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言葉を贈る意味

 学生たちの晴れ着姿が映える恒例の卒業シーズン。


同僚の先生方も「もうあれから一年経ったのか」とという驚きとともに、卒業式に臨んでいた。


 式典後に開催された、学科の卒業祝賀会(謝恩会的性格だが、教員も会費を払う……)。


会の次第には、案の定「教員より一言」の項目があった。


学生から指名された自分を先頭に、先生方が次々と贈る言葉を述べていった。


その終盤、順番が回って来た(自他ともに認めるであろう)アクの強い古株のW先生が、次のようなことを述べた。


「この会で学生に一言スピーチをしなければならないと考えて、朝から憂うつだった。

自分が今ここで述べることに、どのような意味があるのだろう。

いま語ったことを、皆さんは明日には忘れているだろう。

皆さんは、一年次のガイダンスのときに学科長がどんなことを言ったか皆は覚えているだろうか。覚えてないだろう。

だとしたら、ここでしゃべることの意味は何だろう?」


皆酔いが回っていたところへあまりに突拍子もない自問自答セリフだったので、逆に笑いが起こった。


先生方も、またしゃべったW先生ご自身もそれで気分を害したわけではない(いや、校長として毎週 生徒たちに講話をしてきた現職出身の先生は、少し気分を害したかもしれないが……)。


 だが、自分はこの問題提起を受け止めてみたいと思った(その意味でW先生の言ったことは覚えているし、これ以前にも先生が懇親会などの席で語った詩的なことを自分自身は覚えている。その点で、先生の指摘は正しくはない)。



    ◇   ◇   ◇



  教員が学生に対していろいろな言葉を贈る場面は、入学式やガイダンスをはじめ、じつにたくさんある。何より授業がそうだ。


膨大な時間をかけて、学生たちにいろいろな言葉のシャワーを浴びせている。


だが、学生たちはそこから何を受け取っているのか。



こちらは何度も真剣に贈っているのに、ほとんど何も受け取っていないのではないか―。


 実際そう思って空しくなるときは、自分だってたくさんある。


 以前、W先生とタッグを組んで、学校インターンシップの学生面接をしていたとき、先生が「ガイダンスのときに『これが大事だ』と言ったことを覚えている?」と学生に尋ねたところ、誰も答えられず、ひどく落ち込んでしまったことがあった。

