すでに指摘されていたことではあるけれど…

 日本教育史に関わる地方の学事関連文書の散逸、廃棄もすでに懸念されているところではあった。
 こうした記事を読むと、改めて残念である。

◇「公文書散逸の危機 平成の大合併後、旧庁舎などに置き去り」@河北新報・東北のニュース、2009年9月10日。
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/09/20090910t71005.htm
 
 平成の大合併後、旧町村が保存してきた公文書が廃棄や散逸の危機にさらされている。昭和以前の歴史的・文化的な価値の高い資料も多いが、出先機関の総合支所となった旧庁舎に置き去りにされたままのケースも目に付く。全国では大量廃棄の事例が報告され、東北の自治体でも庁舎建て替えの際に邪魔にされたり、組織改正や異動で旧町の実態を知る職員が少なくなったりすることが懸念される。専門家は「早く精査して保存すべきだ」と訴えている。(編集委員・大和田雅人)
 大崎市は3日、総合支所職員を対象にした文書保存説明会を開いた。市政情報課の担当者が大まかな整理の仕方と目録の作り方を指導した。
 合併から約4年。文書は旧古川市を含む七つの庁舎にばらばらに保管され、「手付かずの状態で何があるのかも分からない」(同課)という。
 限られた人員の中、取りあえず廃棄は避けようというのが説明会の狙い。総務省が3年前、歴史的文書の保存を求める通知を出したことも背景にある。登米市は各支所から閉校した小学校の校舎に運び込むなど、緊急避難的な措置を取った。
 問題は膨大な資料群の選別だ。公文書の分類法は二つあり、起案の段階で永年、30年、10年、5年、3年、1年と保存期間が決められた文書は、年限が過ぎたら事務的に処分される。その中でも歴史的、文化的価値がある場合は保存に努めると規定されている。
 歴史資料は議会議事録、市街地図などが考えられるが、はっきりとした定義はない。栗原市総務課は「基準をどう明確にするかが課題」と悩む。
 秋田県公文書館は3年をかけて、県内の旧69市町村すべての保管状況を調査した。担当者は「明治以降の議事録を見事に残している市があれば、そうでない自治体もあった。選別の判断も人それぞれ」と明かす。
 選別は建設部局、教育委員会など縦割りで行われる。「職員には歴史的観点を意識するよう指導しているが、判断に迷うだろう」(大崎市)というのが実情だ。
 仙台市には苦い記憶がある。昭和の合併で消滅した生出村(1956年編入)、七郷村、高砂村(41年編入)などの公文書が合併後にほとんど廃棄されていた。
 仙台市博物館は編さん中の「仙台市史」の特別編で旧村特集を発刊する予定だが、資料不足で難航している。鵜飼幸子編さん室長は「街の移り変わりや住民活動など地域の歴史が詰まっていたはず。平成の合併では同じ轍(てつ)を踏まないでほしい」と話している。

◎保全のポイントは?/精通した職員配置必要/平川新東北大教授に聞く

 古い公文書の保存に当たって何がポイントになるのか。旧家の古文書保全などに取り組んでいる平川新東北大東北アジア研究センター教授(日本近世史)に聞いた。
 貴重な史料は文化財に指定されれば残るが、現実には未指定の公文書などに貴重なものが圧倒的に多い。行政はこれから、永年保存や10年保存など規定に従って機械的に選別するだろう。歴史的文書があった時、専門家でさえ迷う判断を一般職員ができるだろうか。
 公文書には政治の意思決定、民衆のかかわり方など後世に研究価値の高い記録が多く、捨てられたら手掛かりが失われる。小さな自治体が研究者を雇ったり、公文書館を建てたりするのは無理があり、せめて文化財などに詳しい職員を文書担当にして長く配置することが望ましい。史料は百年後、千年後に評価されるという観点が必要だ。

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私もニュータイプのはずだ?

 「パンデミック」と話題にはなっていてもあまり身近には感じていなかった新型インフルエンザ。
 が、都内の大学でも感染者が出るに至り、近いところにその存在を感じざるを得ない状況である。

*6月16日
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20090616ddlk11040332000c.html

 自分の職場でも感染者が出て、キャンパス閉鎖の臨時休校に入った。
 これで、補講をどうするか、などの調整作業が新たに増えることになるんだろう。

 だから、今のうちに少しでも新生活に疲れた体を休め、また、時間の貯金をつくっておきたい。
 それにせっかくだから、「目で見て分かる新型インフル」をみて、勉強するとしよう。学生への指導も必要になってくるだろうし。
 
■「私たちにもできる新型インフルエンザの身近な予防策」
 http://www.youtube.com/watch?v=f4citqUnYOk

 本格的な大流行は、「秋以降」だとの懸念が厚生労働省からは発表されている。
もちろん慎重さは必要だろうが、一人のために二万人が「自宅待機」するといった、今の対策の現状が「大山鳴動して鼠一匹」という感は否めない。感染者が出た途端、全員がマスクを一斉に装着するといった集団主義も、気持ち悪いものがある。感染の拡大防止という衛生的な理由以上のメンタリティ(「説明責任」という衣をかぶった)をそこに見いださざるを得ない。
 これによって感染者に変なまなざしが集まらないことを願う(事実、最初に感染者が出た高校には、匿名で抗議の電話が寄せられたという)。誰かを非難すれば済む問題ではない。これは誰でも罹りうる病気であるとともに危険度は低いのである。感染した学生へのある種の偏見をもたせない指導・働きかけが今後、教師には求められてくるように考える。ただでさえ、「空気を読み合う生きづらさ」を抱えているのが、今の若者の現状であろうから。

 感染者が出る前は、マスクをしている学生はほとんどいなかった。来週の休校明け、果たして、何人の学生がどんな意識でマスクを付けてくるのか(付けてこないのか)、気になるところだ。授業で話題にしてもよいかもしれない。

