[本]『教育と平等』を読む

■苅谷剛彦『教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか―』中公新書、2009年。

 戦後日本にとって
 格差をなくす とは
 こういうことだった― (帯文より)

 『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書、1995年)の裏面史ともいえる、苅谷氏の戦後教育社会論。同書もまたひじょうに中身の濃い充実した内容となっている。
 アメリカと比較したとき、日本の戦後教育において「平等」とは、どのようなことを意味し、その具体化のプロセスとは、いったいいかなるものであったのか。
 本書では、「面の平等」(⇔「個の平等」)というタームを用いながら、教育の機会平等をめぐる〈システム〉構築へのきわめて特異なプロセスを浮き彫りにしている~個人の能力の差異を初期条件として設定し、その差異に応じて学習の個別化を図るのではなく、教育条件自体の均一化(均質な時間と空間を用意し、そこで繰り広げられる教育・学習においても、等量・等質をめざす。その象徴としての「学級」)を図り、むしろ個々人の差異を目立たせずに、平等状態を仮構する。個人を単位に平等を考える「個の平等」とは異なる「面の平等」~。
 「文部省」(教育政策)対「日教組」(教育運動)という二項対立的な図式に左右されない、その底流(本書では「義務教育におけるお金(税金)の動き」)へと目を向けた「歴史」のかいくぐり方には、研究者として強い感動と憧れを抱く。
 「歴史」を扱いながらも同書が問いかけるものは、きわめて現代的な課題にも迫るものである。
 教育条件の均質化のために、戦後日本が選択した「平等」のシステム。
教育格差が問題視される今だからこそ、改めてこれまでのありようを冷静に議論する必要があると、本書はそう我々に問いかける。

  ◇  ◇

 「あとがき」で苅谷氏が記している研究手法・スタイルをめぐる以下の言辞には、教育史研究者(の末端)として自らの手法・スタイルを反省させられる(そして、「では、どうすればよいのか」と途方に暮れる)。
「…本書は私にとって思い入れの強い本である。ひとつには、いわゆる「言説研究」とは異なる類いの知識社会学的研究のあり方を示したいと思ったところにある。古い雑誌や文献から言葉を拾い集め、それらの関連性をもとに、ある時代の社会意識、メンタリティ、「時代精神」を取り出す。そういう研究スタイルの流行が、教育の社会学的研究でも続いた。だが、取り出された言葉をもとに、パッチワークのように再構成されたある時代の時代意識なりメンタリティが、どこまでその社会に根深く埋め込まれた基底的な知識にまで到達できているか。私自身のこれまでの研究を含めて、隔靴掻痒の感を持っていたのである。文献に残された「言葉」だけに頼らずに、「言説と実態の二分法」にとらわれずに、ある社会のある時代の基底にある「知識」を取り出すことはできないのか。財政の仕組みとその実際の動き(お金の配分のあり方)への着眼には、そのような方法論的な企図があった。語られない部分を含めて、ある社会のある時代の「知識」に迫りたい。それがどれだけ成功しているかは読者の判断に任せるしかない。ただ、資源配分に埋め込まれた基底的な「知識」が、私たちの社会や教育のあり方に影響を及ぼしていることを幾許かでも示せているとしたら、このような研究スタイルにも多少の意味があると言えるのかもしれない。」(284頁)

(mixi日記9月7日から転載)

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『反貧困』を読む

(※mixi読書日記1月5日から転載)

■湯浅誠『反貧困―「すべり台社会」からの脱出―』岩波新書、2008年。

 日比谷「年越し派遣村」の運動が正月の報道を賑わせている。
 案の定、ネット上には読むに堪えない差別的言辞をはらむ「自己責任」論が一部で垂れ流されている。
 また、「村」運営の手法を批判する言説もあるようだ。
 とはいえ、たとえ一人でも行き場を失われた人々の命と、個人の尊厳を守ることに成功したのなら、この運動は大いに評価されるべきである。非現実的な建前論に終始するリアリズムを欠いた姿勢では、こうした活動(「居場所作り」)はできない。

 「現代の貧困」は、今年“も”大きな問題として、私たちの社会にのしかかってくることは間違いない。これを避けて通ることはできない(たえず自分たちにのしかかってくる「不安」である。その不安を「自己責任」で解消しようとさらなる「競争」に駆り立てられれば、一層「不安」は増大し、ますます他者を排除しようとするようになる。“溜め”はますますなくなる)。
 だからこそ、問題の実態(「すべり台社会」)を正確に受け止め、打開へと立ち向かう一歩として、湯浅氏の『反貧困』は広く読まれるべきである。

 貧困は決して「自己責任」に還元されうる問題ではない。その主張は、本書で貫かれている。
 貧困は単に「所得が低い」とかいうことではなく、「生活上の望ましい状態(機能)を達成する自由(潜在能力)が欠如している」状態を指す―、アマルティア・センは「貧困」をそのように定義する(センの「潜在能力」に相当する概念を、湯浅氏は“溜め”という言葉で語っている)。
 つまり、「他の選択肢を等しく選べたはず」という個人的・社会的自由=“溜め”を失っている状態が「貧困」なのである。「貧困状態にある人たちに自己責任を押し付けるのは、溜池のない地域で日照りが続く中、立派に作物を育ててみせろと要求するようなものだろう」(82頁)。
 かくして、「どうすれば人の、そして社会の“溜め”を増やすことができるのか」が貧困に立ち向かう課題として設定される。それは、「人々の支え合いの強化、社会連帯の強化、そして公的セーフティネットの強化」(反貧困ネットワーク)を通じて果たされると湯浅氏は述べる(213頁)。「派遣村」の運動は、その具体化の一例と捉えられよう(公的セーフティネットの強化につながればよいのだが)。