 そういう過去の経験もあった(また今現在も、同じ経験を毎度している)からこその指摘なのだろう。



 だが自分は、W先生の指摘に対して、次のように言いたい。 


「先生はこの4年間に食べた料理のことを逐一覚えていますか。

また覚える必要がありますか。

中にはよい思い出(苦い思い出?)とともに覚えているものもあるでしょうが、記録でもしていない限り、とてもすべては覚えられません。


でも確かに、それらの料理は私の体の中で身(実)になっています。


何月何日にどこでどんな味のカレーライスを食べたかという個別の情報はほとんど忘れてしまうでしょう。


でも、何度も食べていれば、カレーライスがどんな味かはわかるようになります。




 教師が学生に語る言葉というのも、そのような性質のものではないですか。


いつ誰が語った言葉かが重要なのではありません。


誰が贈った言葉(=情報)であろうが、何度も聞くなかでそれに学生が(何かの経験をきっかけに)自分なりに意味を与えて思想を耕してくれればいいのです。


誰が言ったかは、忘れてしまっても構わない。


いつ誰が言ったかも忘れてしまうくらい、同様の言辞に学生が日々考えをめぐらせていることのほうが重要ではないですか。」


と。


実は後者の部分(とくに言葉の「意味」をめぐる部分)は、W先生自身もその後のスピーチで語っていたかもしれない。



 また、次のようにも考える。


「どんな言葉も、その固有の肉体を通して発せられます。


同じ言葉でも、先生という身体から発せられるからこそ、独特の色がついて学生に届きます。


先生の場合、その語り口だからここそ言葉に味わいも出る。



そして、その光景のほうが学生には強く残ります。


『ああ、大学教員のなかにはこんなおもしろい人もいるのか』と。


多様な人間観をこそ、学生は無意識のうちに形成しているはずです。」


これはなかなか、しゃべっている本人は自覚できない部分だ。


自分が語っているすがたは、学生にはどのように映っているのか。


学生は自分からどのように「大学教員」を記号化しているのか。


何ともわからない。



 でもW先生については、その不思議な魅力とともに学生の記憶には刻まれているはずだと自分は確信している。

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『教育』を読む会に学んで

 雑誌『教育』といえば、戦後発刊されて以来、教育(学)界に大きな影響を与えてきた、伝統ある硬派な雑誌である。

自分も学生時代から、暇を見つけては、大学の図書館で記事をチェックしていた。


 じつは約2年前から、勤務先の大学でも雑誌『教育』を読む会を不定期で実施している。まさか大学教員となって、学生とこの雑誌を読みあうことになるとは夢にも思わなかった。
 たしか、浦野学部長の発案で、熱心な学生が結集して始まったと記憶している。
 記録をふり返ってみると、自分が初めて同会に参加したのは、2014年の1月だった。おそらくその前に1回は実施していたはずである。
 実施はひと月に一回程度。試験期間や長期休暇期間などは実施できないことが多いので、年間にできる回数はかなり限られ、1年ほどしかやっていないのではないかと錯覚していた。だがふり返ってみると、細々とではあるが、着々と活動成果を蓄積してきたことになる。


 学生にとっては、かなり敷居の高い読書会ということになるが、参加者の顔ぶれは変わることなく、かつ少しずつ新顔も加わりながらここまで継続してきたことは、特筆すべきことと言ってよい。

 さらにその多くが4月から教員、もしくは(非正規ながら)学校現場に関わる仕事に就く予定であるという現状も喜ばしい(本を読む時間すら取れないという、きわめて問題のある今の教師の現状からみれば、学生時代に教育雑誌を読み込んだというこの経験は、たとえすぐには成果として表われなくとも、やがてこころの奥深くに沈んで、本人の教師としての生き方・成長を下支えするはずである)。

 この4月から小学校教員になる私のゼミ生は、同会の初期からのメンバーであり、これに飽き足らず、一橋大学で毎月開催されている多摩『教育』読者の会にも自主的に参加してきた。
 彼女に誘われて私も参加しはじめているほか、本学の学生も少数ながらこの学外での読書会へと自主的な学びの幅を広げつつある。

 そして、つい先日には、八王子の大学セミナーハウスで合宿を実施、2016年2月号を検討した(これには、多摩読者の会の方々も驚かれていた)。
 もっとも、これは合宿大好きなもう一人の支援教員の発案によるもので、読書会より夜話会がメインという性格が強かったのだけど、それでも従来通り、担当学生がレジュメを切り、論点を提示しながら議論を深めていくというスタイルを貫き、中身の濃い議論をすることができたと思う。

   ◇  ◇  ◇ 

 『教育』を読む会に参加する意義を学生たち自身は、どう考えているのだろう。


 教員があれこれ世話を焼く必要はないのかもしれないが、気にはなるところである。だが、学生たち自身も尋ねられて即座に答えるのは難しいかもしれない。


 「教育といっても、わからないことが多い。だから学んでみようと思った」
「講義のような一方向的な学びでは満足できない(まして、「べき論」ばかりの教職科目の授業はつまらない)」

――といったあたりが、最大公約数的な答えだろう。 


 自分自身とて、何か「〇〇を得よう」という明確な問題意識があって参加しているのではない。

しかし、だからこそ得られるものが多々ある。
 ある学生に、「先生の専攻分野は歴史なのに、なぜこの読書会に参加するのか」と尋ねられたことがあるが、その時は「現代の教育についての問題意識がないと、歴史を捉えることはできないから」と答えた記憶がある(そもそも歴史とは、固定化された不動の過去などではではなく、歴史家が史料と格闘し、解釈した事実の集まりである。
歴史家の現代的課題意識が反映する意味において「すべての歴史は現代史である」 by B.クローチェ)。
 もう少し、(学生にも向けて)補足すると、次のようになる。

