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教育方法改革への自己限定(1)

 中教審は、いよいよ道徳教科化への答申をまとめた(「道徳に係る教育課程の改善等について(答申)」2014年10月21日)。
 だがあいかわらず、中身を読んでもいったい教科化の理由は何なのかがまったくわからず、「使命」ばかりが一方的に述べられている。道徳過敏症の症状が色濃く出ている代物である。もっとも、使い様はありそうである。答申には、次のような記述がある。



「なお、道徳教育をめぐっては、児童生徒に特定の価値観を押し付けようとするものではないかなどの批判が一部にある。しかしながら、道徳教育の本来の使命に鑑みれば、特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるがままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるものと言わなければならない。むしろ、多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、誠実にそれらの価値に向き合い、道徳としての問題を考え続ける姿勢ことそ道徳教育で養うべき基本的資質であると考えられる。……社会のルールやマナー、人としてしてはならないことなどについてしっかりと身に付けさせることは必要不可欠である。しかし、これらの指導の真の目的は、ルールやマナー等を単に身に付けさせることではなく、そのことを通して道徳性を養うことであり、道徳教育においては、発達の段階も踏まえつつ、こうしたルールやマナー等の意義や役割そのものについても考えを深め、さらには、必要があればそれをよりよいものに変えていく力を育てることも目指していかなくてはならない。
 また、実生活においては、同じ事象でも立場や状況によって見方が異なったり、複数の道徳的価値が対立し、単一の道徳的価値だけでは判断が困難な状況に遭遇したりすることも多い。このことを前提に、道徳教育においては、人として生きる上で重要な様々な道徳的価値について、児童生徒が発達の段階に応じて学び、理解を深めるとともに、それを基にしながら、それぞれの人生において出会うであろう多様で複雑な具体的事象に対し、一人一人が多角的に考え、判断し、適切に行動するための資質・能力を養うことを目指さなくてはならない。」(2-3頁)


 ここに書いてあることには、同意する(というより、否定する人はほとんどいないだろう)。
 問題は、学校現場で熱心に取り組まれている道徳教育が、このような類いのものとは到底言えないところにある。
 多様な価値観を保障することを指向しつつも、結局は、道徳授業が“社会認識と切り離されたかたちで”ひたすら特定の資料解釈にしたがって道徳的価値の内面化を促すような内容になっているケースが多いのである。



 事例をもとに説明したい。ご存じの方が多いと思うが、「手品師」という資料がある。この資料は、長く市販の副読本に掲載される定番資料である。初出は1980年代だが、雑誌『道徳教育』2013年2月号(No.656)では、いまだに特集記事が組まれているほどである。
 資料の概要については省略するが(あらすじは光村図書のサイトこちらのNo.18で確認できるので、そちらで一読されたい)、すでに教育学者からは、同資料のはらむ問題点の指摘がなされている(例えば、宇佐美寛『「道徳」授業に何が出来るか』明治図書、1989年、松下良平『道徳教育はホントに道徳的か?―「生きづらさ」の背景を探る―』日本図書センター、2011年)。雑誌『道徳教育』No.656においても、松下行則によって資料の問題点(「偏狭自律型道徳」)が端的に指摘されている。


 いずれも説得的な指摘なのだが、『道徳教育』同号に掲載されている現場教員の実践報告記事をみると、これらの専門的知見がまったく考慮されていないものばかりで、頭を抱えてしまう。以下、それら報告記事の記述を一部を紹介する。


①「道徳の時間の指導で大切なことは、主人公のとった行為はなぜ善なのか?が分かることである。『少年との約束を守る』ことは、人間として美しい生き方『美』であり、『美は善』である。道徳的に生きることの価値を子どもたちの心に刻みたい。」


②「手品師が大劇場への誘いよりも、小さな男の子に手品を見せることの約束を果たしたことの素晴らしさに目を向けていくことで、ねらいに迫っていきたいものです。」


③〔授業者が実際に手品を披露し、児童から歓声や拍手があがる。その後の教師のセリフ―引用者注〕「そう! その笑顔を手品師も見たかったはずです。その笑顔を見るために、大劇場への出演を断り、男の子一人のために手品をしたのかもしれませんね。大劇場に行けば、お金や名誉は手に入ったかもしれません。でも、人として大切な誠実な気持ちをどこかに置き忘れてしまうことになったでしょう。今、手品をやり、みんなの笑顔を見たとき、手品師の気持ちが少し分かった気がしました。人との約束を守り、その人の期待に応えることの大切さ。逆に君たちから学ばせてもらいました。ありがとう」〔と結ぶ〕



 この資料から道徳について考えるときには、あくまで手品師のとった行動は善であることが前提となっている。それを批判するような見解を子どもがしたとしても、「約束を守ることの大切さ」という観点から子どもにその問題解決的姿勢に対して反省を促し、手品師の行動=善という解釈へと到達させなければならない、というのがこれらの実践から読み取れる学校現場の姿勢なのである。だから正直、教師は苦労するだろう。最後の、教師自ら手品を子どものために訓練して披露するというところまでいくと、もはや滑稽ですらある。
 「自分が同じ状況に置かれたらこうするのにな」と子どもが(あるいは、授業者自身が)思ってもその姿勢は許されず、およそ現実離れしたこの物語の世界に没入して、登場人物のとった行動に対して共感することしか許されない。“たとえ、心の中では違うと思っていても、教師が期待する発言を先回りして応えること=上の人間の意向に沿うのがこの社会では望ましい”という認識を子どもに植え付つける実践内容である。
 それは上述の答申に示された見解とは正反対のものであることに、当該教師たちは気づいているだろうか。



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