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「防災」についての断想

 9月1日は、「防災の日」(「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」日として、1960年に制定)。
 記念日制定のきっかけとなった関東大震災(1923年9月1日)からは、すでに88年の月日が経ってしまった。直接経験による記憶を伝える人はもうほとんどいない。だがそれでも、今年の9月1日は、これまでとちがう、全国の国民各々にとっては、強い実感を伴った日だったにちがいない。
 自分の通勤路にある小学校では、保護者を交えた防災訓練が行われていた。保護者への引き渡し訓練を兼ねていたのだろう。私の時代には、このような訓練を行った記憶はないだけに新鮮に映った(事実、3.11の東日本大震災では、学校側の引き渡しをめぐる対応の質が、事態を大きく左右するケースがあった)。

 ところで、「防災」というときの「災」は、具体的にどのようなものを意味しているのか。
たぶん、このように質問すると、多くの人は「天災」=自然災害をイメージするはず。
 だが、3.11以降、深い失望を伴いつつ目にしたのは、天災を契機として吹き出た「人災」のほうだった。天災は一瞬だが、人災はその後も尾を引くことを思い知る。
 被災者や被災地への「差別」がそうである(放射能差別、被災地の薪問題など。米軍基地が沖縄がに押しつけられているように、福島には放射性廃棄物の処理施設が押しつけられるようになる~、福島出身の自分には、フクシマがオキナワ化する予感がたえずつきまとう。「みんなでがんばろう」という言葉が実に空虚なものにきこえる。「みんな」とは誰なのか?)。

 現在、放射能をめぐるさまざまな情報が飛び交っていているが、それらが後の時代にどう検証されることになるのか、いまのうちから注視する必要がある(個人的には、放射線の影響が鈍くなる年齢に達した大人たち=経済成長に伴う生活を享受した大人たちは、自らの社会的義務として、ある程度の被曝を受け容れる責任があると思う)。

 今回の震災の経験を通すと、吉村昭『関東大震災』に記されている「流言」被害の史的意味が、実によく読み取れるようになる。
 大震災に乗じて拡散した「朝鮮人来襲」の流言被害。怖気震うその実態が歴史の教訓として教えてくれるのは、「情報」の重要性である。
 情報を遮断された人たちが、いかに凶行へと向かったか。その具体的ようすがありありと、本書には記述されている。
 本当に怖さを感じるのは、その矛先が「朝鮮人」だけでなく、同じ日本人にすら向いたということだ。
 例えば、秋田出身の労働者・戸差友治郎が、「朝鮮人」との疑いをかけられ、自警団から暴行を受け、警官に助けを求める箇所。

 巡査部長は戸差を訊問したが、かれが秋田県人であることを知ったので、派出所の机の上に立つと、数百名の群衆に向かって戸差がまちがいなく秋田県人であると説明した。

 死の恐怖に襲われていた戸差友治郎は、巡査部長の言葉に喜んで、思わず両手をあげて、
「バンザイ」
 と、叫んだ。

 殺気立っていた群衆は、この戸差の態度に反感をいだいた。そして、
「バンザイとは何事だ。生意気だ、殺してしまえ」
 と、怒声をあげた。

 かれらは、戸差を派出所から引きずり出すと、凶器をたたきつけて殺害してしまった。
そして、その遺体を空俵に包み利根川の畔に運ぶと川の中に投げ込んだ。(「関東大震災の治安回顧」より)
 日本人と承知していながら殺害してしまったのである。(文春文庫版、227-228頁)

  「情報」を失ったときに吹き出てくる群集心理の怖さ、事態を冷静に見きわめられない視野の狭さを理解するのに、典型的な事例である。
 防災教育には、このような、情報リテラシーの視点も必要ではないか。

 今回の東日本大震災でも、差別感情やイデオロギーに基づいているとしか言い様がない、流言・デマが流れた。しかし、それを打ち消す=デマを検証・否定する情報も一方では流れた。
 たとえば、以下。

 *仙台市三条中学校が外国人の心無い行動で避難所機能停止」というデマ

 *【3/22】国際化時代を実感する。

 情報社会における「防災」の一つの視点として、〈情報と判断〉は、今後ぜひとも子どもたちに、具体的事例をもとに考えさせたい問題だ(すでに、震災に乗じた「差別」の問題については、日本環境教育学会によって「原発事故のはなし」などの授業案、教材が作成されている)。

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