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[土ログ]「論」も愉し

■「筑紫哲也さん死去:「キャスター」身近に 闘病生活も最後まで「現場」」毎日.JP、2008年11月8日。

 長年の取材に裏打ちされた歯切れのいい言葉で、国際政治からポップカルチャーまでを語り、テレビの視聴者に支持されてきた筑紫哲也さんが7日、73歳で亡くなった。「ニュースキャスター」という言葉をお茶の間に浸透させた代表格だった。
 朝日新聞記者時代には、テレビ朝日の報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」の司会者に就任。今では一般的になった活字メディア出身のジャーナリストがテレビ出演をするきっかけを作った。
 「筑紫哲也ニュース23」のキャスター就任後は、開戦直前のイラクで現地取材をするなど、現場にこだわった。98年11月には米国のクリントン大統領(当時)をスタジオに招き、市民との直接対話を実現させて話題を呼んだ。
 TBSのワイドショースタッフが坂本堤弁護士のインタビュー収録テープをオウム真理教幹部に見せた後、坂本弁護士が殺害された問題が、96年に発覚。当時の「ニュース23」で「TBSは死んだに等しい」と述べ、キャスター降板を考えたことを明らかにしている。
 闘病生活に入った後も、大きなニュースがあった日などに不定期出演。今年3月28日放送の「多事争論」コーナーで、番組タイトルから自分の名前がなくなることを明らかにし、出演してきた18年間を振り返った。8月11日には同番組で哲学者の梅原猛さんと対談。これが最後のテレビ出演となった。
 キャスターのかたわら、立命館大客員教授や雑誌「週刊金曜日」の編集委員も務めていた。「ニュースキャスター」(集英社)「筑紫哲也の この『くに』のゆくえ」(日本経済新聞社)などの著書もあった。今年5月には、日本記者クラブ賞を受賞している。
 7日の「ニュース23」では冒頭、筑紫さんの死去について約20分間放送。後藤謙次キャスターは「(筑紫さんは)ジャーナリズムのチャンピオンだった。遺志を継いで報道の最前線で戦っていきたい」と語った。

◇ニュースキャスターの鳥越俊太郎さんの話
 同じ時期に新聞社を辞めてテレビの報道番組に転身した、同志であり兄貴分。日本の国の在り方を示し、進むべき道を探る羅針盤のような存在だった。私たちにとって、大きな損失だと思う。
◇元沖縄県知事で大田平和総合研究所主宰、大田昌秀さんの話
 95年の3米兵による少女暴行事件の後、沖縄県民総決起大会に筑紫さんが来て、「沖縄県知事は他の知事より大変だが頑張って」と激励された。その場限りの報道でなく、腰を据えて沖縄問題を伝える姿勢が確立されていた。

 只々、残念です。
 溢れる教養で権力にも、また国民の無知・偏見にも、そして自分自身(=マスコミ)にも批判の矛先を向ける硬派な知性をもった、それでいて淡々としている(煽動的にならない冷静さを持つ)、そんな数少ない「ジャーナリスト」だったと思います。NEWS23ならではのさまざまな番組企画は、ほんとうに魅力的でした。

■「『論』も愉し」

「論」も愉し

近ごろ、「論」が浅くなっていると
思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違って
いるかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起き
る時、失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を
愉しみませんか。

 二〇〇八年夏       筑紫哲也 

◇WEB多事争論

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これこそ日本国民が望んだ社会の帰結

  秋葉原通り魔事件でここ数日の報道は一色である。
 犯人の行為は決して許されるべきものではないが、かといって、加害者を一方的に責めれば済む問題ではないことも確かだ。決してそれではすまされない問題の根深さを、今回の事件は特にほのめかしているようにみえる。

 今朝のワイドショーで「(派遣の身分だった加藤智大容疑者より)悲惨な境遇にある人は何人もいるのに…」というキャスターのコメントを聞いたときには、怒りを覚えた。不安定就労者の苦悩に眼を向けることができない、外野の発言だ。
 
 今の日本は努力すれば―、痛みを我慢すれば誰でも報われる社会になっているのだろうか。
それとも、「自己責任」で満たされない境遇を甘んじて受け入れろとでも言いたいのだろうか。そんなものは、「勝ち組」の言い分でしかない。
 不平等な「競争」―学力だけでなく、個性・人格の面でも―で個人を煽る傾向は、現代の「貧困」「格差」をますます顕在化させつつある。学校教育がさらにそれを助長している。加藤の出身校(青森の進学校)の教師がインタビューにこたえていたが、教師によれば彼は「普通の高校生」だった。「普通」―、これもまた非常に暴力的な発言である。結局、学力テストの成績など特定の尺度でしか人間を評価しないから、このような人物評価しかできず、あるいは、キレると手を付けられなくなるといった、抑圧的な関心でしか人間を捉えられないのである。

 勤労貧困世帯や、非正規雇用の若者の割合が増加し、自己肯定感を得にくい閉塞的な状況下で、多くの国民が何らかの「怒り」を持っているのは当然のことである。問題はそれを個人的な問題として内面に溜め込み、圧倒的な無力感を膨張させ、結果として今回の事件のように暴発させてしまうことである。
 学校は「怒り」の正しい発揮の仕方を教えなければならない。職業の現場に関する問題状況を認識させ、「労働」への権利意識を自覚させるような職業教育(労働者学習)が必要だ。ほとんどの学校はそれをきちんとやってこなかった。それどころか、「心」や「モラル」の問題としてたえず、個人に問題を還元しようとしてきた。

 今回の事件は、その計画性からして「社会への復讐」という側面が強い(だから、加藤の口から謝罪の言葉が語られる可能性は低いだろう)。テロと捉えても過言ではない。そのような凶行に走る人間を培養した責任の一端は、まちがいなくコイズミに熱狂し、新自由主義の現状を受け入れた日本国民にある。そう捉えるなら、我々も間接的にこの犯行に関与しているのであって、(ニュースでよく見かける)絶対的な正義者として犯行を断罪するスタンスはとれない―。そればかりか、これこそ実は、我々が受け入れようとしている(厳罰化、監視だけでは到底防ぎようのない危険な)社会の姿なのだという、そういう意識で問題を捉えないと何の教訓も得られないだろう。

[リンク]
・日研総業株式会社「秋葉原の事件について」2008年6月10日
http://www.nikken-sogyo.co.jp/news/2008/pdf/news_080610.pdf

・関東自動車工業株式会社「6月8日秋葉原通り魔事件の報道について」2008年6月9日
http://www.kanto-aw.co.jp/jp/corporate/080609.pdf

