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学校建築を見るべきだってか

◇京都では学校建築を見るべきだ @nifty:デイリーポータル

◇東京でも学校建築を見るべきだ @nifty:デイリーポータル

 こういう擬洋風の歴史的学校建築(いずれも大学)をみていると、当時の人たちが、いかに進んだ文明に心酔し、本気でその様式や技術を取り入れようとしたか、どれだけ本気で新しい知に学び、その世界を再現しようとしたかが伝わってくる(と同時に、理念に欠ける勤務校の建築を嘆く…。やはり、空間の神聖性に配慮することも大事だ。)。

 最高学府である大学は、まさに進んだ知や文化を取り入れる最先端の現場だった。
 今では、皆あたりまえのように使っている「教師」という言葉。今や、全国には百万人を越える数の学校の先生がいるが、もともと「教師」という肩書きで呼ばれた人たちは、欧米から招聘した御雇外国人だったといわれる。
 わざわざお招きした彼らの習慣に合わせて、大学の慣行も形成された。
 一足制(下足のままで建物に入っていいという大学だけの学校慣行はなぜあるのか)、日曜日が休日、夏休み……。今では、あたりまえのように日本人もこなしているこれらの習慣(一足制は除く)もすべて、もともとは彼らの生活習慣に合わせて設定されたものである。

 そうまでして、貪欲に進んだ文化を取り入れ、また自ら体現してやろうという気概が、建築を通して表出されているように感じる。

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