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映画『隣る人』をみる―8年間の映像スケッチが突きつける、〈日常〉の圧倒的な表現力―

 2012年10月12日、本学教育学部こども教育コースの先生方が主催する、映画『隣る人』の自主上映会が大学構内にて開催され、視聴してきた。せっかく映画を無料でみることができるのだから(もちろん、DVDの賃借に学部経費がかかっているわけだが)この機会を利用せねば、というケチな発想もあったわけだが……。
 事前に配布されていた映画の広告や公式HPには、各界を代表する文化人からの賞賛の言葉が記されている。佐藤忠男(映画評論家)、芹沢俊介(評論家)ら著名な専門家から、森達也(作家・映画監督)、俵万智(歌人)、さらにはライムスターの宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティ)などの芸能人に至るまで、賞賛の嵐である。そんなに激賞される映画、いったい何がそれほど人を感動させるのか。ぜひとも、自分の眼で確かめてみたかった。そして、その評判通り、みる者の心を激しく揺さぶるような、素晴らしい映画だった(この機会を利用しなかった学生は、はっきりいってもったいなかったぞ)。
 この映画は、実在の児童養護施設「光の子どもの家」で働く保育士とそこで生活する子どもとの日常の関わりが、八年間分のドキュメンタリーとして記録された映像スケッチである。
 しかも、いわゆる「よくある映画」とは決定的に異なる表現手法がとられている。
 例えば、この映画、ナレーションもBGMも全くない。日頃、テロップや効果音・BGMがふんだんに盛り込まれている騒がしい映像に見慣れてしまっている身としては(それが日常になっている我々の感覚としては)、それが逆に新鮮であり、現場の息づかいをリアルに感じるような、まさに自分もその現場にいるかのような感覚にさせられる。それはいわば、余計な編集・加工をそぎ落とすことにより、監督が回し続けた一台のカメラを通して、施設内の〈日常〉をみるこちらの感性が鏡のように、子どもや保育士の先生たちをみるまなざしに反映する「しかけ」である。つまりは、こちらの「みる眼」が試されている(だから、「みる眼」のない者にとってはつまらないと感じてしまう)、といってもいいかもしれない。私個人としては、この映画を通し、日々の日常生活のもつ表情の豊かさに気づかされた。
 もちろん、日常の事実すべてを映画として画面に流すことなどできはしない。どんなドキュメンタリーであっても、そこには編集者の視点や意図が必ず働いている。例えば、この映画で意図的に取り入れているといえる数少ない効果音は、保育士さんが夜明けの台所で朝食をつくるときの包丁がまな板をたたく音である。その使われ方には、ドラマのような終りはない、繰り返す〈日常〉のリアリティを表現したいという編集者(監督)の意図を感じる。
 さて、この映画のタイトルになっている「隣る人」。もちろん、これは造語であり、ワープロで変換しようとしても出てはこない。「光の子どもの家」の設立者である菅原哲男氏(もちろん、この映画にも登場する)が提起した概念であり、「絶対的に信頼できる人」、「絶対依存ができた人」のことをさす。この映画が示す児童養護施設の現実を捉えるうえでの、あるいは、その現実を通して照射される我々自身のこれまで生きてきた現実の捉え直すうえで、重要なキー概念である。
 この映画から子どもたちが、そのふるまいを通してわれわれに訴えるのは、絶対的な愛情を注いでくれる、自分にとって「軸となる存在」を求める切実な欲求である。子どもであればそれは当然に持っている欲求であり、われわれもまた、そのような「軸となる存在」に支えられてここまで成長できているわけであるが、しかし、大人になってしまうとこの前提を忘れてしまいがちである。さらに言えば、自分がそんな「軸となる存在」=「隣る人」に迷惑をかけ続けながら成長したのだという前提を忘却しつつ、自分の子どもには「パーフェクト・チャイルド」志向で、過度に大人のエゴを押し付けている(「早期教育」などの)傾向はないか―。
 子どもは本来、いたずら好きでわがままで、ときに憎たらしい存在である。そして、誰しも、そんな子ども時代の「悪の体験」を経ることによって人間として深みのある存在に育っていくということは、『トム・ソーヤの冒険』などですでに示唆されてきた重要な教育的知見である。「光の子どもの家」で過ごす子どももまた、そんな人間としての深みを潜在させたわんぱくで純粋な子らである。ノートに「大好き」という言葉を書きなぐる子、配置転換で担当から外れることになった保育士の先生を泣きわめきながら食い止めようとする子……。
とくに、この映画でクローズアップされている一人であるムッちゃん(母親の育児放棄のために施設に預けられている)と保育士や菅原先生をはじめとする施設の人々との関わりには、みていて感動を覚えずにはいられない。一人で遊んでいるときにカメラを向けると汚い言葉を吐いて悪態をついたりする一方、マリコさんに絵本を読んでもらいながら素直に眠りにつく姿などはじつに可愛らしい。そして、実の母親とどう接して良いかわからないと訴える姿、母親の彼女に対する対応や何とか母親との関係を取り結ぼうとする施設の人たちの苦心からは、今の子育てをめぐる冷酷な現実の一端が垣間見えてくる―。
 「子どもが好きだから」という理由で教師を志す学生は多い。だが、その場合の「子ども」とは、自分と気の合う子どものことだけを指していないか。それは、子どもという存在の半面しか見ていないことになるだろう。
 マリコさんは「どんなムッちゃんも大好き」と彼女に伝える。そんな「隣る人」が発する一言の暖かさ・頼もしさを、最後のムッちゃんの表情は証明していたように感じた。 

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『隣る人』
2011年/日本/カラー/85分
制作・配給:アジアプレス・インターナショナル
監督:刀川和也  企画:稲塚由美子
文部科学省認定(青年・成人向き)

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