・非正規雇用者比率の推移
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3250.html

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[金ログ]逆襲の「蟹工船」

■「『蟹工船』再脚光…格差嘆き若者共感、増刷で売り上げ5倍」@YOMIURI ONLINE、2008年5月2日。

以下、『蟹工船』(岩波文庫版)より。

「おらア、キット殺されるべよ。」
「ん。んでも、どうせ殺されるッてわかったら、その時アやるよ。」
芝浦の漁夫が、
「ばか!」と、横からどなりつけた。「殺されるッてわかったら? ばかア、いつだ、それア。――今、殺されているんでねえか。小刻みにによ。あいつらはな、じょうずなんだ。ピストルは今にもうつように、いつでも持っているが、なかなかそんなヘマはしないんだ。あれア「手」なんだ。――わかるか。あいつらは、おれたちを殺せば、自分らの方で損するんだ。目的は――ほんとうの目的は、おれたちをウンと働かせて、締め木にかけて、ギイギイ搾り上げてしこたまもうけることなんだ。そいつを今おれたちは毎日やられてるんだ。――どうだ、このめちゃくちゃは。まるで虫に食われている桑の葉のように、おれたちのからだが殺されているんだ。」
   ……
「気の毒だ。それでもまだ一生懸命働いてやろッてんだから。」
「だれが!――しかたねんだべよ。」
芝浦が笑った。「殺される時も、しかたがねえか。」(98-99頁)

「おれたちには、おれたちしか、味方がねえんだな。始めてわかった。」
「帝国軍艦だなんて、大きな事を言ったって大金持ちの手先でねえか、国民の味方? おかしいや、くそ食らえだ!」
   ……
「今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、おれたちほんとうに殺されるよ。犠牲者を出さないように全部で、いっしょにサボルことだ。……」
「それでもし駆逐艦を呼んだら、皆で――この時こそ力を合わせて、一人も残らず引き渡されよう! その方がかえって助かるんだ。」
   ……
「ほんとうのこと言えば、そんな先の成算なんて、どうでもいいんだ。――死ぬか、生きるか、だからな。」
「ん、もう一回だ!」

そして、彼らは、立ち上がった。――もう一度!(114-115頁)

  労働者の反抗の叫びを描き、団結を喚起したプロレタリア文学の代表作。これが21世紀の今、リアルな等身大の文学として再評価されていることの意味を十分に受け止める必要がある。
  現代の若者が「殺される」とすら感じている不安が『蟹工船』と共鳴している。

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悉皆調査に起因する問題

■「学力テスト前に類似問題  滋賀県教委、活用促す」共同通信、2008/04/18。

 22日に実施される第2回「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)を前に、滋賀県教育委員会が第1回テストをもとに類似問題を作ってホームページ(HP)に掲載し、市町教委に活用を呼び掛けていたことが18日、分かった。
 文部科学省学力調査室は「普段の授業に活用するのはいいが、テスト対策だとすれば問題だ」と指摘。県教委は「学習の質を高める取り組みの一環で、事前対策ではない」と説明している。
 県教委などによると、2月27日に県総合教育センターのHPに問題と答えを掲載。第2回テストに向け、市町教委担当者を集めて今月9日開いた説明会では、同センターが利用するよう呼び掛けたという。
 問題と答えだけで、教師が指導する際のポイントや生徒が問題を解く場合の注意点などは示されていなかった。県教委は「細かなフォローを掲載するなど配慮が足りなかった」としている。

 悉皆(全数)調査であることに起因する問題の一つがここにあるといえる。
日本に根深く存在する―競争的学力観ともいえる―教育観の貧しさが垣間見えるようだ。
先日も、一部の自治体で、全国学力調査の平均点を「学校ホームページでの、その学校の平均点の公表」という形でその自治体内の全学校で公表し、事実上学校の序列化が可能になっている現状が明らかとなった(「全国学力調査、透けるランキング 各校HPで結果公表」asahi.com、2008/4/11)。
 都道府県や住んでいる場所で有意な差異はない、というのが昨年度の調査をふまえた文部科学事務次官の見解だったが、地域の側はどうして数値化にこうも敏感になるのだろう。ヨコ並びの競争意識が好きなのは、何も教育の領域に限ったことではないが、元気のある地域はたいていそんなヨコ並び意識から脱却した独自の「まちづくり」をしている。

 まあ、ぜひ滋賀県には一位を獲ってほしい(そうなれば、この学力調査の価値が著しく下がるだろう)。

 ちなみに、昨年度の全国学力調査の結果を受けて、各地では学校改善支援プランに取り組んでいる。
例えば、茨城県教育委員会による「茨城県学校改善支援プラン」など。これを、全都道府県・主要都市について調べてみると、何か発見があるかもしれない。滋賀県の対応と五十歩百歩な自治体が多々あるとか。

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懲りない「心」の評価

■「子どもの道徳心を偏差値化 各地の小中学校でテスト」asahi.com、2008年04月10日14時19分

 子どもの道徳心を検査し、偏差値や5段階評価を示す業者テストが全国の小中学校で実施されている。テスト結果を受けて教師に渡される各児童・生徒の個人診断票には「重点指導項目」として「愛国心」「郷土愛」などが記される。今年3月に文部科学省が公表した改訂学習指導要領には道徳教育の目標に「我が国と郷土を愛し」という文言が加わったが、道徳の数値評価は「行わない」とされている。それだけに、保護者からは「先生がテスト結果をうのみにして生徒を色眼鏡で見るようになってしまうのではないか」などと不安視する声も上がっている。

 「偏差値30」
 今年に入って、福岡県内に住む小学生の息子(10)の母親は、本来教師が持っている道徳テストの個人診断票を偶然知り、驚いた。道徳心の5段階評価は「1」だった。
 テスト結果の評価コメントには、重点的な指導が必要な項目として、順に「愛国心」「勤勉努力」「自立節度」「郷土愛」などが挙げられていたという。母親は「子どもの心を数字で表すことはできないはず」と不信感をあらわにした。
 このテストの発行元は図書文化社(東京都)。同社によると、テストは「道徳教科の理解度をみる」のが目的で、90年度から販売している。偏差値などの数値評価は「子どもの到達水準を知りたいという現場教師の要望で付属資料として出している」が、いつからなのかは「答えられない」という。
 同社のテストは、小学生用や中学生用などがあり、約30~50問を選択式で回答する。例えば、中学生用では「寺の壁の落書きを見て、どんな気持ちになるか」などの設問がある。ただし、日の丸・君が代に関する設問は含まれていない。
 昨年度は全国47都道府県の小学校約1200校、中学校約1100校の児童・生徒約38万人が同社のテストを受けた。各都道府県ごとの児童・生徒数は「企業秘密に属する」として公表していない。
 福岡県内では、小学校46校、中学校5校で実施された。検査価格は1人430円で、自治体が予算を組んで購入することもあるという。このうち、文科省から道徳教育研究授業を委嘱されている大木町では、町立小中学校の全児童生徒約1300人を対象にテストを実施。経費約57万円は町が支出した。「子どもの力がどれだけ伸びたのか、研究授業の成果を判断するデータを取るため」(同町教委)だ。
 同社によると、道徳テストはほかにも複数の業者が作成し、全国で実施されているという。
 文科省教育課程課はこうした状況について「道徳テストが実施されていることは確認しているが、数値評価が行われていることは知らなかった」とコメント。ただし、「道徳は改訂学習指導要領でも『数値などによる評価は行わないものとする』としており、偏差値や5段階評価はなじまない」と指摘した。
 同社は「改訂学習指導要領に基づき、新版をつくる予定」で、「結果(数値評価)の示し方についても検討する」と話している。(白石昌幸)

