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これぞ中央集権のカリキュラム政策

 久々の更新である。昨年は、あまりにも(よいのも、悪いのもひっくるめて)重い問題がふりかかりすぎた。もちろん、いずれ直面する問題ではあったのだが、なぜそんなに一気にふりかかってくるのだと、思わずにはいられなかった。少しでも精神衛生的な安定を求めるために、気軽にブログで発散することにしよう(あまり質は問わず、綴り鍛える、という原点に立ち戻ろう)。

      ◇

 さて、昨日一昨日とすっかり日本の恒例行事として定着したセンター試験。今年は過去最多の850の大学・短大が参加したようす。


 今の職場は毎年会場となっているので、自分も毎年センター試験の監督にあたってきた。
 ほんとストレスフルな仕事である。あの分厚い監督要項に沿って、全国津々浦々で同じ時間帯に同じセリフがあちこちで吐かれていると思うと、実に滑稽である。
 しかも、文章をみるとごていねいに「①」に「まるいち」とフリガナまで振ってある始末。これ、山形のほうでは「いちまる」と呼んでいたはずだ。そちらのほうでは、要項のこの記載をどう受け止めたのだろう。
 こうやってセンター入試を通した国語統一政策が浸透していくのか……などと、ネタを探さずにはいられなかった。


 実際、学習指導要領の拘束力を実際に駆動する装置としてセンター試験が機能しているのは確かだろう。センター試験を廃止するからといって、教育統制機能を強力に果たしているこの装置を国が手放そうとしているとは思えない。今後の入試改革で測ろうとしている「主体性」や「思考力」なども、結局のところ、大正自由教育がそうであったように、「教育方法改革への自己限定」という帰結を辿るのではないか……。

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