「『教育』を読むことを通して得て自ら得た知識や、読書会を通して触発されて考えたことは、日々のニュースや会話のなかで同様の、あるいは類似の教育問題に接したとき、その都度立ち現われてくる。それが、さらに問題について考えるきっかけをくれる。今までなら素通りしてしまっていた問題も、立ち止まって考えることができるようになる。教育史に限らず、およそ教育を研究する者としては“教育を見る眼を鍛える”ために有意義な機会である。」

問題をセンシティブに捉えるための襞は、あればあるほどよい。


「学力テスト体制」「生き凌ぐ技法(アート)」「教育への『行政犯罪』」「シメない教育」……。
学生たちには、それら『教育』のテーマとして設定されたユニークなフレーズを思考のスイッチとしながら、思索を深めてもらえればと願っている。
そして、学びの潜在的欲求を持った新入生たちを巻き込んでほしい。

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「次世代の学校・地域」のゆくえ

 次期学習指導要領改訂に向けた論点として「社会に開かれた教育課程」が掲げられ、また、「チーム学校」というキーワードのもとに、学校地域協働による教育が重視されようとしている。
 昨年暮れに出された三つの中教審答申は、かなり大風呂敷を広げたように見えるけれども、各フレーズ―「学校と地域の一体改革による地域創生」「学び合い、高め合う教員養成コミュニティの構築」など―は、たしかに興味深い論点を含んでいる。

だが。
 教育史を学んでいる身としては、「これは中途半端に終わるな」という感じを受けてしまう。
 「学校と地域の連携・協働」というのは、別に目新しい理念ではなく、これまでも散々言われてきたことである。財務省から予算をとってくるための言葉のリニューアル、というのがホントのところではないだろうか。


それに。 
 「チーム学校」といったとき、その中心はあくまで学校であり、“学校がリーダーとなって地域の力を動員し、一丸となって国が定める教育課程の実現に努めよ”“その実現に向けて学校経営の組織改革や、アクティブ・ラーニングなど新しい学びを実践するための教員の養成も必要だ”、という理解でおそらくまちがってはいないだろう。
あくまで(学校を社会に開くことを通して)地域の主体性をいかに教育的に掬い上げるか、というところに主眼がある。

 そうなると、学校による所定の教育理念(学習指導要領)の実現が到達目標だから、そこに関わる地域の意味は、あくまで方法的・手段的なものでしかない。そういう発想に地域が乗ってくるだろうか。地域経済の停滞や過酷な労働状況と相まって、結局地域からの協力は先細っていく、それでも学校は今までと同様に地域へと訴え続けなければならない―、というところまで予想できる。
 「地域も学校を支えよ」という、地域を手段として見る発想は、教員の負担を減らすという思惑とは裏腹に、学校の多忙化をいっそう加速させ、教師たちは(さらには地域も)息切れしてしまうだろう、というのが自分の見立てである。 
 
 
   ◇  ◇  ◇  
 
 昨今の教育政策の動向は、大正自由教育から郷土教育・全村教育に至る1910―30年代の史的展開と、枠組みがひじょうに似ているように見えてしまう。
問題解決学習など子どもの自発的な学びが重視されながらも、その活発な教育活動を行なう教師の主体性を特定の方向へと水路づけるために展開された「教育の郷土化」施策という、あの時代の静かな教育統制。加えて、向上心に擽られて、それに進んで向かっていく教師たち(専門性の向上という名のもとに、かえって教師教育の均質化を進んでいくというのも、この頃に顕著になっていく傾向だった)。そして、教師が学校内にとどまらず、地域振興・経済更生にも役割を果たしていった先に待っていたのは、国家総動員・一億総玉砕だった―。

 翻って、現代。一方でアクティブ・ラーニングの重要性が謳われ、他方で地域との協働へと学校・教師が駆り立てられるという状況。加えて、教職の高度化に向けた「養成・研修の充実」(という名の静かな統制)が叫ばれる現状。そして何とも時代遅れに聞こえる「一億総活躍社会」という響き。
 これらは、単なる偶然の一致なのだろうか。

 「すべての歴史は現代史である」というクローチェの言葉ではないが、現代をみる自分の課題意識が投影しているから、そのようなものとして歴史が立ち現われてくるのかもしれない。

 いずれにしろ、あの時代をもっと掘り下げてみていかなくては、と思う。 自分の研究フィールドなのに、まだまだ勉強が足りない。 

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