 まず、文章にある「道徳教科」というのは間違い。道徳は「教科」領域には位置付いていない。出版社の人はほんとにそう答えたのだろうか。

 さて、「また(福岡)ですか」というのが率直な感想である。
なぜなら、同様の記事が―やはり朝日新聞だが―以前にもあったからである。
2003年5月3日の同紙に
(1)「通知表に『愛国心』、広がる 小6社会科11府県172校盛る 本社調べ」、
(2)「子供の心まで採点(「愛国」の陰で①) 『元寇、君ならどうする』 討論授業が『将来の模範」』」

と題する記事が載っている。
「国を愛する心情」など愛国心を通知表での評価に含めた学校の数で、福岡市は63校と圧倒的に多かった。
 以下、(2)の記事からの引用。
「市内の小学6年生のある担任教諭は、最初に通知表の文案が示された1学期の職員会議でこの文言に気付かなかった。当時の最大の関心事は、本格導入された総合学習の評価をどうするかだった。(中略)気付いた後、評価をどうするか同僚と話し合った。結論は、「子どもの愛国心は評価しようがない」。2学期以降は児童の評価を3段階(ABC)のBにそろえた。」
 結局、愛国心評価の実態なんてこんな程度だ。「国を愛する」という言葉(徳目)に一定の解釈を当て込んで、子どもの思考を硬直させることはできない。特定の徳目解釈に現実を当てはめようとすると無理が出てくるし(「水からの伝言」はそのいい例)、現実には徳目同士が対立するケースがザラにあるからだ。子どもはその矛盾を的確に衝く。困るのは教師だ。だから、上記のように「事なかれ主義」になる。

 そもそも、道徳とは社会のある具体的状況においてどのような意志決定をするかという「行為」の問題に帰着するものであり、「心」の問題に還元されるべきではない。
 「寺の壁の落書きを見て、どんな気持ちになるか」とテストの設問があるというが、「気持ち」なんてどうでもいいから、「落書きをなくす」ためにどう工夫するのがよいかを、独自の工夫を行っている実践例などの事実をもとにして議論をするほうがはるかに有意義だろう。そして、それを「道徳的だ」といちいち段階的に評価できますか? 

         ◇

 それにしても、ここにも商業主義の影響が……。

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懲りない強迫「愛国心」

■「新学習指導要領:総則に「国と郷土愛する」、異例の修正--きょう告示」『毎日新聞』2008年3月28日。

 文部科学省は28日、2月に公表した小中学校の新学習指導要領改定案の総則に「国と郷土を愛する日本人を育成する」という文言を新たに盛り込み告示する。改定案公表後に総則という基本的な考え方を修正するのは極めて異例。文科省は「パブリックコメント(公募意見)などを踏まえ修正した。改正教育基本法の趣旨をより明確にする意見を取り入れた」と説明している。
 文科省によると、改定案公表翌日の2月16日から1カ月間、電子メールや郵便で意見を受け付け、5679件が寄せられた。「国を愛する心について総則に明記すべきだ」などの声があり、国会での議論、与党部会とのやり取りなども加味して修正したという。
 音楽で「君が代を指導する」が「君が代を歌えるよう指導する」になるなど軽微なケースも含めると、修正は181カ所(同様修正の重複除く)あった。
 改正教育基本法(06年12月成立)には「愛国心」表記が新たに盛り込まれた。新学習指導要領改定案では、愛国心について総則にはなかったが、国語や社会、道徳の部分で触れていた。文科省は「道徳の内容は教育活動全体を通じて行うと定めており、考え方は(総則に示しても)同じ」と説明している。
 新学習指導要領は、学力低下の批判などを受け、主要教科と体育の授業時間を約1割増やしたほか、学習項目など内容も理数を中心に約40年ぶりに増やした。【加藤隆寛】

◇「基本法改正の趣旨が生きる」--文科相
 渡海紀三朗文部科学相は27日、「総則に(愛国心を)書いた方が教育基本法改正の趣旨が生きるとの意見があったので(修正を)判断した」と説明。「バランスを欠く意見は排除したつもり」と述べた。
 公募意見の過半数が50代以上だったことには「子を持つ世代から意見をいただくのが理想だが、たまたまそうだった」と話した。

  ちょっと前のニュースだが、チェックしておかざるをえない。
 こういう「異例」なかたちで学習指導要領の方針が変わることもあるという勉強になった。まあ、最後は審議会も何も関係ないということだ。ただ、過去にこんな例があっただろうか。
 「パブリックコメント(公募意見)などを踏まえ修正した」というそのパブリックコメントの概要は、こちらでみることができる。が、そのような要望がどの程度あったのかは資料からは判断できない。タウンミーティングでの「やらせ」の先例があるから、なおさら素直には受け取れない。
 
       ◇
 
 そもそも、こんな措置によっても愛国心が育たないことは確実である。一部の自慰的愛国者の下品な自己満足感からの圧力があったと受け取っておこう。こんな発想でしか「教育改革」が行われないのだから、「学力低下」が起きても何ら不思議ではない。

 普通に考えれば、愛したい国や社会があって、それへの感情が自然と内面裡に湧いてくるというのが愛国心であって、そもそも「教える」という質のものでないことは容易に理解されるだろう。愛郷心もまた然りである。
 要するに、まず問題とすべきは個々人が愛したい・守りたいと思うような国・社会のほうである。国・社会について学んで、そこから個々人がどのような影響を受け、意志決定を行うかということは、各人の自由だろう。
 ところが、政策の現状は、社会的負担の増加などリスクが個人化される不安定な社会状況を強いておきながら、モラルの低下へと論点をずらして不安をますます煽り(しかも「自己責任」論の立場から)、特定の感情(「愛国心」)へと誘導する、じつに倒錯したものである。そのうえ、愛国心の無理強いのためなら、簡単に歴史も修正するし、ニセ科学でも何でも道徳に利用できるものは利用してしまう。
 教師には「愛しなさいよ。それが当然でしょ!」と言って脅迫する典型的ダメ親か、ストーカーまがいの詐術を強いるということになる。だから、こういった問題が教師のモチベーションを著しく下げるのではないかと危惧する。
しかも、その発想で行動を縛る(「君が代を歌えるように」)というのだから、ほとんど子どもをペット扱いである。
 これが言い過ぎだとしても、あまりに独善的で、内向きな発想であることは確かだ。いいかげん「こっちの心の事なんかほっといてくれ」と言いたくなってしまう。

