« 映画『隣る人』をみる―8年間の映像スケッチが突きつける、〈日常〉の圧倒的な表現力― | トップページ | 平成も四半世紀 »

教育実習事前指導での衝撃的な体験

 新年度が始まって、早くも疲れる仕事を一つこなしてきた。教育実習の事前指導である。その最終日に実習予定学生の模擬授業指導に協力するのが、昨年に引き続き自分の役目だ。たった一日だけの協力だったが、それでもすさまじい徒労感におそわれた。
 自分は、高校公民で実習を予定している学生の担当であった(毎年、社会科・公民科教育法の担当もしているので、実習に送り出す最終責任を果す役割があるという理由から)。実習責任者の先生から学生たちに与えられていた模擬授業の課題=単元名は「権力分立と司法権」。授業計画を立てるのが、なかなか難しい単元である。
 もちろん、単元の内容を学ばせるだけのネタは、そこらじゅうに溢れている。だって、自分たちが今現在生きている社会の問題を扱うのだから。少なくとも、教材には困らないはずだ。
 
 だが、自分には、嫌な予感があった。
 そして、その予感は的中した。いや、「的中」という言葉では生ぬるい。自分の予想をはるかに超えていたというべきか。衝撃的だった。
 全員の提出してきた指導案の学習指導過程が、ほぼすべて同じ=教科書に並んでいる項目通り、という展開である。恐ろしいほど画一的である。
 そして、導入では必ず、三角形の図(わかりますか? 立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)を矢印でつなげるあの図です)を書いて、穴埋めをさせようとする。
 3人目のところで、「もう、いいかげんやめてくれ」と叫ばずにはいられなかった。その概念図を覚えることにどんな意味があるというのか。教科書をみれば載っている。中学校公民の教科書にだって載っている。なぜ、それをわざわざ、教科書を開かせてまで書き写さなければならないのか。
 それ以外でも、学生たちのやろうとしていることは、ほぼすべて教科書に記されている言葉の辞書的説明に終始している。重要なのは、その言葉や概念によって指し示されている社会的事実のほうだろうに。
 なぜ教科書が、一言一句覚えなければならない教典のような扱いになっているのか。
 そして、なぜ、そんなつまらない公民の授業を教える教師になりたいのか。
 公民科ならぬ「興眠科」になってしまうではないか(戦前に、実際に使われていたギャグです)。
 不思議でならない。以前のエントリで書いたように、これではただ「教師」という権威(=自己承認のためのツール)を得たいというだけである。
 うすっぺらい学習指導過程をみていると、彼らがどのように単元内容を学んできたか、その筋道がよくわかる。要するに、断片的な知識の「詰めこみ学習」なのである。そこには、思想も理論もない。だから、「単元設定の理由」や「指導観」「教材観」もうすっぺらい(書いてすらいなかったりする)。「○○○という視点で、自分はこの問題を考えたい」、「△△△という理由から、これは教えなければならない」という問題意識がまったくないのである。
 「単に、教科書に書いていることを繰り返すだけならば、別にお前でなくともよい(お前が教鞭をふる必然性はない)」。これに尽きるだろう。
 高校教員ともなれば、それぞれの教科専門の分野に長けており、自分なりの問題意識をもって日々、いわば趣味で(教材研究に通じる)研究に従事しているはずである(大学教員を凌駕するほどの専門知識を持っている先生もたくさんいる)。だから、教科書にも縛られずに自由に授業計画を立てられるし、またそうしたい欲求をもっているものではないのか。そういう姿勢を持たなければ、以前より受験圧力の弱くなった現在において、生徒の学ぶ姿勢を喚起することはできないだろう。
 
 最後に学生たちに聞いてみた。「君たちは、これまでも同様のつまらない授業を高校生時代に受けてきたのか?」と。皆、一様に「そうだ」と答えた。
 
 高校の先生方、そうなんですか?
 もちろん、「君たちの回答を、半分は信じていない。君たちがそういうふうにしか=詰めこみ学習という形でしか学べてこなかったから、そんな授業のイメージとしてしか記憶できていないのだ。勝手に記憶をねつ造している可能性が高い」と返したが。
 以上が、すさまじい徒労感の正体である。あれだけ指導してもダメなのかという現実を思い知らされたわけである(授業方法は毎年改善しているはずなのに……)。今回指導した学生のなかに、勤務大学の系列校での実習を予定している学生(自分が開講していた授業で悉く低い評価をもらっている学生)がいたので、その系列校から今回協力に来て頂いていた先生には先に謝っておいた。
 事前指導終了後、協力された現場の先生方と飲んだけど、そんな衝撃的な体験の後だったからテンションは上がらざるを得なかった(爆弾低気圧が近づいていようが、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」である)。でも、それは他の先生方も同じ。自分に限らず、他の先生方も半ばキレ気味に学生を指導せざるを得なかったというわけである。
 これが、毎年度スタート時の風物詩というわけだ。ヤレヤレ……

|

« 映画『隣る人』をみる―8年間の映像スケッチが突きつける、〈日常〉の圧倒的な表現力― | トップページ | 平成も四半世紀 »

教育」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69457/57125797

この記事へのトラックバック一覧です: 教育実習事前指導での衝撃的な体験:

« 映画『隣る人』をみる―8年間の映像スケッチが突きつける、〈日常〉の圧倒的な表現力― | トップページ | 平成も四半世紀 »