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教壇が消えたことは何を物語るのか

〈動画〉

教壇が消えた日(1/2)

教壇が消えた日(2/2)


  1997年に放送されたもの。
 自分の学校教育の記憶には、教壇は存在しない。いや、もしかしたらあったかもしれない。だが、その重要性などまったく考えたことがなかった。だから、このような問いを突きつけられると、思わず唸ってしまう。
 しかし、この問題=「教壇が消えた」ということを「教師の権威を剥奪してきた結果だ」などという見方でのみとらえることには、少々疑問をもつ。〈一斉教授法―教師が前に立って、知識を一方的に児童生徒に伝達する―という旧態依然とした教え方への批判〉の視点もそこにはあったはずだからだ。他国の教育の現状と比較すると、教壇に立って教師が一方的に大勢の(40名ほどの)生徒に教えるというやり方自体、「博物館ゆき」といってよいほどに時代遅れの発想であることに気づかされる。
 
 おそらく、この放送がなされた当時は―「総合的な学習」「指導から支援へ」さらには「学級崩壊」などで議論がもちきりだった当時においては―、「教師の権威の剥奪」「教師と生徒は平等」などと捉えるのは、それなりに説得力をもつストーリーだったのかもしれない。だが、それから10年以上たった今は、「教壇」はおろか、「教室」という常識をもくつがえす校舎設計(オープン・スペースなどの設計)がなされている。教壇がなくなるくらいではまったく驚かない状況である。今や、「(近代)学校」の枠組み自体が、根本から揺らいでいるといっても過言ではない状況である。
 また、今は黒板も可動式(高さを調節できる)が普及しはじめている。子どもに答えや意見を板書させるなどの実用的な面からみても教壇の必要性はかなり薄まったといってよい。
 「教師の権威が剥奪される」以前に、まず一斉教授のようなやり方では、児童生徒が学ばなくなった(80年代には校内暴力や非行、いじめ問題。90年代の後半からは「学びからの逃走」―映像に出てくる佐藤学さんの表現―。ちなみに、「教師の権威が剥奪されたから、児童生徒が学ばなくなったのだ」という見解を私は支持しない。両者は自明の連結関係にはない)。では、どうすれば学ぶようになるかを現場教師たちが試行錯誤するなかで、教壇の重要性・必要性が消えていったというのが実際のところではないのか。教壇は、多様な授業法を実践していく過程においては邪魔なものでしかない。教壇があるということ自体、一斉教授という行為を教師にアフォードしているからだ。 
 それに、一斉教授の放棄=教育の放棄ではないだろう。授業に真剣な教師ほど黒板の前に立ち尽くすことなく、生徒の学習状況をこまめに把握したり、生徒の発言を促すために教室内をよく動きまわるはずである。そのような教師にとっては教壇は不可欠なものではない。
 「教師の権威の剥奪」でも、「教師が教育を放棄した結果」でもない。教育の多様性が考えられていく中で教壇の必要性がなくなっていったというのが実態ではないかと、私は思う。
 そして、そのような発想の萌芽については、すでに大正新教育の時代にまで遡ることができるはずである。
    ◇   ◇   ◇
 ちなみに、大学ではまだまだ教壇は健在である。大教室ほどそうだ。自分の勤務校の場合、小さい教室にも突如教壇が入れられたことがあった(そのせいで、何度かつまづいたこともあった)。ほんの数年前の話である。だから、今は教壇は製造されていないというわけではない。実際、コクヨなどの大手メーカーのサイトにアクセスすると、教壇をみつけることができる。
 そんな、大学で教壇に立っている者の立場からいえば、教壇ははっきり言って邪魔である。
 正確に言えば、教壇が備え付けられている大教室(しかも、机が固定式)で教えるということにストレスを感じる。一斉教授がストレスだと言い換えてよい。学生の私語は大教室ほど、そして、一斉教授のときほど顕著になるからだ。私語をさせないためには、教壇の上で一方的に話し続けるだけではダメである。たえず学生のところに下りていって、発言を頻繁に求めたり、ひんぱんに書かせたりして、それを机間指導する必要がある。大学で話すより、高校までのような一クラスほどの規模で授業するほうがどれだけ楽かと思うことも屡々である。
 教壇の上で話し続けるのは教員としては楽ではある(ただ、一方的に台本通りに話していればよいのだから)。だが、それでは学生もたるむ。できることなら教壇もない、少人数の教室で学生を教えたいというのが、少なくとも自分の勤務校では、教員共通の願いであるといってよい。

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