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「渋滞、車多いと自然発生」

「渋滞、車多いと自然発生 阪大などのチームが実証」@asahi.com、2008年03月04日

 渋滞は道路を走る車の数が一定密度を超えると起きることが、自動車を走らせる実験からわかった。トンネルや坂といったボトルネックなどの特別な外因がなくても自然発生するという。英国のオンライン物理学誌ニュー・ジャーナル・オブ・フィジックスに4日発表した。
 名古屋大学情報科学研究科の杉山雄規教授や大阪大学サイバーメディアセンターの菊池誠教授らの研究チームが実施した。大学の敷地内に1周約230メートルの円を描き、これを車線にして乗用車を時速30キロで走らせた。慣れたドライバーが円の上を走るだけなので、渋滞を起こす外因はない。
 車間距離によって車の加速度が決まる数理モデルをたてたところ、車が約20台を超えると渋滞が発生すると予測された。
 実験では、22台が連なって走った。最初は約10メートルの車間距離を保って走行したが、数分たつと流れの悪くなる部分が現れ、やがて4、5台は一瞬、完全に止まるようになった。前の車両が動けば再び走り出すが、渋滞部分は車の流れと逆方向に順々に後送りされ、時速20キロほどで後方に向けて移動した。
 菊池教授は「車の密度が一定値を超えると、ちょっとした速度変化が後の車に次々に伝搬し、渋滞を起こす。ある温度以下になると水が一斉に氷に変わる現象と同じだ」と説明している。

 ネットで話題になっていたニュース記事。
  文系の自分が読む限り、阪大などの研究チームが「渋滞」が「自然発生」する仕組み=理論(モデル)を提示、実験を通して確認してみせた、ということだろう。
 それでも、慎重に読まないと大いに誤解を呼びそうな記事である(自分も正直、わかっているとは断言できない)。
 車が多いと渋滞が起きる――。「あたりまえだろ」と一蹴してしまいそうだが、我々は意識しないうちに「車が多い」以外にも渋滞の要因を土着に作り上げている。「渋滞発生ポイントはあそこ(だから、裏道を行こう)」といったかたちで。でも、理論上は信号や交差点などの外因がなくても「渋滞」は発生するというのが、記事の意味するところだろう。なお、自明の前提だけど、理論は現実すべてをカバーするわけではなく、現実から意図的に抽象化したフィクションである(がゆえに現象や問題の構造を明晰に見通せるのである)から、現実の社会では乗用車だけでなくトラックもあるだとか、円形の中を回っているだけで何がわかる、といった指摘は文字通り“論外”だろう。

New Journal of Physics(FullTextへのリンク) 

映像 

Experiments of forming traffic jam 
「車間距離が一定の値よりも短くなる、つまり密度がある値を越えると、車間距離一定の一様な流れは不安定となります。その不安定な状態で、各車の速度が少し変化することによってできる車間距離のばらつきは、車の進行方向と逆向きに成長しながら伝わり、密度の波となります。これが、渋滞を引き起こします。つまり、密度が高く、車がほとんど停止した部分と、密度が低く、車が走っている部分が、交互に現れる密度の縞模様ができます。これが渋滞です。トンネルや交通事故などは、密度を上昇させる役割があるだけで、渋滞の原因そのものではありません。」

◇「渋滞の論文が出ました(または相転移現象としての交通渋滞)」@kikulog、2008年3月4日

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教育県検証~長野~

■「教育県 検証(1) 改革に着手 信濃教育会」『YOMIURI ONLINE』2008年2月13日。

■「教育県 検証(2) 進学率アップ 道半ば」同上、2008年2月14日。

 実は先週、記事を執筆した記者の方から、(本ブログを経由で)信濃教育会(以下、信教と略す)について質問を受けたところだった(教育情報回路研のエントリに信教の名を記したことが原因。いったい、誰が見ているかわからない。すだっちが言うように「ブログの裾野は広い」)。K山先生にも聞いて頂きたいといったので、先生のところにも連絡が回ったと思う。それにしても、うまいことまとめるなぁ。
 記事では「教育県」再興をめざした、信教による教員現職研修の新たな試み(信濃教育会改革)が紹介されている。

 記事で触れられているが、長野世論調査協会が行った調査(1999年)で「長野県は教育県だと思わない」が65.8%に登り、「大学進学率の低さ」と並んで、理由の一つに「信濃教育会が指導力を持ちすぎ」(16.9%)とあることに驚く。こんな指摘は他県では考えられない。
 長野県民における信教へのまなざしとはどんなものなのか。知りたくなってきた。正直今までは教育史研究の一対象としてしか見ていなかったが、この教育会は今日まで続いているわけで、Web上には、信教のHPはもちろん、信教をタネにした関連ページがいくつか確認できる(例えば、元新聞記者の方が綴った体験談「『教育県・長野』はどこへゆく」『ペンの旅・わが半生』)。そんな話題をもつような教育会は他にはないだろう。

       ◇

 長野が「教育県」だと言われてきた背景には、明治期の「高い就学率」(=近代教育普及の模範的存在)や大正自由教育の展開などを含め、教育・文化に対する県民の高い関心があったと言われてきた。
 だが、「教育県」の指標は、時代の移り変わりのなかで変遷を遂げていると考えている。とくに、戦後は「学力」(=進学率)が強固な指標となっており、また、その向上をめざすスローガンとして用いられてきた傾向にあるのではないか。あるいは「教育県」指標・言説には、その時代における人びとの教育観や学校観、あるいは社会の問題が刻みこまれているのではないか。質問を通して、そんなことを考えるきっかけをいただいた。

