

 学習者は、教授者から示された学習素材(知識・情報)を、何も知らない白紙の状態からそのまま刷り込むのではない(それは単に、断片的な文字やコトバの集まりを記憶することとイコールである。 今の学校は、どうしてもそのような断片的な知識を急いで教えることになりがちである)。
そうではなく、自己の過去の経験によって獲得した認識構造を活用して、新しい知識・情報を自己の内部に構造化していく。その可能性を子どもは有している。
したがって、その可能性を十分に開かせない、「教えすぎる」授業では、「こうすれば、こうなるはずだ」といった自律的な思考が働かない、「断片的な知識」しか子どもに作らせ得ないことになる。
 “子どもは何も知らないから、こちらから強制的に与えなければならない”、というのは短絡的である。
小さな子どもであっても、しっかりとした認識構造をもっている。以下は、それを示す、渡辺万次郎氏(元秋田大学長)とそのお孫さん(5歳,4歳)の有名なエピソードである。

 私はかつて幼稚園の2児を近郊に伴った。彼らは“みやこぐさ”の花に注意を引かれたが、その名を問うほかに能がなかった。当時、私どもの菜園には、同じ豆科の“えんどう”の花が咲いていたので、私は名を教えるかわりに、その花をもって帰り、おうちでそれによく似た花を見出すようにと指導した。彼らが帰宅後両者の類似を見出した時には、小さいながらも自力に基づく新発見の喜びに燃えた。やがて一人は“みやこぐさ”について、“これにもお豆がなるのか”と尋ねた。それは誰にも教えられない独創的な質問であった。私はそれにも答えず、次の日曜に彼らに現場で確かめることを提案した。彼らがそこに小さな“お豆”を見出した時、そこには自分の推理の当たった喜びがあった。秋がきた。庭には萩の花が咲いた。彼らは萩にも豆のなることを予測した。彼らは過去の経験から、いかなる花に豆がなるかを自主的に知り、その推論を独創的にまだ見ぬ世界に及ぼしたのである。
(渡辺万次郎「科学技術と理科教育」『理科の教育』Vol.8、No.11、高橋金三郎『授業と科学』国土社、1973 より引用)

〈註〉細谷純『教科学習の心理学』東北大学出版会、2001年、47-48頁。

 渡辺万次郎氏の文章の、別の本からの引用の、そのまた引用で申し訳ない。だけど、中身はおもしろい。
幼稚園児でさえ、「(じゃあさ、)これにもお豆がなるのか」と、自身の過去の経験をもとに共に豆科であるという〈知識の構造化〉を行いうる二種類の植物間の関連づけを行い、さらに推論から獲得した知識を(自ら使って)、他の事例にも広げていこうとする喜びを味わっている。そして、それを可能にしたのは、学習者を自律的な思考へと導く教授者の意図的な指導である。
 すぐに答えを教えてしまうのではなく、彼らが過去の経験やそこから獲得した知識を使って、推論し、自ら答えを導きたくなるような筋道をそれとなく示してあげる、そんな指導の一例を、上記のエピソードは示している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教える「加減」~それは教授者の知恵や仕込みに帰結すると思う~

 友人、すだ公民館長の授業実践にまつわるエピソード(「授業の『加減』~子どもの学びをコーディネートできるか~」)を読んで、外山滋比古氏の「不幸な逆説」を思い出した。

 どうしても制度としての学校では、各人の自発的な学習意欲如何にかかわらず、半ば強制的に学習が開始される。その中では教授者が効率的に知識を伝達することが望ましいとされ、学習者も意識的・無意識的に受動的に知識を身につけるように習慣づけられる。お互い、そのことが決して望ましいとはどこかで分かっていながら。
 では、近代学校教育が確立する前、昔(近世)の塾や道場ではどうしていたのか。

 入門しても、すぐ教えるようなことはしない。むしろ、教えるのを拒む。剣の修業をしようと思っている若ものに、毎日、薪を割ったり、水をくませたり、ときには子守りまでさせる。なぜ教えてくれないのか、当然、不満をいだく。これが実は学習意欲を高める役をする。
 じらせておいてから、やっと教える。といって、すぐにすべてを教え込むのではない。本当のところはなかなか教えない。いかにも陰湿のようだが、結局、それが教わる側のためになる。それを経験で知っていた。
 …… 
 秘術は秘す。いくら愛弟子にでもかくそうとする。弟子の方では教えてもらうことはあきらめて、なんとか師匠のもてるものを盗みとろうと考える。ここが昔の教育のねらいである。学ぼうとしているものに、惜気なく教えるのが決して賢明でないことを知っていたのである。……
 師匠の教えようとしないものを奪い取ろうと心掛けた門人は、いつのまにか、自分で新しい知識、情報を習得する力をもつようになっている。……伝統芸能、学問がつよい因習をもちながら、なお、個性を出しうる余地があるのは、こういう伝承の方式の中に秘密があったと考えられる。
 昔の人は、こうして受動的に流れやすい学習を積極的にすることに成功していた。……
 それに比べると、いまの学校は、教える側が積極的でありすぎる。親切でありすぎる。何が何でも教えてしまおうとする。それが見えているだけに、学習者は、ただじっとして口さえあけていれば、ほしいものを口へはこんでもらえるといった依存心を育てる。学校が熱心になればなるほど、また、知識を与えるのに有能であればあるほど、学習者を受身にする。本当の教育には失敗するという皮肉なことになる。

