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[ブクマ]「国定ポエム」というネーミングがうまい



>「完全にJ-POP歌詞の劣化コピーである」
 この発想はなかった。さすがの切り口。
 
>要するに「心のノート」は総じて「心」に期待しすぎなのである。「心」さえ変えれば、少年犯罪はなくなるし、学級も崩壊しないし、いじめや不登校もなくなる。もしもそれが本当ならば、そんなに経済的なことはない。軍隊はもちろん、警察さえも必要ないということになる。まさにユートピアだ。
 自分は日本道徳教育学会には入会していないが、「道徳の時間」に批判的でかつ同学会の会員になっているというある方から以前、「(この学会には)学者にしろ、現場の先生にしろ、ロマンチックな発想の人が多いんだよ」とのコメントを聞いたことがある。

>残された疑問は、毒にも薬にもならない国定ポエム集「心のノート」をこれからも配り続ける意味があるのか、ということである。愛や希望や自分探しの言葉はJ-POPや少女漫画に溢れているし、勧善懲悪で、正義や友情の大切さを訴える物語は『週刊少年ジャンプ』にいくらでも掲載されている。校内放送にJ-POPでも流していれば、それでいいんじゃないかと、僕は思う。心から。
 『心のノート』が事業仕分けの対象になったのは、この意味で妥当だった。実際「現場ではほとんど使われていなかった」という証言を、指導学生の何人からも聞いた。それが学校現場で生じている問題に対して何の解決にもならないことを、さらに言えば、『心のノート』の掲げる理想と教室で起きている現実との乖離が生み出す白々しさを、教師も生徒も知っていたからだろう。
 
 ただ、ポエムな言葉に共鳴したくなる若者たちというのはいるわけで、自分が勤務校で担当している教職科目「道徳の指導法」でも、J-POPや漫画を教材として「心」に訴えようとする指導案を書いてくる学生が毎年一定数でてくる。その種の授業が、フィクションを通して一時的に感傷に浸るだけのものでしかないということに、学生たちはどれだけ自覚的だろうか。
 もちろん、感傷に浸ることが問題だと言いたいのではない。そんなことをいちいち教師に従わされて授業としてやらねばならないということをもう少し問題にしてもよいのでは、と言いたいだけである。だが、道徳教育に熱心な先生=「心は通じる!」と信じる理想主義的な先生(まあ、ほとんどがそうだろう)と議論してもなかなか同意してくれない、というのが私がこれまでに経験したのかぎりでの現状である(今回の古市氏のような主張は、教育界ではなかなかお目にかかれない。だが、もっとこういう突き放した視点が必要なのではないか)。

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