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企業の論理による言論の抑圧

 社会はそこまで倒錯したか、という思いを強くせざるを得ない。
日本教職員組合の教研集会・全体集会「会場使用拒否」をめぐる問題である。

■「日教組、全体集会実施困難に ホテル会場『他企業使う』」asahi.com、2008年02月01日。

■「日教組 全体集会を中止 プリンスホテル 高裁の使用命令拒否」『東京新聞』(Tokyo Web)、2008年2月2日。

■「教研集会:全体集会初めて中止に ホテル側の開催拒否で」『毎日新聞』2008年2月2日。

 国家による強力な統制とは異なる、民の非協力、迎合といったかたちでの言論の抑圧をみせつけられるとは思わなかった。
暴力による言論の「弾圧」とそれに荷担する企業、という構図が当て嵌まる。言論抑圧の具体的な姿を垣間見た。
「全体集会で民間ホテルの会場使用を予定したのも初めて」というから、組合の側にも不手際があったのかもしれない。とはいえ、ホテル側の対応は、「卑近な商業主義」と批判されても仕方のないものである。
産経をのぞく大手三紙(読売、朝日、毎日)の社説はいずれも、今回のホテル側の対応を批判している。言論の自由に関わる問題であるだけに、当然の対応だろう。

読売「ホテル使用拒否 司法をないがしろにする行為だ」2月3日
朝日「教研集会拒否―ホテルが法を無視とは」年2月2日
毎日「社説:会場使用拒否 言論の自由にかかわる問題だ」2月2日

 司法の判断より企業の論理を優先させた「グランドプリンスホテル新高輪」の文字は、深く刻みこんでおく。これが大きな問題への予兆である可能性は、ゼロではない。
 ほとんど換骨奪胎されてしまい、労働組合的性格の面でも、専門職的指導性の面でも、もはや大きな影響力たり得てないにもかかわらず、それでも叩かれる日教組というのは実に不思議な存在である。ここまで来ると、むしろ右翼や批判者は組合を愛しているんだなといわざるを得ない(それが、「亡霊」であるにもかかわらず)。

【追記】2008年2月11日
株式会社プリンスホテル(2月5日)
http://www.princehotels.co.jp/kouhou/pdf/20080205kumiai.pdf

 虚偽だらけの釈明で、実に言い訳じみている。本来、(日教組への)謝罪文の体をなしていなければならないのに、それがみられない。

(1)
「右翼団体等からの圧力は一切なく、右翼団体等をおそれて解約したのでも決してございません」。
いや、おそれたのだ。「右翼団体等」が念頭になくても、契約を解約したというのか。だったら、なおさら問題だ。

(2)
 相手が暴力団ならともかく、「他のお客様に多大なご迷惑がかかる」といって、ある一人のお客様(=日教組)を排除するのは、接客のあり方として杜撰である。
会場使用を一方的に解約する代わりに、別の会場使用の手続きをとるといったフォローをホテル側は行ったのか。尋ねてみたいところである(「主催者側には他の会場を探す時間もあったのではないでしょうか」などという文言からは、そのようすは見えてこない)。
仮にしていたとしても、客の意向に添えなかったのだから、接客対応としては問題だ。ホテル側の器量が問われた問題だった。

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「数学力」はアップしているとな。

■「理系高3の数学力、30年前よりアップ」(『読売新聞』2008年1月29日)

 子どもの理数離れが懸念されているなか、理系高校生の数学力はおよそ30年前よりも上がっていることが、東京理科大学数学教育研究所が1万人を対象に行った学力調査で判明した。
 理科大への進学者が多い高校580校から任意に選び、調査協力を呼びかけた。2005年から3年間実施し、31都道府県からのべ146校が参加。「数学3」と「数学C」を履修している高校3年生に問題を出した。
 問題のうち約30問を国際教育到達度評価学会(IEA)が理系高校生に行った1980年度の国際数学教育調査(SIMS)と同一の問題にし、比較した。その結果、今回調査のほうが成績が上だった問題が全体の66・3%もあり、同程度が21・7%だった。80年度より成績が下回った問題は11・9%にとどまった。同研究所の澤田利夫所長は「理系の生徒の学力は長期的にみて低下していないことが証明できた」と話している。
 ただ、3年間の成績を比較すると、平均正答率は徐々に下がり、特に、図形など記述式で証明を求める問題の成績低下が著しかった。
 昨年12月に発表された経済協力開発機構(OECD)の国際学習到達度調査(06年実施)の結果では、日本の15歳の「数学的応用力」が03年の6位から10位に転落。文部科学省が来年度からの新学習指導要領で理数系の強化対策を打ち出していた。

 記事からポイントを選び出せば、以下の5点だろう。
①対象が「理科大への進学者が多い高校」の「理系高校生」(3年生)であること
②「31都道府県からのべ146校が参加」、「一万人を対象に」したこと
③「問題のうち約30問を国際教育到達度評価学会(IEA)が理系高校生に行った1980年度の国際数学教育調査(SIMS)と同一の問題にし、比較した」ということ(OECDが行うPISAとは異なるということ)
④結果として、「今回調査のほうが成績が上だった問題が全体の66・3%もあり、同程度が21・7%だった。80年度より成績が下回った問題は11・9%にとどまった」ということ
⑤「3年間の成績を比較すると、平均正答率は徐々に下がり、特に、図形など記述式で証明を求める問題の成績低下が著しかった」こと

 2007年10月に同研究所が行った「基礎学力調査」実施結果については、東京理科大学数学教育研究所のウェブサイトにて公表されている〔「理系を対象とする基礎学力調査」中間報告書(案)[pdf]、以下、報告書(案)と略す〕。
同報告書(案)には、「学校間の正答率のばらつき」「期待正答率と生徒の正答率」「教師の評価と実際の正答率」など、ほかにも注目するデータが報告されている。これらは「何が学ばれ、何が学ばれなかったか」を知る手がかりを得るうえで重要だろう。
 また、「理系生徒の基礎・基本的な数学学力の間には男女差はない」(7頁)という見解も興味深い。
 さて、報告書(案)と上の記事を読み比べて、まず②「31都道府県からのべ146校が参加」「1万人を対象」は報告書(案)からは読み取れない。報告書(案)では、今回の調査は21都道府県から58校の参加を得た旨、記されている(4頁)。最終的な参加「理系生徒数」は4575人である(同)。3年間の結果で記事のとおりになるのだろうか。
 加えて、⑤も報告書(案)からは確認できない。報告書(案)では、同一29校を対象とした07年度と06年度の比較がなされている。それによると、「相対的に成績低下傾向が見られた。しかし、全体37題の平均成績には有意差がみられなかった」(16-17頁)。記事中、「記述式で証明を求める問題の成績低下が著しかった」というのも、誤解を起こしそうだ(「著しい」という形容詞は主観的な表現)。報告書(案)では、今回、記述式の問題で成績がふるわなかったのは、「平面図形」「図形と方程式」「行列」「導関数」「三角関数」とされている(9頁)。
 なお、④について、報告書(案)では次のように述べている。
「全体32題中、今回調査がよかったのは19題、SIMS調査のほうがよかったのは6題、両調査に有意差がみられなかったのは7題であった。/この調査結果から、SIMS当時の生徒と比べて、今回の生徒の成績は劣っていないと言える。この傾向は05年度、06年度にもみられた。」(18頁)

