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重力すら無力化する“家族の絆”

  先日(22日)、“映画『重力ピエロ』世界最速 完成披露試写会”に行ってきた。
会場は、完成したばかりの萩ホール(旧川内記念講堂)である。
 改めて言うまでもなく、原作は伊坂幸太郎さんの名作『重力ピエロ』(新潮文庫、2006年)。
 
 小説もすばらしかったが、映画もまた、すばらしかった。映画ならではの良さがあった(自分は小説を途中で読むのをやめ、映画を見た後、改めて小説の続きを読むというかたちで上映会に臨んだ。違う読み方をしたら、また違った感想になるかも)。
 限られた上映時間という制約の中、思わずストーリーに引き込まれる、スリリングな展開に仕上がっていた。原作にはない、映画独特のユーモアなシーンも含まれていた。その一方、小説の冒頭と同じ台詞からスタートする演出もにくかった。
 それにキャスティングが渋い。とくに父親は、小日向文世さんの醸し出す雰囲気で、原作よりも穏やかで魅力的な存在に染め上げられていたように思う。クライマックスにおける小日向さんの演技~春に語る一言~は感動せずにはいられない(春の仕草をみて、父さんが何を言うか、みる側がわかってしまうというのが、いっそう涙をそそる)。

 奥野兄弟の人物設定も、原作と若干違っていたと思う。年齢を若干若めに設定していただろうか。若者の青的な要素も映画からはふんだんに感じられたし、シナリオもそれに合うようなアレンジになっていた。これもキャスティング(加瀬亮、岡田将生両氏の爽やかなイメージ)ゆえか。
 仙台・宮城の豊かな景観、とくに萌える緑が、そんな主人公たちの織りなすドラマを引き立てていたように思う。
 そう、物語の舞台がここ杜の都であることもあって、仙台・宮城の各所がロケが敢行され、とりわけ仙台市民なら「あそこだ」とすぐわかる景色・スポットがシーンの随所で確認できる(あちこちで撮影している。東北大学も初めて映画のロケに使われた。背景にこだわっていることがわかる)。そんな映像ならではのからくりも、この映画の一つの楽しみといえる。

      ◇

 この作品のテーマは“家族の絆”である。上映後の舞台挨拶で、母親役の鈴木京香さんをはじめ、一家そろって登壇した奥野家の皆とも確かにそのことを強調していた。
 DNAといった科学的根拠では解読できない“家族の絆”。最大公約数的な世間の常識でははかれない“家族の絆”。それがこの作品の一つのテーマであったと思う。
 現代的な社会問題に広くコミットした、考えさせる作品だともいえる。
 例えば、映画でもあった泉水(加瀬亮)の台詞(以下、小説から引用)。

「おまえはきっと、そのことについて、今まで何百回、何千回と考えてきたんだ。悩んできた。そうだろ」
「そのおまえが出した結論なんだ。他の、ちょっと首を突っ込んできた野次馬だとか、刑事だとか、法律家にとやかく言われる必要はないよ」
「たぶん、おまえ以上に、このことを真剣に考えた奴なんて、世の中にいないんだ」

 この映画の封切りは来年の春である。それを念頭におけば、来年の春から開始される裁判員制度への問題提起となる部分をもこの映画は含んでいると自分は読んだ。それも、「それでもボクはやってない」で脚光を浴びた加瀬さんが如上の台詞を言うのだから、どうしても日本の司法への問題提起として読まざるを得ない。その意味では、まさに、絶妙な時期にロードショーとなる映画であるといえるのではないか。

[リンク]
■映画『重力ピエロ』オフィシャルサイト

■「加瀬亮×岡田将生が劇中以上の兄弟愛を発揮! 『重力ピエロ』“世界最速”上映」、cinemacafe.net、2008年12月24日。

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果たして「信頼される教育現場作り」につながるのか

 毎日何かメモ的なものは書いているのだけど、なかなかブログに載せられるだけの記事にしようという根気がわかなくなっている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 ということで、ちょっと前にメモしていたものになるけれども、せっかくなので取り上げてみる。
 
