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振り回される大阪市の中高生達が不憫でならない

 大阪市立桜宮高校の生徒自殺をめぐる、この間の記事のいくつか。

クリップ橋下市長、普通科入試も「校長や教員の総入れ替え」が条件 桜宮高2自殺@産経新聞、2013.1.16
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130116-00000601-san-soci

クリップ大阪・高2自殺:橋下市長、入試実施なら「予算執行せず」@毎日.jp、2013.1.17
http://mainichi.jp/select/news/20130118k0000m010073000c.html 

クリップ橋下発言に中学校長会が反発 「入試行うべきだ」@朝日新聞デジタル、2013.1.17
http://www.asahi.com/national/update/0117/OSK201301170063.html 

 一連の記事をよんで、思うこと。
 「そろそろ大阪の人間や日本国民は、橋下という人間のやり口を把握したほうがいい」。
いいかげん、わかっただろう。こういうかたちで、教育行政に余計な介入をして、行政にも現場にも混乱を来す。
 一連の過激な主張(=敵をつくりだすこと)を打ち上げることで、自身のポジショニングと、その正当性を確保する。
 その勢いに流されて、市民も、何となく問題の矛先を市教委や当の学校へと眼を向ける……。

 もちろん、市教委や当の学校に全く非がないというのではない。
 だが、「すべてを断ち切る」などの心地よい主張は、何も現場の問題状況に根ざしていない、それこそ空論というやつである。自転車を走らせながら、運転手だけを代えるようなアクロバティックな発想であって、かえって大事故になる可能性が高い。

 具体的に考えてみる。

○「校長や教員の総入れ替え」をすると何が起こるか

 もちろん答えは、「何もその学校の事情を知らない教員が多数赴任する」というわけだけど、それがどれだけ、学校経営にとってコスト・パフォーマンスのかかることか。
 赴任した教員の負担は、それはもう大変なことになる。公立学校ならどこも同じだろうというのは、大きな間違いである。

・生徒指導の一貫性・継続性がまったく保てなくなる。何も知らない生徒達を一から把握することがどれだけ大変なことか。
・学校行事(桜高祭など華やかな行事があるようだが、それ)の一貫性も保てない。「それすら壊して、一から作り直せ」というのだろうか。そんなことになれば、そのうち教師が過労死する。
 生徒もそんな学校経営のあり方に不満をもつことになるだろう。
・それに、同校のHPを覗いてみるといい。校舎もスポーツ施設もかなり立派である。各施設の使い方を熟知する人間がいなければ、そこにまた安全面などでいろいろな問題が生じることになる。
 さらに入試を中止して、生徒が入ってこないとなれば、市民の税金によって維持されているそれら施設のムダ遣いではないか。
・そして、教員人事を考える、教育委員会事務局の余計な仕事が増えることになる。
 どうやって、同校に赴任する教員を選ぶべきか。例えば、「その学校の卒業生で市や府で教員をしている者=学校の事情をよく知る者を赴任させても、また市長が文句を言うだろう。じゃあ、どうすれば……」といった、余計な気苦労をすることになる。というか、すでに教委事務局は、市長と校長会との板挟み状態である。

○「募集停止」をすると何が起こるか

・すでに指摘されているように、同校を志望していた生徒達は困ることになる。
 志望していた近くの公立校を受験することができず、コストのかかる(交通費等)別の学校ヘ行く選択を、場合によっては迫られることになる(市長に言わせれば、それは「自己責任」ということになる)。
・市内の中学校(場合によっては、市外も含む)ではすでに進路指導を終えて、これから受験に向けた最終確認の時期に、再びゼロから指導をやり直さなければならなくなる。
・高校側も入試に向けた準備態勢を整えていたはずだが、市長に横やりを入れられ、宙ぶらりんの状況になっており、市教委の判断をでるまで何もできない状況が続く。

 市長は、「過去の連続性を断ち切る」と述べているようだが、
 そもそも、同校の「過去」なり「伝統」を、そのような「体罰黙認」「体育会系」の一色で判断してよいのだろうか。
 同校の部活はバスケやバレーだけではない。書道部や美術部などの文化系の部もあるわけで、それらも含めて学校の伝統や校風というもののはずである。スポーツが有名だとしても、その側面だけをみて、一面的に捉えるべきではない(私の勤務校もそうであるように)。体育部で問題が起きたからといって、その部の内情を他の文化系の部・サークルの生徒や教員も熟知していなければならないというのは、さすがに無理がある。

○では、どうするか

・当の現場の、教師と生徒達の声が“組織としてあがってこない”(ようにみえる)ことは、外部からすれば不満ではある。
 外から言われる前に、自分たちで立ち上がる方途はあるはずである。
・その学校の「伝統」というものは、昔から全く変わらない自然なもののことを指すのではない。そうではなく、自分たちが選び取ってきた結果、自然と受け継がれている(ようにみえる)もののことを指すはずである。それは、決して、外からの力で簡単に断ち切れるものではない。
 どうにも変えることができないからといって、容易に外から強制的に断ち切ることができるのなら、それは「伝統」まがいでしかない。本当の伝統は、自ら選び取り、さらに自分たちの力で新たに創造していくもののはずである。
・まず、生徒会が立ち上がり、声明を出すべきであり、ついで教師達が今回の事件を総括し、再び同じ問題が起きないための対策を提案すべきだろう。とくに募集停止が叫ばれている体育系の学科から生徒達が中心委員となり、自主的に声を上げたほうがいい。
 それが、新たな伝統を創造する引き金になる。1,2年生が中心になり、積極的に打って出てほしい。
・HPが平常運転なのも、さすがにこの情報社会にあっては問題である。もちろん、学校のウェブサイトというのは、たいていどこも更新が遅い(教員が片手間に兼務しているのだから、しょうがないといえばしょうがない)ことは承知しているが、こういった事件の後には、それなりの対策をとったほうがいい。

 「教員総入れ替え」も「募集停止」も、現場のメリットにはならない。「民間ではあたりまえ」と市長は口癖で言っていたが、そもそも民間会社で社員の自殺など不祥事が起きたときに組織の総入れ替えをするのだろうか? 大規模な事件・事故の場合でも、トップの役職を代えることはあっても、そのみちのプロといえる専門職や実務家まで一挙に代えることはないだろう。民間の常識に照らしても、市長の提案は異常である。
 こういった問題は、まずは、その事件を個別に掘り下げていくことからスタートさせるべきではないのか。同様の事件が起きる度にこんなことをしていたら、そのうち大阪から学校が多数消えてしまうのではないか。
 もっとも、橋下氏はそういった機会をねらっているのではないかと思えてくるのだが、実際、そう予想している人は他にも大勢いるのではないか(教育行政への介入による大幅な教育予算のカットと、いっそうの学校間格差の拡大=進路校・困難校の格付け)。

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