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忙殺のシーズンを終えて~授業の反省~

 自分に課せられた校務(成績評価、入試監督)も一区切りし、何とか赴任一年目を乗り越えられた気分である。
1月~2月は大学教員にとって超多忙な時期であることは、学生時代からよく知っていた。状況はどの大学でもあまり変わらないようだ。
 一区切りついたことの安心感~少々燃え尽きた感もあるが、そうだらだらしてもいられない。
まだ書かなければならない原稿があるし、新年度入学生の(入学前)課題レポートも読まなければならない。
在学生のインターン実習日誌を読む作業も残っている。教員志望学生の指導もある。
 さらに来年度は、(まだ2年目なのに)たいそうな委員会に入ることも予定されていて、今年以上に大変になりそうな予感。
  今のうちに、少しでも貯金(教材の準備など)をしておきたい(が、結局しないんだろうなぁ)。
 
  ■  □  ■
 
  今年度、自分の担当した授業は、ほとんどが100~200名の大教室での授業だった。毎度毎度、精神的・肉体的疲労が溜まった。
  「教育原理」「道徳の指導法」といった、昔から人気のない二大科目も担当した。学生の保護者の中には当然、学校教員の方もいるため、「親から教育原理はつまらないと聞いていた」などという情報を事前に仕入れている学生もいる。自分には最初から分が悪いというわけだ。
 それでも、熱心な学生たちからは「どんなことを学ぶのか疑問だったが、とてもおもしろかった」という感想をもらえた。
 とにかく、一方的な伝達にはならないように机間を歩き回っては積極的に発問し(来年度は万歩計を身につけて授業しようか)、毎回コメントを書かせるなど私語・居眠りする暇を与えないように注意し、教育の最新事情についても十分にふまえた授業を心がけた。

 それでも、やはり「講義」になってしまった感がぬぐえない(残念ながら、今の大学では、「講義」は学生に対して効果を及ぼさないし、学生も受け身の姿勢を望んでいない。「講義」を捨て、「授業」をしなければならない)。
 とくに日本教育史の授業ではそうなった。この授業も200名近くの学生が押し寄せたため、授業の準備にはかなり苦労した。これだけの人数での「教育史」授業など学生時代には経験したことはないし、そもそも「講義」と少人数の「演習」のイメージしか、自分の頭にはない。大人数・大教室という制約下で、いったい、どんな発問・指示や授業活動がありうるのか。
  映像・図像資料をふんだんに用いた授業を展開したのだが、その結果、最後の授業で書いてもらった学生の感想(「どの授業がもっとも印象に残っているか」、「もっと知りたいと思った事柄はなにか」)では、ビデオを見せた授業にほぼ全回答が集中した(4本ほどVTRをみせたが、「明治教科書疑獄事件」が意外に高評価、そのほか鈴木三重吉の『赤い鳥』-「童謡誕生物語」、など)。「もっと、そういう授業を増やしてほしい」と。
 そのテの反応が来ることは十分予想していたので映像資料を多用したわけだけど、そうなると、内容をある程度絞らなければならない(ビデオをみるとそのぶん時間がかかるし、内容についての解説などもしないと授業にはならない)。
  当初、この授業では戦後・現代までを授業計画に組み込んでいたのだけど、結局、今年度は戦後初期までしか教えられなかった。

  スコープとシーケンスへの視点。この見通しが、今年は甘かった。
自分が知っている教育史の枠組みがモザイク的だ(明治-教育政策史、大正-教育実践史、運動史、昭和-ファシズム教育史)というのも頭を悩ませた。
 どのような問題認識(テーマ)を設定すると、学生は歴史に入りこみやすくなるか。
それをふまえながら、来年は授業を計画する必要がある。
 加えて、学生に史料解読などの作業に挑戦させるなど、授業に主体的に参加できる仕組みについても考える必要があるな。

 まぁ要するに、“FDがどれだけ重要か”ということを思い知った1年だったわけで…。

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