「地域の高校」存続への取組にみえる教育会的組織志向
水曜日あたりから非常に寒い。
居合の稽古に行ったその日の夜あたりから、喉が痛くなり、昨日、今日とかなり具合が悪い(なので、今日の居合の稽古は休みました。悪寒が走るので)。
それでも休むことができない(今月は週末もほとんど休みなし。連休だというのに日曜から研究会)。
昨日は高校教育調査の一環で、とある郡部の高校へ出張。
ここは地域の住民が集って、「地域の高校」存続へ向けた“会合”を定期的に開いている。
それは、首長、教育長、県議会や町議会の議員、地元企業の重役、地元中学校長、同窓会役員(まさに「名望家」)+同校教職員といった顔ぶれが並ぶ非常におもしろい会合で、その組織的特徴は戦前の教育会組織を彷彿とさせる。それを傍聴してきた。
似たような取り組みは、長野県などでも行われているようだ。
学校統廃合のあおりを受けて、そのように時代や地域の枠を越える共通性をもった組織的枠組みにしたがって、「地域の学校」を活性化させようとする取り組みが(国の政策に抗うように)自生的に展開されているというのは、「学校」という近代装置の内包する日本史的意味を示唆しているように思う。「公」教育機関としての学校は、その実、国家を代表しているのでもなければ、児童生徒・保護者といった全くの「私」を基盤としているのでもない、その中間である「公共」の空間を存在の基盤としてきた(している)ということを。
上記の会合のような組織は、「地域(一部名望家)の利害に子どもの教育が左右される」といった危うさを一方で孕んでいる(だから、学校長の舵取りが非常に重要となる)。
しかし、それを警戒して「教育の専門的自律」を掲げるあまり、逆に「地域とのつながり」という視点を軽視してきた側面もあったのではないか(「県立高校の場合など、それが位置する市町村との関わりを十分に行わず、地域の意見に耳を傾けてこなかった」といった反省が、上記“会合”設立の一因となっている)。「地域再生」という差し迫った地域固有の課題と「教育の専門的自律」といった普遍的理念、その両者のバランスをどう考えていくのか、という課題が現代の地方教育会(?)的組織を通して浮かび上がってくる。
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