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『反貧困』を読む

(※mixi読書日記1月5日から転載)

■湯浅誠『反貧困―「すべり台社会」からの脱出―』岩波新書、2008年。

 日比谷「年越し派遣村」の運動が正月の報道を賑わせている。
 案の定、ネット上には読むに堪えない差別的言辞をはらむ「自己責任」論が一部で垂れ流されている。
 また、「村」運営の手法を批判する言説もあるようだ。
 とはいえ、たとえ一人でも行き場を失われた人々の命と、個人の尊厳を守ることに成功したのなら、この運動は大いに評価されるべきである。非現実的な建前論に終始するリアリズムを欠いた姿勢では、こうした活動(「居場所作り」)はできない。

 「現代の貧困」は、今年“も”大きな問題として、私たちの社会にのしかかってくることは間違いない。これを避けて通ることはできない(たえず自分たちにのしかかってくる「不安」である。その不安を「自己責任」で解消しようとさらなる「競争」に駆り立てられれば、一層「不安」は増大し、ますます他者を排除しようとするようになる。“溜め”はますますなくなる)。
 だからこそ、問題の実態(「すべり台社会」)を正確に受け止め、打開へと立ち向かう一歩として、湯浅氏の『反貧困』は広く読まれるべきである。

 貧困は決して「自己責任」に還元されうる問題ではない。その主張は、本書で貫かれている。
 貧困は単に「所得が低い」とかいうことではなく、「生活上の望ましい状態(機能)を達成する自由(潜在能力)が欠如している」状態を指す―、アマルティア・センは「貧困」をそのように定義する(センの「潜在能力」に相当する概念を、湯浅氏は“溜め”という言葉で語っている)。
 つまり、「他の選択肢を等しく選べたはず」という個人的・社会的自由=“溜め”を失っている状態が「貧困」なのである。「貧困状態にある人たちに自己責任を押し付けるのは、溜池のない地域で日照りが続く中、立派に作物を育ててみせろと要求するようなものだろう」(82頁)。
 かくして、「どうすれば人の、そして社会の“溜め”を増やすことができるのか」が貧困に立ち向かう課題として設定される。それは、「人々の支え合いの強化、社会連帯の強化、そして公的セーフティネットの強化」(反貧困ネットワーク)を通じて果たされると湯浅氏は述べる(213頁)。「派遣村」の運動は、その具体化の一例と捉えられよう(公的セーフティネットの強化につながればよいのだが)。

    ◇ 

 昨年のある研究会の合宿で、自分は「(教育)ネットワーク」をキーワードに、現在の問題意識について報告を行った。自分が「ネットワーク」という名の付く部署に所属していること、それゆえ「ネットワーク」という言葉に敏感になったことが直接的な契機であったのだが、おかげで、多分野にまたがる現代的課題~個人が孤立化させられる社会状況の中で、「連帯の条件」「社会のネットワーク」をどのように構築していくか~を考えるきっかけを持つことができた。「ネットワーク」、これは貧困の問題に係ってくる論点でもあるはずだ。湯浅氏の主張はそれを示唆している。

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