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大人の力量が問われている

 学校での携帯電話取り扱いに関する指針について、文部科学省は次のように説明する。

□【トピック】学校における携帯電話の取扱いについて指針を示しました
                     〔初等中等教育局児童生徒課〕

 文部科学省が携帯電話の学校への持込みに関する調査を行ったところ、平成20年12月1日時点において、
 (1) 小中学校では、持込みを原則禁止としている学校が約90%以上、
  (2) 高等学校では、持込みは認め、授業中での使用禁止としている学校が約57%、
  (3) 教育委員会で指導方針を示しているのは、約51%という結果が明らかになりました。
 この結果を踏まえ、1月30日付で通知を発出し、学校における携帯電話の取扱い等について、学校及び教育委員会の取組の基本とすべき事項を示しました。その概要は以下のとおりです。
 (1) 小・中学校では、持込みは原則禁止とすべきこと。
 (2) 高等学校では、持込みを認める場合には、授業中での使用禁止などのルールを定めるという指針に沿って、学校や地域の基本的な実態を踏まえた上で、基本的な方針を定めること。
  (3) 「ネット上のいじめ」等から子どもたちを守るため、学校だけでなく家庭や地域における取組も重要であり、情報モラル教育をしっかりと行っていくことに加え、家庭でのルールづくりやフィルタリングの普及啓発など、学校・教育委員会等が家庭や地域に対して積極的に働きかけていくこと。
 文部科学省は、今後とも関係省庁とも連携した取組を行い、子どもたちを「ネット上のいじめ」や違法・有害情報から守る取組の充実を図ってまいりますので、ご協力をお願いします。
〈註〉『初中教育ニュース(初等中等教育局メールマガジン)』第108号(2009年1月30日)から。

 すでに各地で「原則禁止」としている小・中学校が9割以上、高校でも6割近くであったということだから、今回の文科省通知は現状に追随したものであり、すでに現場で取られている対応にお墨付きを与えた程度のものに過ぎない。
 そして、このような措置が、当面の問題をしのぐための対処策でしかないことは明らかである。
 結局、教育現場を含めて、大人の側に、「現在使われている道具がどのようなものか」についての知識が確立されていないこと、そのために必要以上にネガティブなイメージを持って受け止めてしまっていることが、象徴的にこの通知に反映されているといえるのではないか。
 もちろん、子どものケータイ依存は容認できることではない。ケータイによる狭い仲間内でのコミュニケーションにとどまっている限り、モノを読む力、書く力は伸びない。親しい関係の間でしか通用しない範囲に、言語体系や価値観が限定されてしまう。ケータイ依存は、モノを書く力を鍛えることなく、自己を「外部」の世界へと開いていく〈教育〉本来の可能性を狭める方向に働くはずである。だから、その点は、学校の先生にしっかり指導をお願いしたい。  
 とはいえ、10年先の社会を想像すれば、子どもを「危ない」状況から遠ざけるという消極的姿勢よりも、その使いこなし方を積極的に考えさせていくほうが有益である。そして、多少の失敗をしても周囲の大人がカヴァーしてくれる環境の中で、彼らなりに人間関係構築を模索していくほうが有意義であろう。現在、小・中学校、高校に通う生徒たちは何年後かには、否が応にも情報社会に出ていき、その中心を担うはずなのだから。文部科学省は、「ちょっと待って! はじめてのケータイ」リーフレットを合わせて公開したが、あのリーフレットだけではちょっと心許ない(方向性は間違っていないと思うが)。福岡県・芦屋町のように町が「宣言文」(お題目)を出すという方法(「福岡・芦屋町が小中学生の携帯禁止、強制力ないが賛否」、YOMIURI ONLINE、2009年1月20日)も、未来を展望した建設的な策とはとてもいえない。
 IT企業勤務でブロガーの吉田賢治郎氏は、ご子息が「ネットいじめ」に遭った経験(それを自身のITの知識を生かしつつ解決した経験)から、学校に対して次のような提案をしている。

 教育現場にいる方々にお願いしたいのは、「いじめ」への学校側の対応方法(危機管理マニュアル)を作成して、生徒と保護者に公開してもらうことだ。どのような場合に誰に連絡すればいいのか? その時、学校や先生はどのような行動をとるのかなど、具体的な対応を事前に知っておけたら、学校に連絡して、親と学校が共同で対処できるはずだ(引用者注-吉田氏は、学校側の対応が予測できなかったため、学校には相談しなかったという)。
 さらに可能なら、生徒に対して保健室でメンタリングやコーチングが受けられる環境づくりをお願いしたい。親に頼れない生徒の場合、自分の話を真摯に聞いてくれ、状況の整理と自分がすべき行動の決定を手助けしてくれる大人が必要だろう。
〈註〉吉田賢治郎「『学校裏サイト』で娘が攻撃されたとき―ある父親の記憶―」『論座』2008年9月号、218頁。

 陰惨にみえる「ネットいじめ」の問題にしても、じつは掲示板でのストレス発散や息抜きを反映したに過ぎないものだったりする。ただ、そのインパクトがどれほど大きいか理解できていないだけである。その誤りを大人がいかに軌道修正していくか。
 ケータイ、ネットについての知識をどれだけ真剣に学び、子どもからの意見に対してどれだけ真摯に対応できるか。大人の力量が求められる時代になっているといえよう。

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コメント

初めまして。長野県の上田市マルチメディア情報センターの斎藤と言います。
ブログ検索からこちらのブログを見つけて飛んできまして、記事を興味深く拝見しました。
最近は「子どもは携帯禁止」という議論が盛り上がっていますね。文科省の通知もその世論に乗ったもののように思いますが、私も「安易に『携帯禁止』にしてはいけない」と思っています。
情報センターの仕事で、市内の公民館や小中学校へ出向いて「子どもと携帯電話」という出前講座をやっているのですが、「携帯の問題は子どもの心の問題が表に現れた『結果』に過ぎない」と、子どもの心の問題を中心に話をしています。
タカキさんが挙げられている、吉田賢治郎さんの「けんじろうとコラボろう!」も以前から見ていまして、講座のために大変勉強になっています。
一点だけ、タカキさんは

> もちろん、子どものケータイ依存は容認できることではない。ケータイによる狭い仲間内でのコミュニケーションにとどまっている限り、モノを読む力、書く力は伸びない。

と書かれているのですが、今は子ども達の世界が狭くなっているので、逆に狭い付き合いの中での「空気を読む」など、大人と違う意味での「読む力」「書く力」は持っているのかもしれない、と私は思います。それを大人が理解できないだけで。
それから今の子ども達を見ていて「ケータイ依存」と言うのは、あくまで「携帯=電話」と思っている大人の価値観であって、「ケータイ=情報ツール」と思っている当の子ども達は、既にケータイを日常のコミュニケーション手段の一つにしているように思います。使う頻度が高いからと言って、別に「依存」ではないのではないでしょうか。

最後になりますが、自分のブログ(はてなダイアリー)で、「子どもと携帯電話」と題していろいろ書いています。URL欄に入れましたので、よかったらごらん下さい。教育学の立場からご意見などいただければ大変嬉しいです。

投稿: 斎藤史郎 | 2009/02/14 20:43

 斎藤様、コメントありがとうございました。
上田市マルチメディア情報センターに勤務されているということで、この方面では、いろいろと勉強させていただくことが多いと思います。そちらのサイトも拝見し、勉強させていただきます。
 さて、ご批判いただいた点について、新たに投稿した記事で振り返ってみました。ご笑覧ください。

投稿: タカキ | 2009/02/16 19:20

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