〈註〉外山滋比古『思考の整理学』ちくま学芸文庫、1986年、17-19頁。

 今の「学校」という教育形態では、子どもが考える前に意味・内容をおしつけすぎてしまう。市場原理が導入され、ペーパー・テストの結果が重視される風潮のもとではいっそうその傾向に拍車がかかる、という予測は容易に成り立つ。
 だが、長い眼で見たとき、それは本当に子どもにとってためになる事なのか。「教えられないことを自ら学びとる力」を削ぐ結果にならないか―、教師にはこのような問題をたえず意識することが求められるように思う。

      ◇

 もう一つ、思い出したのは大村はま氏の「仏様の指」の話。以下、『教えるということ』から引用する。

 終わりに、私の好きなお話をご紹介したいと思います。
 私はかつて、都立八潮高校(当時、府立第八高女)在職のころ、奥田正造先生の毎週木曜の読書会に参加していました。奥田先生は、そのころ成蹊女学校の主事をなさっていました。先生は私が今日までお会いした先生の中で、いちばんこわい先生でした。……
 先生の前でかしこまって緊張している私に、先生は急に、「どうだ、大村さんは生徒に好かれているか」と、お尋ねになったのです。私は、はたと返事に困りました。……先生は「そう遠慮しなくてもいい、きっと好かれているだろう。学校中に慕われているに違いない」と言って、お笑いになりました。私は、どうしてよいかわかりませんので、下を向いてもじもじしていますと、先生が一つの話をしてくださったのです。
 それは「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった」という話です。「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」こういうふうにおっしゃいました。そして、「生徒に慕われているということは、たいへん結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流か三流だな」と言って、私の顔を見て、にっこりなさいました。私は考えさせられました。日がたつにつれ、年がたつにつれて、深い感動となりました。そうして、もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。仏様の力によってそこを抜けることができたという喜びはありますけれども、それも幸福な思いではありますけれど、生涯一人で生きていく時の自信に満ちた、真の強さ、それにははるかに及ばなかっただろうと思うとき、私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。

〈註〉大村はま「教師の仕事」(山形県天童市東村山地区教育委員協議会主催講演会、1973年2月)『新編 教えるということ』ちくま学芸文庫、1996年所収、155-157頁。

 子どもの重荷になるような教師では問題だけれども、かといって、過度の配慮から子どもに何でもかんでも教えればよいというのも、かえって子どもが一人で生きぬく力を奪い取ってしまいかねない。そんな「教えるということ」の難しさを、上の文章からも直感する。

     ◇

 「教えること」において、あくまでも根本に置かれるべきなのは、児童生徒の自律的な思考や自立的な態度を引き出す、教授者(=授業の専門家)の知恵や工夫(わざとじらす、「仏様の指」になる)だ。「授業」に引きつけていえば、何をあらかじめ与え、何を教えないでおくのか、といった計画・仕込みを指すことになろう。単に「これはこうなのだ」という知識の網羅的説明(与えること)に終始したり、あるいは反対に(事前に何も与えず)「自由に考えてみよう」といった働きかけでは、その授業は子どもにとってパッとしない、「やり抜いた」「成し遂げた」という実感のないものに映るに違いない。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

正しいパクリ方

◇REPORT×REPORTJP~レポートの書き方とテーマ検索・共有・ダウンロードサービス
http://www.reportreport.jp/

 すげぇ、こんなサイトがあるのか。
しかも「正しいパクリ方」って(笑)。
でもまあ、間違ったことは言ってない(と思う)し、現金のかわりにポイント制を採用した“give and take”なシステムにもなっている(自分が資料提供すれば、そのぶん他人のも見られるということ。でも、そういう人がこのサイトをレポートのために積極活用するとはあまり思えないが)。
 こういうの、昔はごくごく狭い顔見知りの範囲で共有されていたのだろうけど、全国規模で共有できる時代になってしまったわけですか。評価する大学の先生のほうが大変だ。

大事なことは、表面的な「そこに書いてある事」だけでなく、「それが意味するところ」、つまりメタファー化(抽象化)すると何なのか、どういう事なのかを意識することです。そこにレポートのオリジナリティ、付加価値が隠されているのです。まっさらの状態で取り組むと、非常に時間がかかる、このオリジナリティや付加価値の高い部分をパクってくることで、大きな効率化を図ることができます。またそれだけでなく、自分の分野に持ち込むことで、自分自身のオリジナリティも付加することができるでしょう。
(「レポートの正しいパクリ方(2)」より)

でもまあ、その「非常に時間がかかる」泥臭い作業こそが本当のオリジナリティの源(多くの、一見無駄に思える作業や知識が独創性を土台で支えている)なだけに、楽はしないほうがいいんだけど。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »