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教科書の「逆用」

 例の歴史教科書採択(採択自治体の拡大)が、またいろいろと波紋をよんでいる(杉並区、横浜市、東京都)。

 こういう時は、過去の実践に学ぶべきである。
 例えば、戦前の日本、国定教科書使用が絶対という閉塞的状況下で、教育内容として通底している国定イデオロギーに抗う教師達は、それを「無害化」するためにどのような策をとったか。
 一つとして、教科書の「逆用」が挙げられる。すなわち、「教材を現実と対照して教材が主張しようとした事柄を逆に此方で使って児童の観点を正しい方に導く」方法である。

 尋常小学修身書巻三第二十一「けんかう」
 益軒は小さい時にはからだがよわかったので、つねにやうじやうにきをつけました。いろいろの書物を読むをりに、やうじやうのことが書いてある所があれば、書きぬいて、その通りまもりました。それでからだが次第にぢやうぶになつて、年をとつてもおとろへず、八十五さいまでもながいきをして、多くの本をあらはすことができました。クスリヨリ、ヤウジヤウ

 教労長野県支部編纂修身科無産者教授教程尋常小学修身書巻三の取扱ひ第二十一「健康」
 如何に大多数のものが不健康に落とされているか! 住居、小さなゴミゴミした不潔の家、大多数同居、日光のない家、うすぐらい家、工場の寄宿舎、労働者の長屋、農民の家、蚕時はねるとこものない。……衣服、労働、死亡統計、罹病統計、幼児の死亡率、登山、海水浴、温泉、公園等は誰のものか。病気の際。病気になても―何故なるか―過酷の労働を続けなければならない。医者は来ない。又かかれない。―何故。われわれの健康を破壊するものは誰だ。そのための闘争、ソヴェートでは。

 (文部省学生部「プロレタリア教育の教材」1934年。春田正治・宮坂哲文編『今日の道徳教育』誠信書房、1964年、308-309頁から転載)

 以上は、新興教育運動における一例である。
 「逆用」という方法の底には、教科書内容と現実との間の明らかなくいちがい・矛盾を、事実にたよることによって暴露できるという考えが流れている。一歩間違えば、事実を媒介としない、「プロレタリアイデオロギー」の単なる注入に陥る可能性もある。そこで、「具体的な事実、児童の直接的経験を豊富に準備し巧みに捉へ……徳目の実践を中心に其の実践的矛盾を児童自身に依り発見しバクロする様に導く」わけである。「事実への限りない信頼」を基礎とした教授法は、思想的立場に囚われることなく、生活綴方など広く教育実践に影響を及ぼした。

     ◇  ◇
 
 本来、教科書は教材の一つにすぎない。しかし、日本の歴史教科書は、教材(事実・情報)の一つにとどまることなく、歴史的事実を特定の視角から切り取った一つの解釈=教育内容まで明示してしまっているケースが多い。しかしながら、特定の解釈(=答え)を先に示されてしまっては、かえってその説明にかたよった、詰め込み式のつまらない授業を生み出すことにつながりやすい。
 いかに、教科書を使いつつ、教科書の枠にとどまらない=豊富な歴史的事実をもとに、教科書に記述されていない現象を生徒たちが自ら知的に解釈・創出する授業を行うか。どうすれば、啓蒙主義・説明主義の歴史教育を越えることができるか。その授業構成こそが重要な論点であり、最終的には教師の裁量が問われるべきである。先生方の奮起を望みたい。

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紡がれる戦争の記憶

◇NHK戦争証言アーカイブス
http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/

 戦後64年、Webから戦争の記憶が紡がれる。

Dsc02740

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採点地獄からの生還

 久しぶりの更新である。
 まあ、とにかく日々の業務をこなすのに追われていた。何とか一区切りついたところだ。
何しろ、昨日まで大学で業務(定期試験の監督や学生指導)があったのだから(昨日ですよ!)。
授業回数を文科省の言うように増やしたところで実効性はないということを肌で感じつつ、教員も学生も15回の授業と2週間に及ぶ定期試験期間をこなしてきた。

 そして、今日、何とか春期の成績報告書を教務に提出してきたところである。
テストの採点がとにかく大変だった。デスクに積み上げられた700枚にもおよぶ答案・レポートの山々(答案連峰と名付けよう)。
見ただけで萎える気持ちを何とか奮い立たせ、フラストレーションがたまる作業に取り組んできた。
とにかく時間がかかった。ここ1週間、それ以外何もできなかった。
まったくもって、自分を褒めてあげたい―、心底そんな気持ちになる。
他の学部・学科によっては、1000枚を軽く越える答案の採点に取り組まなければならない先生もいる(お盆などないじゃないですか)。
ある先生はマークシートによる試験を実施していた。シート読み取り機を使って採点結果をExcelなどにデータ化するのである。そうでもしなければならない事情がある。

 教育中心大学はこのような現状である。TAを使った授業改善を考えられる、そんな大学がうらやましい。
 こちらで同じことをやろうと思ったら、すべて担当教員が一人で行わなければならない。300人の学生にコメントを書かせ、その全コメントに目を通し、一部コメントをパワーポイントに打ち出したりして、次の授業の際にスクリーンに映して紹介し、解説・補足を行う。大教室授業でなおかつ学生が飽きない、双方向型の授業を行おうとすれば、どうしてもそのような対策を講じなければならない。実際やってみて学生には好評だが、教員の労力は計り知れない。こうして研究の時間は削られていく―。若手研究者の環境はまことに厳しい。
 もちろん、大学の教室も「教育」の現場であり、教育研究の対象である。学科のFD委員として、この春期は4回ほど他の先生の授業を見学させてもらった。どの先生方も、いろいろと工夫を凝らしている。それに少しでも学びながら、秋期の授業づくりに向けて、まだまだ試行錯誤を続けていかなければならない。

 でも、この8月中は、少し道を戻って自分自身のやりたい「研究」をやることにしよう(決して逃避ではありません)。

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