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「国定制へとずり落ちた」

先週土曜日は、印刷博物館での梶山先生の講演ならぬ、館長さんとの対談を聴きに行ってきた。
 対談のテーマは「日本の近代教育発展に果たした教科書の役割」。
 明治から戦後に至るまでの教科書の変遷を辿るもので、館長が進行役になり、一つ一つのトピックに先生が応答する。時折、スクリーンに当時の教科書の画像を映したりしながら、和やかに話が進んだ。
 やっぱり面白かったというか、梶山先生が一番熱っぽく語っていたのは、すでに聞き慣れていたことだけれども、先生の面目躍如たる「検定制から国定制への転換」にあたる明治後期の話だった。
 教科書国定化への流れを、内容統制という「官の力」と見るのではなく、教員・教科書に対する権威の失墜に伴う「検定制の崩壊」の結果だと捉える、通説とは異なる独自の見解を改めて先生は強調していた。文部省の側から自由採択制をめぐる議論が出されていたにもかかわらず、採択合戦をめぐる教育関係者の数々の汚職(教科書疑獄事件)によって、国定教科書へと方向転換していく。それゆえか、国定化への議論にあたっては、「教科書の中身がおかしいから、国定にしろ」といった内容統制に関する議論はなかった―、という具合だ。〈国家・官・行政・政策サイドの内容統制〉対〈現場・民・教育運動による対抗〉という二項対立図式に囚われては出てこない、史料を幅広く渉猟しなければ出てこない見解である。

 戦後の、教科書墨塗りの実態をめぐるフロアとの意見交換もおもしろかった。「地域による墨塗りの仕方の違い」(頁を切り取ってしまったり、墨塗りの頁を縫い合わせてしまったり)はなぜ出てきたのか。どうやったら調査可能か見当がつかないが、ひじょうに知りたいところだ。

 なお、梶山先生の著書、『近代日本教科書史研究』は、現在京都大学学術情報リポジトリのウェブサイトから全文読むことができるようになっている。
 
       ◇

 その夜は、大学院生時代に有志で結成した読書会のメンバーと、神楽坂で軍鶏を食べる。
楽しかったと同時に、なんか大人になってしまったなぁとしみじみ感じてしまうひと時だった。
今やメンバー全員が仕事持ちの上、仙台在住がいなくなり、東京在住が主流になってしまう日が来ようとは。
 また来年もやりましょう。今度はしっかり温泉合宿というかたちで。

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すでに指摘されていたことではあるけれど…

 日本教育史に関わる地方の学事関連文書の散逸、廃棄もすでに懸念されているところではあった。
 こうした記事を読むと、改めて残念である。

◇「公文書散逸の危機 平成の大合併後、旧庁舎などに置き去り」@河北新報・東北のニュース、2009年9月10日。
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/09/20090910t71005.htm
 
 平成の大合併後、旧町村が保存してきた公文書が廃棄や散逸の危機にさらされている。昭和以前の歴史的・文化的な価値の高い資料も多いが、出先機関の総合支所となった旧庁舎に置き去りにされたままのケースも目に付く。全国では大量廃棄の事例が報告され、東北の自治体でも庁舎建て替えの際に邪魔にされたり、組織改正や異動で旧町の実態を知る職員が少なくなったりすることが懸念される。専門家は「早く精査して保存すべきだ」と訴えている。(編集委員・大和田雅人)
 大崎市は3日、総合支所職員を対象にした文書保存説明会を開いた。市政情報課の担当者が大まかな整理の仕方と目録の作り方を指導した。
 合併から約4年。文書は旧古川市を含む七つの庁舎にばらばらに保管され、「手付かずの状態で何があるのかも分からない」(同課)という。
 限られた人員の中、取りあえず廃棄は避けようというのが説明会の狙い。総務省が3年前、歴史的文書の保存を求める通知を出したことも背景にある。登米市は各支所から閉校した小学校の校舎に運び込むなど、緊急避難的な措置を取った。
 問題は膨大な資料群の選別だ。公文書の分類法は二つあり、起案の段階で永年、30年、10年、5年、3年、1年と保存期間が決められた文書は、年限が過ぎたら事務的に処分される。その中でも歴史的、文化的価値がある場合は保存に努めると規定されている。
 歴史資料は議会議事録、市街地図などが考えられるが、はっきりとした定義はない。栗原市総務課は「基準をどう明確にするかが課題」と悩む。
 秋田県公文書館は3年をかけて、県内の旧69市町村すべての保管状況を調査した。担当者は「明治以降の議事録を見事に残している市があれば、そうでない自治体もあった。選別の判断も人それぞれ」と明かす。
 選別は建設部局、教育委員会など縦割りで行われる。「職員には歴史的観点を意識するよう指導しているが、判断に迷うだろう」(大崎市)というのが実情だ。
 仙台市には苦い記憶がある。昭和の合併で消滅した生出村(1956年編入)、七郷村、高砂村(41年編入)などの公文書が合併後にほとんど廃棄されていた。
 仙台市博物館は編さん中の「仙台市史」の特別編で旧村特集を発刊する予定だが、資料不足で難航している。鵜飼幸子編さん室長は「街の移り変わりや住民活動など地域の歴史が詰まっていたはず。平成の合併では同じ轍(てつ)を踏まないでほしい」と話している。

