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被災地にて

 前回のエントリで書いた通り、先週末、自分はいわきの実家に帰っていた。
本当はGWに帰りたかったが、GW中は(連休にもかかわらず)会議が山盛りのため、断念。
 
 震度6強の地震が襲った実家や近隣の傷跡を確認してきた。
 ウチは置物のガラスケースや食器類が割れた、屋根瓦がずれたなどの被害で済んでいた。ただ、隣の家では、塀がくずれ、道路から中庭が丸見えになっていた。
 ウチや隣家のほうに塀が倒れず、すべて道路側に倒れたのは、幸いだった。揺れの向きが違っていたら、実家の被害はもっと大きかったかもしれない。
 
 家が倒壊するほどの被害は外から見るぶんには、ないようにみえる。ただ、家屋の内部には多大な被害が起こったと予想される。叔母の家では、一階の天井板の一部が折れ、二階部分の重みで沈んでいるという被害を確認できた。
 沿岸部に向かう途中でよくみかけたのは、多くの民家の家にビニールシートが張られてあるという状況だ。瓦がずれる、割れるなどの被害はあちこちにあると考えられる。
 そのほか、波打つ道路、車線が地割れで平行にずれてしまっている箇所、土砂崩れで通行止めになっているところもあった。
 また、何台かのパトカーとすれ違ったが、いずれも地元警察署ではなく他県の、それも福岡など西日本からのパトカーだった。
 自衛隊の車両も見かけた。また、家族に聞いたら、実家近くの陸上競技場には、震災直後は自衛隊のヘリが離着陸しようとする様子がよく見えたとか。  

 沿岸部の被害状況も少し肉眼で確認できた(ちょうど、この動画この動画この動画のあたり)。今回の震災は、やはり津波による被害が圧倒的である。
 沿岸部の惨状はあきらかに別世界とよべるものであった。「これでもだいぶ片付いたほうだ」ということだったが、つぶれた車、瓦礫の山、倒れた橋。そして、一階部分がぺちゃんこになり、二階部分だけになった民家―。
 津波がどの高さまで押し寄せたのかがよくわかる痕跡があちこちに残っていた。そして、それがわかるところは、まだ被害が浅いほうだということも。ひどいところは、もともとここに何があったのかもわからない状況なのだ。

 地震に津波、原発事故、そして、風評被害と偏見・差別―。いわきを取り巻く環境は依然厳しい。
 余震の心配も消えない。
 「FUKUSHIMA」は、もはや世界的に有名な言葉になってしまった(こんなかたちで有名になるとは、やりきれない)。
 それでも、地元は立ち上がろうとしている。いわき駅前は少しずつ賑わいを取り戻しつつある。
「がんばろう いわき」「がんばっぺ いわき」といったスローガンがあちこちのショーウィンドウに貼ってあった。なかには「元気 勇気 いわき」という、何とも語呂のよい標語も。
 また、かつての街復興のシンボルである「フラガール」たちは、全国キャラバンで再び復興のシンボルとして、いわきの元気を伝えることになっている。 
 そして、地元のテレビでよく流れていたこの曲。

 故郷のために、立ち上がってくれている人たちが大勢いる。
 今は確かに辛い状況、二次災害の恐れもある予断の許さない事態が続くが、必ずや立ち直って世界に恩を倍返しする日が来ることを心から願う。

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