      ◇
 
 政府インターネットテレビ(内閣官房及び内閣府オフィシャルサイト)に、以下の番組(動画)がアップされている。
 
■「信頼される教育現場作りへ~教員免許更新制~」政府インターネットテレビ、2008年10月30日。

 来年度からの本格実施を前に、今年の夏に各地で予備講習が行われた。
講習内容は、以下の通りである。
 ・教育の最新事情に関する事項(12時間以上)
 ・教科指導、生徒指導 その他教育の充実に関する事項(18時間以上)
開設機関は、「大学・指定教員養成機関、都道府県・指定都市等の教育委員会」となっている。だが、今年度の予備講習では「大学」以外に手を挙げた機関がないという事実。これは意味深だ。ある先生は、最初から行政サイドは免許更新制に期待などしていないのでは、と推測していたが正しいと思う。膨大な労力を要するし、大学側も不満たらたらである。現場教員・大学双方が不幸な結果に陥る結果も予想される。

 さて、動画を(バイアスがかかっていることが間違いないことを前提として)見ての率直な疑問と感想を。

・「その時々で教員として必要な最新の知識や技能」とは何だろうか。危機管理やインターネットに対する知識、問題への対応策だろうか。しかし、そのような知識に詳しい大学研究者は限られていると思う。むしろ、民間のほうがノウハウを持っている。
・「最新の知識技能を身に付ける」ということから、どうして「免許の更新」という話になるのかがわからない。
・日頃の業務が忙しい教師の実態が推測される。
「強制的に機会を持ってもらえたら」(中学校美術教諭)
「差し迫った状況がないとなかなか取り組めないという状況もありますし、やっぱりいい面もあるんじゃないかと思うんです。」(高等学校化学教諭)
 →個人研修・現場での校内研修では満足しきれない現状がうかがえる。
・「大学で何を研究しているのかっていうのも、進路指導する上で、大学のことはよく知らないので、そういう意味では大変参考になりました。」(高等学校化学・生物教諭)
 →大学との連携という面ではメリットもあるかもしれない。でも、その場が更新講習である必要はない。
・現場教員にとっては、「息抜き」という側面があるのだろうか。

       ◇

 更新講習は個人個人がバラバラに現場を離れて「自主的に研修」することを強いられる、制度化された「自己責任」による研修である。
 だが、今回のように「最新の知識や技能」を講義形式というかたちで学ぶと更新講習は、おそらく受験勉強などと同じように「蓄積的知識」として学ぶという以上の意味にはならないだろう。
 講習で得た一般的知識を、現場で活用できるものへと自ら血肉化(具体化)できるというのなら問題はない。だが、それには時間がかかると私は思う。少なくも、更新講習終了後のテストで判断できることではない。
 自分が思うに、現場が求めているのは、一般的な知識では対応できない質の知識(経験・知恵)の収得である。その知識は、状況依存的なものであって、現場を離れて成立するものではない(その「状況依存性」、多様な子どもへの教育を全人的問題として引き受ける「総合性」に「教職の専門性」の捉えがたさがある)。

 したがって、むしろ必要なのは、現場教員がお互いを刺激しあい、協働して組織的に教育問題に取り組む姿勢=同僚性意識であり、それを可能にする校内研修体制である。
 動画をみて、自分が危惧したのは、もっとも中心であるはずの学校現場を土台として、教師としての資質を高めようという研修意識・同僚性意識が失われているのではないか、ということであった。
 教師のキャリア形成において、本来最も重視すべき履歴は、10年に一度の更新講習などではなく、この現場主体の研修のはずではないのか。その点に配慮した教員研修制度の見直し(校内研修の実績評価)が必要だと思う。

 私は更新制には否定的であるし、肯定的に捉える教育学者はほんとうに少ない。むしろ、これを「前向きに廃止」していこうとする意向が強い。研修体系の整理(10年経験者研修との統合、教職大学院との関連・整理など)、更新目的の転換(上級免許状取得へのグレードアップ)をめぐる主張がそれである。
 自分もその意見に賛成である。

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