 今回比較に使われているのは、IEAの、いわば従来型の、教科の枠組みを前提とした「学力」測定調査であり、先日騒がれたPISA(応用力、リテラシーといった能力を測定する)ではない、ということも十分考慮に入れておく必要があるだろう。
 また、今回の調査対象である「理系高校生」が、東京理科大学への進学者がある「進学校」の生徒だとすると、対象がじつはかなり成績上位層に限られてくるのではないかという気がする。
 「学力低下」という言葉を吐くときに気をつけたいのは、全体における上位層の厚さは実は変わっていないということである。ところが、今まで日本の学力の高さを支えていたぶ厚い中間層の一部が、下の方にひっぱられていった。「二極化」という状況であり、それによって全体としての「低下」が起きた、というのが、専門家間の一応の見解である(と思う)。それは「ゆとり教育の失敗」というより「成功」といったほうが的を射ている。80年代、新自由主義路線の中で登場した「ゆとり教育」のねらいはもともとそこだろう。
  それにしても、まだ報告書(案)の段階だというのに、よく記事にしたなぁ。

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やれやれな脅迫

「『忘年会やめろ」と脅迫 仙台、小学校に中止指示」
(MSN産経ニュース、2007年12月4日)

 宮城県教育庁に「仙台市小学校の忘年会をすべて中止せよ。さもなくば、子供の命を奪う」などと手書きによる脅迫文書が届いていたことが4日、分かった。
 平成17、18年の年末にも同じ内容で字体が似た文書が届いており、仙台中央署は同一犯の可能性が高いとみて脅迫容疑で捜査している。
 これを受け、仙台市教育局は小学校123校に忘年会の中止を指示。学校などに登下校時の安全確保を呼び掛けた。
 調べでは、3日午前11時ごろ、県職員が茶封筒を開封。便箋(びんせん)に黒のボールペンで「朝、子供の命を奪いに行く。特に19日、20日、気をつけろ」と書かれ、仙台市の若林郵便局の1日付消印が押してあった。

(1)バカな脅迫文書である。
①仙台市小学校への要求なら、宛先は県教育庁(県教委)じゃなくて仙台市教育局(市教委)だろう。
②一銭にもならない要求をして、何の意味がある。
③全小学校123校が「忘年会」をしないと、どうやって確認するんだよ。
④「朝、子供の命を奪いに行く」と、犯行の時間帯を自分で限定してしまっている。
⑤「十九日、二十日、気をつけろ」というが、「子供の命を奪いに行く」のは「朝」なんだろ。仮に、ある学校が20日に「忘年会」をしたとしても、「子供の命を奪いに行く」チャンスは、21日の「朝」しかないんじゃないかな。その後すぐ土・祝日・冬休みに入るけど、それからでは出歩く子供が減るから難しいだろう。
⑥当然「忘年会」を開いていない小学校の子供を襲うことはできないだろう。それとも「忘年会」予定の情報を掴んでいるのか。今どき学校名で予約するところなどないから、掴んでいるとしたら、かえって身元を特定されてしまうぞ。
⑦そんな暇があるなら、年越しの準備をしろ。
まあ、犯行声明から読みとれる無知ぶりは、教育関係者のそれではないな。第一、平日に忘年会を開けるほど、先生方は暇じゃないだろう。

(2)こういったふざけた快楽犯(としか言いようがない輩)にいちいち付き合わなければならない先生方が気の毒である。自分なら「まともに取り扱う必要なし」と判断するが、世論が世論だから、市教育局も「『中止』の指示」というかたちで手を打ったのだろう。だが、こんな仕様もないことを毎年繰り返すのは、あまりに馬鹿げている。もっとも学校側からすれば、さしあたり「登下校時の安全確保」を行った上で、次のような対処・選択肢をとるのだろうけど。
①派手な飲み会としての「忘年会」は避ける。代わりに茶話会(≠忘年会)などの催しを開く。
②個別に、パーティ・宅飲みなどをやればいいさ。
③「忘年会」ではなくて、「新年会」という手もある。 
④年末ではなくて、年度末に行う(「送別会」「謝恩会」。教員の世界だとこっちが主流なんじゃないですか?)。
⑤その前に校務が忙しくて開けんわ、このバカちんが。

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[木ログ]ニュース記事いくつか

《生活》
◇「不当表示:トイレ用芳香洗浄剤で排除命令 公取委」『毎日新聞』2007年11月27日。
 最近、どこに行っても「セボン」を見なかったのは、こういう理由だったのか。
 (※「お詫びとお知らせ」@アース製薬HP

◇「『うまい棒』の入浴剤発売へ」『asahi.com』2007年11月29日。
 間違えないように注意。

《事件》
◇「児童盗撮ビデオ:警備員が教諭の机から発見、脅迫し逮捕」『毎日.jp』2007年11月29日。
 誤読しそうな記事。逮捕されたのは教師じゃなくて“警備員”なのね。ドロドロだな。阿部和重の小説を思い浮かべてしまう。