◎保全のポイントは?/精通した職員配置必要/平川新東北大教授に聞く

 古い公文書の保存に当たって何がポイントになるのか。旧家の古文書保全などに取り組んでいる平川新東北大東北アジア研究センター教授(日本近世史)に聞いた。
 貴重な史料は文化財に指定されれば残るが、現実には未指定の公文書などに貴重なものが圧倒的に多い。行政はこれから、永年保存や10年保存など規定に従って機械的に選別するだろう。歴史的文書があった時、専門家でさえ迷う判断を一般職員ができるだろうか。
 公文書には政治の意思決定、民衆のかかわり方など後世に研究価値の高い記録が多く、捨てられたら手掛かりが失われる。小さな自治体が研究者を雇ったり、公文書館を建てたりするのは無理があり、せめて文化財などに詳しい職員を文書担当にして長く配置することが望ましい。史料は百年後、千年後に評価されるという観点が必要だ。

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[本]『教育と平等』を読む

■苅谷剛彦『教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか―』中公新書、2009年。

 戦後日本にとって
 格差をなくす とは
 こういうことだった― (帯文より)

 『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書、1995年)の裏面史ともいえる、苅谷氏の戦後教育社会論。同書もまたひじょうに中身の濃い充実した内容となっている。
 アメリカと比較したとき、日本の戦後教育において「平等」とは、どのようなことを意味し、その具体化のプロセスとは、いったいいかなるものであったのか。
 本書では、「面の平等」(⇔「個の平等」)というタームを用いながら、教育の機会平等をめぐる〈システム〉構築へのきわめて特異なプロセスを浮き彫りにしている~個人の能力の差異を初期条件として設定し、その差異に応じて学習の個別化を図るのではなく、教育条件自体の均一化(均質な時間と空間を用意し、そこで繰り広げられる教育・学習においても、等量・等質をめざす。その象徴としての「学級」)を図り、むしろ個々人の差異を目立たせずに、平等状態を仮構する。個人を単位に平等を考える「個の平等」とは異なる「面の平等」~。
 「文部省」(教育政策)対「日教組」(教育運動)という二項対立的な図式に左右されない、その底流(本書では「義務教育におけるお金(税金)の動き」)へと目を向けた「歴史」のかいくぐり方には、研究者として強い感動と憧れを抱く。
 「歴史」を扱いながらも同書が問いかけるものは、きわめて現代的な課題にも迫るものである。
 教育条件の均質化のために、戦後日本が選択した「平等」のシステム。
教育格差が問題視される今だからこそ、改めてこれまでのありようを冷静に議論する必要があると、本書はそう我々に問いかける。

  ◇  ◇

 「あとがき」で苅谷氏が記している研究手法・スタイルをめぐる以下の言辞には、教育史研究者(の末端)として自らの手法・スタイルを反省させられる(そして、「では、どうすればよいのか」と途方に暮れる)。
「…本書は私にとって思い入れの強い本である。ひとつには、いわゆる「言説研究」とは異なる類いの知識社会学的研究のあり方を示したいと思ったところにある。古い雑誌や文献から言葉を拾い集め、それらの関連性をもとに、ある時代の社会意識、メンタリティ、「時代精神」を取り出す。そういう研究スタイルの流行が、教育の社会学的研究でも続いた。だが、取り出された言葉をもとに、パッチワークのように再構成されたある時代の時代意識なりメンタリティが、どこまでその社会に根深く埋め込まれた基底的な知識にまで到達できているか。私自身のこれまでの研究を含めて、隔靴掻痒の感を持っていたのである。文献に残された「言葉」だけに頼らずに、「言説と実態の二分法」にとらわれずに、ある社会のある時代の基底にある「知識」を取り出すことはできないのか。財政の仕組みとその実際の動き(お金の配分のあり方)への着眼には、そのような方法論的な企図があった。語られない部分を含めて、ある社会のある時代の「知識」に迫りたい。それがどれだけ成功しているかは読者の判断に任せるしかない。ただ、資源配分に埋め込まれた基底的な「知識」が、私たちの社会や教育のあり方に影響を及ぼしていることを幾許かでも示せているとしたら、このような研究スタイルにも多少の意味があると言えるのかもしれない。」(284頁)

(mixi日記9月7日から転載)

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