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noteに移行します

2004年から書き認めてきた、このブログですが、ついに引っ越すことを決断しました。


以降は、noteで書いていくことにいたします。
https://note.mu/takakist


とはいえ、こちらのブログも閉じずにおきます。
自分の思考の軌跡をときに確認するために。

どうぞ引き続き、お引き立てのほど。

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教員養成から見る「教員の多忙化」

 教職課程を担当している大学教員の一人として、昨今の「教員の多忙化」をめぐる議論の盛り上がりは、うれしくもあり、苦々しくもある。
 「うれしい」というのは、ようやく世論に届くまでの=多くの人が目に触れるまでの情報量になってきたということに対してである。何より、報道が増えた。社会に問題が認知されるということは、それを訴えたい側からすると大きな励みになる。

 すでに2000年代に入ってから教員の多忙化問題は深刻化しており、教員の過労死も問題視されていた。
 本学の卒業生が学校教員となって、毎日過重労働を強いられているという情報もたびたび入ってきていた。
 私のゼミの卒業生にも、その深刻な現状を泣いて訴えてきた者(だが辛うじて現場に踏みとどまった者)、新卒1年目で燃え尽きてしまった(休職)者がいる。


 その現状を変えたいという意識が強かったのか、その後、自分は民間の教育研究団体・教育科学研究会(教科研)に関わりながら、現場教師の方々や問題意識を同じくする他大学の研究者とつながりをつくり、この問題について知見を深めようとしている。ここでつながった先生方からは、それまで縁もゆかりもなかった、如上のゼミ卒業生の悩み相談に乗ってもらったこともあった。


 また、先ごろ「学校の働き方を考える教育学者の会」が誕生したときには、自分もすぐに賛同の署名を送った。



 本務校でも、自分がコーディネーターになったりして卒業生の若手教員を招き、現場からの生の声に耳を傾けることで、“大学教員が卒業生を介して学校教員の現状に向き合う必要性”を訴えてきた。
 だがその過程で、「教員の多忙化」が孕む「問題の多重性」に気づくこととなった。これが何とも「苦々しい」。


 というのは、教員の多忙化が単なる過労(労働量の多さ)にとどまらない、深刻な問題を孕んでいるからである。単に総量規制をすれば問題が解消される、というものではない。むしろ、人間関係のドロドロした部分が透けてみえるぶん、質が悪い。
 一つは、「指導という名のハラスメント」によって若手教員が追い詰められているという問題である。このあたりのことは、教科研が編集する雑誌『教育』などに詳しい事例が載っている。
 もう一つは、若手教員を送り出す大学の問題である。それは、教職課程を担う研究者型教員と実務家教員との意識の齟齬にある(私はこれを「課程内別居」と呼んでいる。とある教育系の学会でこのネーミングを言ったところ、教育経営学の泰斗から好評をいただいたことがあった)。
 内田良氏が発信した記事「『政治家になったら?』 教員志望者に突きつけられた言葉―大学では教わらない? 教員の過酷な労働実態」(Yahoo! Japanニュース、2019年1月6日)において、現役の教育大学生の発言が掲載されているが、彼らの発言にそれが象徴的に示されている。例えば、以下である。

「私は働き方のことで話題を共有できる仲間がいないので、大学の先生に相談したことがあります。学内に進路相談の窓口があって、そこに管理職や教育委員会を経験したような方がいらっしゃるんです。そこで働き方について相談してみたところ、『そういうことを問題に思っているのなら、政治家になれば』って言われて。そのことがとてもショックでした。」



 「教師は忙しくて当たり前。覚悟しておくのが普通。それが嫌なら、教師になるな」というわけである。
 この学生が経験したのと似た現状は、教職課程をもつ多くの大学にあると予想する。この記事における学生たちの発言は、私の本務校の実態を見て言っているかと思うほど、問題を的確に捉えている。
 
 本学では、多くの退職校長など元管理職経験者が実務家教員として大学に再雇用され、入職前指導などを教職志望学生に施しているが、それはただひたすら職場への順応を説くものになっている。深刻な現状にどう向きあい、変えていくかという対抗の視点はそこにはない。さらには、「教員の多忙化の現状について学生に教えるべきではない」とまで語る有様である。


 もちろん、私のような研究者型教員はそれに従うつもりはないので、学生には学校教員の置かれた状況を話すわけだが、当の学生たちは、2つの異なるタイプの大学教員からそれぞれ違ったことを言われるので、その間で進路をめぐって揺れることとなる。まじめな学生ほどそのような葛藤を抱えることになる。
 「教員の多忙化」背景には、それに掉さすような大学教育の現状がある。有望な教職志望者の減少にさらに拍車がかかる前に、この現状に歯止めをかける必要があるが、「課程内別居」の現状を変えるのは並大抵のことではないと、大学教育の現場にいる身としては直感している。

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