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恩師との別れ

 先日、お世話になっている居合道道場の代師範先生が他界された。
昨年上京して、こちらの道場の門人になってから、たいへんお世話になった先生である。
 私が初めてお会いしたとき、すでに先生は脳梗塞を患った後だった(先生曰く、「死にかけた」)が、その不自由な体をおして道場に通われていた。今年初めに体調を崩され、何とか門人一同快復を願っていたが、その願いは叶わなかった。
 
 先生は、もともとは校長先生を歴任した、高校の先生だった。
数学の先生らしく、きわめて論理的・合理的に、とてもクリアに、居合のそれぞれの型や動作の、業としてもつ意味を指導してくれた。
「理論的であるということはすぐれて実践的なのだ」。先生の一言一言からは、そのような思いが強く感じられた。
居合という、ともすれば、非実践的と思われがちな型(=理論)の持つ本来的的意義(このように実践的に想定できるから、このような型で動かなければならないのだ、という理合)、そして、形にとらわれて満足し、思考停止する居合道家の現状への痛烈な批判が、そこには込められていた。

 先生は、「どうすれば、(弟子・教え子に)よく理解してもらえるか」という、いかにも教育者らしい姿勢を常に持ちながら、道場で接してくれていた。先生の放つ一言一言は、いつも心に響くよう練られたものだった。
「〈貯金〉になるよう稽古しなさい」と、道場に通いはじめたころ指導された。抜付け・切り下ろしのときの手の内、初発刀抜付け時の左足爪先(しっかりと地に対して垂直になっており、蹴り出せる体勢か)、そういった細かい部分をおろそかにせずに日々稽古するのとしないのとでは、将来、その差が大きなものとして露呈する。同じ間違いを指摘されないよう、常に頭を働かせて意識的に稽古せよ、という教えであった。
 そして、昨年暮れ、私にとって遺言になってしまった先生の一言は「爾(汝)の知をゆるして会をゆるさず」というものだった。
頭で理解しても、それで満足してはならない。実際の行動、身体の運用が頭で思っているとおりとは限らない、たから、自分を驕らずたえず内省を心がけよ、という教えだ。
  このような先生からの一言一言は、(技術的なことも含め)忘れないよう稽古ノートに書き続け、今に至っている。大事な宝物だ。
 これから、もっと大事なことを時間をかけて教わるはずだったのに、と思うと、本当に残念でならない。  今はただ、本流(本道場)の居合継承のために、日々稽古に精進すると決意する次第である。
 
合掌

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