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ある授業での失敗

 秋期(後期)の授業は1月中に終わったのだけど、それ以後も切れ目なく校務が続いていて、なかなか落ち着いて自分の研究をする時間を取れない。目下、AO入試合格者の入学前課題である論作文の添削をしているのだが、常体・敬体の混乱はもちろん、誤字・誤読、原稿用紙の間違った使い方、字の汚さなど、こちらの読むモチベーションをひたすら下げることに長けた強者答案に苦労している。
 新年度も、学生の対応には苦労しそうだ。

 ■  □  ■

 今年度担当した、日本教育史の授業で忘れられない場面があった。
 ちょうど、戦後を扱うところだった。
 1945(昭和20)年8月15日の新聞記事一面(コピー、朝日新聞「戦争終結の大詔渙発さる」)を学生に見せ、その記事を読んで「不思議な点」を答えさせるという授業だ。
 一面には、終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)が載っている。日付は、8月14日だ。それが、8月15日の朝刊(当時は、紙も統制されていたから夕刊ではない)に載っている。
 しかし、我々国民が有する終戦の歴史的記憶は、玉音放送がなされた「8月15日の正午」に集中している。天皇の肉声(=決断)で、戦争が終わったのではなかったか。この(詔書の日付、15日の朝刊、そして玉音放送の時間帯それぞれの)時間的誤差をどう考えればよいのか。玉音放送の前に、国民は、戦争終結の事実を新聞等を通して知っていたのか―。

 学生には、そのような思考を期待していた。とはいえ、いきなり「不思議な点」と言われても難しいだろうから、詔書に記された日付に注目させるなどしたのだが、どうも学生の反応が鈍い。

 そこで、「終戦記念日(終戦の日)はいつ?」という発問を、目の前に座っていた学生にしてみた。ところが、答えが返ってこない。これにはさすがに驚き、「終戦記念日を知らない人は?」と他の学生にも聞くと、少なからぬ学生が手を挙げるではないか(受講生140人中、30人はいただろうか。それも、前方に座っていて自分の目に入り込んだ学生数でその惨状であり、手を挙げなかった後方の者のなかにもいたはずだ)。
 もし、ここで、「(降伏文書に調印した)9月2日ではないのか?」などといった答えが返ってくるなりしたら、そこから、「つくられた終戦の記憶」(「八月一五日の神話」)について議論できたが、さすがに、そこまでは求めていない。
 さしあたり、「8月15日」という常識をベースとして、記事の「不思議な点」を読み解く議論を展開できれば、そして、学生がその常識(ステレオタイプ)を突き放す楽しさを経験してくれれば、と思っていたが、そんな私の思惑はもろくも崩れ去ってしまった。逆に、「今の大学生の学力」の実態についてネタにできるような貴重な経験を、自分が得てしまったわけである(まあ、この種のエピソードは、他の同僚の先生方からも聞いてはいたが……)。

 ただ、フォローするわけではないけど、ある学生は、「たしか、この日の新聞は午後に配達された(情報操作された)のではなかったか」という正解を知っており、これには、救われた思いだった。一方で、そういう学生もいるわけだから、受講する学生の知識量には相当の開きがあるということである。そんな学生達100人以上を、一括りにして教えるというのは、ずいぶんと至難の業だ。

 いずれにしても、授業開始にあたっては、受講する学生の所有知識の実態を事前に調査しなければならない。そこから授業を出発しなければ。そこを怠っていたことは、反省しなければならない。
 ただ(自分の意地悪な質ゆえか)、調査するだけで、その結果を自分のなかだけにとどめるのではなく、本学の全教員が毎年度書いている(書かされている)FD授業改善報告書に載せ、広く知らしめてやろうと企んでいる。今年度は今月末〆切で書くことはもう決まっているが、来年度は―。

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