《歴史》
◇「大川周明:未発表原稿見つかる 大物右翼・頭山満の評伝」『毎日.jp』2007年11月29日。

◇「大川周明 幻の原稿見つかる」『asahi.com』2007年11月29日。

《政治》
◇「『徴兵制あってしかるべき』東国原知事が持論展開」『asahi.com』2007年11月28日。
 軍隊のかわりに「たけし軍団」で一つよろしく。

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過剰不安社会への危惧

 芹沢一也さんは次のように述べる。

「先日、作家の川端裕人さんとお話しする機会があった。話題は、ぼくがその問題性に警鐘を鳴らしてきた地域住民の防犯活動である。……
 [川端さんは過剰な防犯意識の-引用者注]クールダウンのため、PTAで母親たちに、ぼくが犯罪学者の浜井浩一さんと書いた『犯罪不安社会』を薦めて下さっているとのことだった。ところが、この本で日本の治安は悪化していないし、子どもたちの生命も危険に曝されていないと知っても、母親たちの意識はまったく変わらないという。たしかに確率は低いかもしれないが、決してゼロではない。そうであるなら、子どもを守るためには、どんな手段にでも訴えるべきだと言うそうだ。……
 会話の最後に川端さんは、一枚のパンフレットをぼくに差し出した。それはある養護学校が作成したもので、知的障害に対する理解を促すためのものだった。現在、地域社会では不審者とみなされると、すぐ警察に通報されるようになっている。そのような時勢にあって、パンフレットは知的障害者を不審者扱いしないでと訴えていた。……母親が子どもの安全を願う気持ちは、もちろん非難すべきことではない。だが、そうした思いが防犯意識を過剰なものとし、社会的な弱者の排除へとつながっている。しかも社会が排他的になると、弱者にしわ寄せがいくだけでは済まない。異質なものや多様性を許容できない社会は、結局は進歩へのダイナミズムを枯渇させていく。それはぼくたち自身の未来の可能性を狭めることでもあるのだ。……」
〈註〉芹沢一也「ダブルクリック 恐怖心が奪うもの」『毎日新聞』2007年11月23日。

 犯罪不安を解消して「安心」(≠安全)を得たいという市民の姿勢が、結果的に、他者(社会的弱者)を差別・排除する方向に向かう―そして、そのことを問題にしない―という問題性については、十分に配慮すべきである。
 上に示した芹沢さんの記事が眼に留まったのは、入国外国人への指紋採取と顔写真撮影が始まったことに対する個人的違和感とマッチしたからである。鳩山法相の拙い発言が、問題をより際立たせる。改正入管法施行に基づくこの取り組みについて、彼は「テロを防ぐという大きな目標のために我慢してほしい」と述べたという(「法相が指紋システムを視察/『テロ防ぐため我慢を』」『四国新聞社、SHIKOKU NEWS』、2007年11月19日)。「友達の友達はアルカイダ」など、一連の過激発言はこの政策を説得づけるために行った=国民の不安を煽ったものだろう。しかし、根本的に考えて問題なのは「テロの脅威にさらされるような危険な状況へと日本を追い込んだ」ことのほうである。状況が変わってしまったというなら、そのような敵対状況を“作り出した”人間の責任がまず問われなければならない。「なりゆき」でこうなったから仕方がない、我慢してくれという「なりゆきの現実主義」で説明されても、何ら説得力はない。自己(国)中心的な理由で日本に入国する多くの外国人を不審者のように扱い、不快な思いにさせるのでは、かえって日本への好感度を国際的に下げる不利益のほうが大きい(この政策に賛同する一部の議論は、とりわけ特定の「外国人」中傷に眼目があるようで、「テロを防ぐという大きな目標」からすらズレているようだ)。とともに、このような姿勢はまた、我々個人間のたえざる相互不信を醸成する危険があると想定せざるをえない。
 何よりも問題にすべきなのは、テロや犯罪への過剰な不安をダシにした「対テロ・危機管理利権」(『保坂展人のどこどこ日記』2007年11月19日)ではないのだろうか(それは、住基ネット、Nシステムと同じ図式、すなわち、新しい管轄対象と手段をつくり出すことによる役人たちの権力と利権の拡大・再編成の表出である)。

     ■   □   ■

 以下の記事も、過剰不安の問題を考えるうえで、非常に示唆に富むので、挙げておく。
「暮らし 『世界が完全に思考停止する前に』森達也さんのお話」『JANJAN』2007年11月25日。

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哀悼・パヴァロッティ

■「パバロッティ氏逝く 日本でも惜しむ声」『asahi.com』2007年9月6日。

 クラシック、オペラにどんなに疎い自分でも、ルチアーノ・パヴァロッティの名くらいは知っている。音楽の授業で習うくらい、高名で人気のある歌手だ。その洗練された歌声は、世界三大テノールの中でも一際個性的な輝きを放ち、聴く者を虜にしてきた。
 ほんとうに何度聴いても魅了される。

[Luciano Pavarotti]
◇Nessun Dorma

◇O Sole Mio

◇Torna a Surriento

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[火ログ]サプライズ

[100周年関連ニュース]

「「感無量」OB小田和正さん熱唱 東北大100周年祝賀会 」(『KoLnet』2007年8月27日、ウェブ魚拓)

「東北大100周年式典 井上総長「新たな航海に出発」」(『SANSPO.COM』2007年8月28日、ウェブ魚拓)

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アツイぜ

 「終戦」の日(玉音放送があった日)だった昨日、仙台は観測史上最高気温を記録した。以下、そのニュース記事。

「仙台で37.2度、過去最高を更新 宮城全域で真夏日」

 太平洋高気圧に覆われた宮城県内は15日、各地で気温が上がった。仙台では37.2度を観測し、1926年の観測開始以来の最高気温を更新した。
 海からの東風が入りにくい気圧配置となり、全域で厳しい暑さに見舞われた。宮城県内では午前10時までに、19の観測地点すべてで30度以上となった。
 仙台では午前10時15分に35度を突破し、その後も気温は上がり続けた。午後1時半までの最高は1時13分に観測した37.2度で、1929年8月8日に記録した過去最高(36.8度)を塗り替えた。
 仙台管区気象台によると、厳しい暑さは16日までで、その後は平年並みかやや低めとなる見込み。 
           『河北新報』2007年08月15日

 こういう日は家の中でダラダラ過ごすに限る。昼ドラや『HERO』の再放送を、しっかりみてしまった。
 夕方は「東北大学百年物語」http://www.ox-tv.co.jp/nc/tohoku-univ100.shtmlをみる。ちょうど、自分がCOEでお世話になった先生が登場している(「世界へはばたく女性研究者たち」、8/15)。大学の研究者が「男女共同参画」をリードしていく以上、まず大学自体が「男女共同参画社会」でなければならない(机上にとどまらず、そうあるためのアクションを起こさなければならない)という自明の主張をしていた。自明だが、そこまで到達することは難しいし、机上の楼閣に甘んじている研究者は多い。セクハラ対応にあたっていた先生がセクハラをしたとか、教育評価論を専門にしている先生が自身の授業評価のアンケートを隠蔽したとかいう話を身近に聞くからだ(えっ、ウチだけ?)。だからそんな病気に感染しないよう、自戒を込めて記しておこうと思う。
 あとVTRの最後に、TGさんが映っていたのでびっくり。
 そういえば、この「百年物語」には、自分の前指導教員や講座の後輩たちも登場していたし、歌手の小田和正さんの姿も。

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