« 2011年11月 | トップページ | 2012年4月 »

鉛筆の持ち方を知らない学生たち

 昨日から、本学は定期試験期間に突入。
 例により、試験監督の任務をこなす日々がやってきた。
 年々、担当のコマ数は減ってはいるものの、やはり最下層の教員には多くの回数をこなさなければならないノルマが課せられる。 

 試験監督として学生たちの姿をみていると、ある衝撃的な事実に気づく。いや、正確には、これまでも気づいていたが、もはや無視できないほどその深刻さが増している、否応なく突きつけられている、というべきか。
 
 それは、ほとんどの学生の「鉛筆の持ち方」がおかしい、という事実である。
 正しい持ち方をしているかどうかの観察は、(あくまで個人的にだけど)入試の監督をしているときにチェックすることが多いのだが、今日、監督をしたある学部の学生たちと比較すると、本学受験者(高校生)よりも、現役大学生である彼らのほうがひどいありさまである(入試監督をしていても、ここまでの例は見たことがないほど。いったい、この学生たちはどういうルートで入学したのだろうかと疑問視せざるを得ない)。
 とにかく、すさまじい。「どんな握りしてんだぁ~?」と、心のなかで突っ込まずにはいれらない(鉛筆の持ち方については、例えば、こちらのサイトを参照)。とはいえ、試験中にそんな指導はできないので、顔をしかめるだけにとどめているが。

 なぜ、このような実態になっているのか。これは、教育の実践的課題として、大学教員も取り組むべき問題になっているのではないか(少なくとも本学では、以上のような事態が眼前にある)。

 この問題は最終的には、“文章を読み書きする〈からだ〉をいかにして作るか”という課題になってくるはずである。 

 学生たちに書かせた字を見て見ると、例えば、次のような特徴が浮かび上がってくる。
 ・汚い(丁寧ではなく、終始なぐり書きのような字体)
 ・うすい(力がこもっていない)
 ・小さい、細かい(年寄りの先生には読むのが厳しい)
 
 これらの問題を改善するために、単に「正しい持ち方をしよう」と呼びかけるだけでは、だめである。
 ・文章を書く身体感覚をどう磨くか
 という問題として捉え直す必要がある。
 つまり、書くことで確かな感触(筆触)を得られている、というある種の快感を学生たちが実感できるようにならなければならない。

 そのためには、論より実践であり、文章をたくさん書く経験をさせなければならない。
 
 しかし、それ以前の基礎的な指導の一つとして、私は、学生に「鉛筆」を持たせるべきだと提案したい。
 
 先に、「学生の鉛筆の持ち方がおかしい」と、述べた。しかし、実際には「鉛筆」を持っている学生は皆無である。学生が使っているのはシャープペンシルである。
 私も、シャーペンは使うが、基本、何か書き物をするとき(とくに、抜き書きなどである程度の量を書かなければならないとき)には鉛筆を使うようにしている。
 それは、鉛筆には、独特の「ぬくもり」~鉛筆でしか体感し得ない「やわらかい」書き心地があるからである。これは、どんなシャーペンでも表現しえない。シャーペンだとどうしても「固い」のだ(だから、シャーペンを使うときには、芯をBか2Bにして使っている)。
 「カーボン竹刀よりも、やっぱり竹の竹刀でなければダメ。手の内の感触が全然違う」というのと、理由が似ている(剣道経験者ならわかってくれるはず)。竹の竹刀(という言い方も変だが)は、使っているとすぐにささくれだって使い物にならなくなる、ささくれだった表面を削ったり油を滲み込ませたりといったメンテナンスが面倒だという難点がある。しかし、だからといって、全日本選手権に出るような一流の選手たちが、本番の試合でカーボン竹刀を使っている例をみたことはない。それは、竹の竹刀によってこそたしかな手の内を会得できるからであろう。
 素人でしかない、私の感覚で言えば、竹の竹刀を使いたがるのは、そちらのほうが「やわらかい」(打ったときの感触が気持ちがいい)からだ(竹のほうがカーボンより軽いという理由も、大きいけど)。
 鉛筆の話も同様である。シャーペンは確かに便利である。鉛筆とちがってこまめに削る必要もない。だが、そのことが、かえって、筆圧などの繊細な感覚を鈍らせている可能性がある。


 問題を整理すると、本学の学生たちは、
・書く経験をほとんどしてこなかった(稽古を積んでこなかった)。
・だから、鉛筆かシャーペン、どちらを使うかといった問題を考える必要がなかった(道具・武器そのものへのこだわりを意識しなかった)。 さらに言えば、その他の文房具(例えば、消しゴムや筆入れ)などについても、ほとんど頓着していない様子がうかがえる。 
・鉛筆の持ち方(手の内)そのものにも、意識を向ける必要がなかった。
・結果、ある程度、長い文章を書かせると、手が痛くなって疲れるから、字が汚く、小さく、そして、うすくなる、という問題が生じる。
 ということになろう。

 であれば、以上の事態を改善するためには、何よりもまず、学生達に書かせ鍛える経験を積ませ、“文章を書くための〈からだ〉を形成させる”必要がある(例えば、視写読みのように)。
 その際に、道具(武器)の重要性と効果~いかに、快適に書くことができるかという感覚~にも気づかせる指導があるといいきっかけになるのではないかというのが、今回の試験監督の経験を契機として、思いついたことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年4月 »