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道徳を教科化する前に考えるべきこと(1)

 現在、全国の小・中学校で実施されている「道徳の時間」が、早ければ2018年度から「特別の教科」になる可能性がある(「道徳:『特別の教科』に 教科書導入へ、18年度にも」『毎日新聞』2013年12月26日、20時00分

 現在の「道徳の時間」は、教科ではなく、各教科、特別活動や「総合的な学習の時間」と並ぶ、教育課程の一つの「領域」という位置づけである。
 それを教科にするということは、(文科省での教科書検定を通った)教科書*を使って授業を行い、その学習成果を評価するという指導プロセスの厳正化を意味している。とりあえずは、そう考えていいと思う。
*「今だって、教科書を使って授業しているじゃないか」と思われるかもしれないが、それは誤解である。現状、教科ではないのだから、検定を経た教科書自体が存在していない。一般には「副読本」と呼ばれる。義務教育では教科書は無償だが、副読本はその対象ではない。だから、自治体で予算を計上したり、学校が有償で生徒に買わせて、校内で管理しておくというケースが多かったのではないか。


 道徳の教科化という改革方針は、第一次安倍政権の時にも掲げられていた(当時もやはり、いじめ問題が大きく取り上げられた時期だった。が、ご存じのように、1年で総理が辞任したので、教科化は達成されなかった)。
 「右翼の軍国主義者」で歴史修正主義者である安倍首相のことだから、その本当のねらいが「“偏狭な”愛国心の涵養」にあることはすぐにわかる。
 しかし、表向きには大津市の事件が話題となり、それに乗じて(「いじめ問題が深刻な状況にある今こそ」)、一気にやってしまった感は否めない。
 少なくとも、現場は、間違いなく反対派が多数である(「道徳教科化『反対』6割以上」『日本教育新聞』2013年5月6日号)
 教育雑誌(教育Zine)のネットアンケートでも、反対が多数であるし、教育関係者に限らず、多くの人たちが、道徳に効果があるとは、ほとんど思っていないだろう。
 自分も反対である(現在の「道徳の時間」すら、不要だと思っている)。そのことは、このブログの過去の記事でも書いているし、道徳教育の困難さについてもまた触れてきた。
 ちなみに、自分は学生時代に道徳教育史に関する論文を書いていた関係で、勤務大学の教職課程では「道徳の指導法」(中学校教員免許取得希望者対象、標準履修年次は1年次)を担当している。
 「そんなやつが教えているなんてケシカラン」と言われるかもしれないが、私と同じ思想をもった大学教員(教育学者)はたくさんいる、というか、そういう教員のほうが多数ではないか。
 私はむしろ、教育史的観点から道徳教育(修身教育)改造の変遷を眺め、いかにそれが困難と形骸化に満ちた歴史だったかを垣間見、道徳教育を突き放して捉える眼を持っているぶん、他の教員よりも(実務家型教員よりも)「道徳の指導法」に適任だと思っているくらいである(といっても、学生の関心は薄いので、授業ではほとんど道徳教育史には触れないが)。
 「いったい、どんなことを教えているのか」と疑問に思われるかもしれない。だが、教えていることは、ごくごく普通である。“学生が実習先で「道徳の授業をやって」と言われても大丈夫なように”という課題意識で指導案の書き方について教え、レポートとして提出させたり、実際の実践例の紹介や検討を行ったり―である。「指導法」の名に違わない従順さである。
 実務家型教員との認識の違いがあるとすれば、
「道徳は教えられるのか」「(教えられるとすれば)教えられる道徳とは、いったいどんなものか」といった、率直な問題提起を学生に提示できるということ(昨年暮れに出された、道徳教育の充実に関する懇談会報告でも、この「教えられるのか」という視点は欠如している。とにかく「教えねばならない」一色である。
そして、
道徳を「個々人の心の問題」と捉えることを峻拒する
といった点だろう。
 その具体的な中身については、ここでは触れない。
 今回、自分が触れたいと思っているのは、教員養成の現場で「道徳の指導法」(以下、「指導法」)を担当している立場から見えてきた、ある問題についてである。
 「道徳の時間」である今の段階でも、これは大きな問題ではないか、と考えている。
 先述したように、自分は「指導法」の授業で学生に学習指導案作成をレポートとして課している。
 毎年約200名の学生にそれを行わせ、添削し、返却するという作業をしている(結構な苦行である)。
 その中で気づいた、ある問題=学生の中にある、授業実践に関する一つの傾向性についてである。
 
 それは、「(グループ活動を通して)『生徒に、ただ言わせて終わるだけ』の授業を、ほぼすべての学生が考える」というものである。
 
 ※つづきは、次のエントリで。

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