    ◇ 

 昨年のある研究会の合宿で、自分は「(教育)ネットワーク」をキーワードに、現在の問題意識について報告を行った。自分が「ネットワーク」という名の付く部署に所属していること、それゆえ「ネットワーク」という言葉に敏感になったことが直接的な契機であったのだが、おかげで、多分野にまたがる現代的課題~個人が孤立化させられる社会状況の中で、「連帯の条件」「社会のネットワーク」をどのように構築していくか~を考えるきっかけを持つことができた。「ネットワーク」、これは貧困の問題に係ってくる論点でもあるはずだ。湯浅氏の主張はそれを示唆している。

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1974年からの証言

 あちこちで話題になり、絶賛されていた原武史『滝山コミューン一九七四』(講談社、2007年)をようやく手に取ることができた。
 〈戦後〉の問い直し、戦後教育・戦後教育学への批判(自己批判も含めて)が活発化している状況下での刊行だったから、自分も非常に関心を持っていた。
 なるほど、こういう本だったのか。たしかにこの本はおもしろい。貴重な戦後教育史資料の一つに位置づけることも可能だろう。「戦後は個人を重視したばかりに伝統や公共が軽んじられた」的な、劣化保守の議論とは一線を画した戦後教育認識が、実体験をもとに論じられている。
[「二〇〇六年十二月に教育基本法が改正される根拠となったのは、GHQ(連合国軍総司令部)の干渉を受けて制定されたために「個人の尊厳」を強調しすぎた結果、個人と国家や伝統の結びつきがあいまいになり、戦後教育の荒廃を招いたという歴史観であった。だが果たして、旧教育基本法のもとで「個人の尊厳」は強調されてきたのか。問い直されるべきなのは、旧教育基本法の中身よりも、むしろこのような歴史観そのものではなかったか。」279頁]

 だが、読後感は複雑だ。読んでいて、原少年の冷めた心情に深く共感できるところもあれば、そうでないところもある(著者自身が「滝山コミューン」に対する感情に揺れている)。著者より、15、6年後の平成への変わり目の時期に、保守的な土地柄の東北の小学校で、小学生を送ったという年代的、地域的な違いゆえだろうか。いや、出来の違いだろう。
 原氏の小学校時代の記憶はおどろくほど鮮明である。対して自分は、原氏の同級生と同じく当時の細やかな記憶はほとんど「喪失している」。原氏は有名私立受験のために進学塾に通う早熟な小学生時代を送り、一方ではこまめに日記を付け、鉄道の世界に耽り、また集団生活への同化に違和感をもつナイーブさを持ち合わせていた。毎日バカをやって暮らしていた自分の少年時代とは比較にならない。自分が受けてきた義務教育(それも「戦後教育」という範疇に入ってしまうのか?)を振り返るとき、たとえ同質の問題を抱えていたとはいえ、著者が体験した集団主義教育の質の高さや子どもたちの積極的な姿をうらやましく思ってしまう。私が体験した教育もまたある種の集団主義を抱えてはいたが、それはもうイデオロギー性や「美しい物語」を失った、多分に管理主義的なそれだったとしか受け取ることができない。
 ただ、だからといって、原氏が体験した教育が特異で例外的なものだったとみるべきではない。むしろ、そこに最も純粋な形で、「戦後教育」の有する可能性と問題点が表れているとみるべきだろう。

 それにしても、戦前ではなく、ほんの30年前に本書が示すような集団主義教育実践が行われていたことは正直知らなかった。著者が通っていた東久留米市立第七小学校〔七小〕では、全共闘世代の若手教員を中心に全国生活指導研究協議会〔全生研〕の方式に基づく教育が行われ、新聞メディアなどを通して注目を浴びていた。生活指導・学級集団づくりに関する著書も多く出されていたが、原氏の目線を通して読み直してみるかぎり、たしかに違和感を抱くところもある。
[「そこには一見、憲法や教育基本法に保障された「個性の尊重」が、「内外の反動的諸勢力」によって脅かされているという、典型的な護憲派リベラルの主張が読み取れる。だが全生研で強調されたのは、集団主義教育であった。「大衆社会状況の中で子どもたちの中に生まれてきている個人主義、自由主義意識を集団主義的なものへ変革する」という文面からは、世界が東西の二大陣営に対立していた時代にあって、まだ理想の輝きを失っていなかった社会主義からの影響が濃厚にうかがえる。「個人」や「自由」は、「集団」の前に否定されるのである。
 このような集団主義教育は、旧ソ連の教育学者、A.S.マカレンコ(一八八八~一九三九)の著作によるところが大きかった。」50-51頁] 

 70年代教育を歴史的に捉え直す本格的な研究はまだないんじゃないか。当事者たちが生きているから、生々しくなってとても書けないというのがあるかもしれない。ただ、戦後史の枠組みで捉え直していく意義は大いにありそうだ。
 本書が、マイナスイメージの戦前教育と、それとは対照的に「日本国憲法、教育基本法の価値理念によって聖化された戦後教育」という構図を破壊する力は十分にある。
[「私は当時の七小が、文部省の指導を仰ぐべき公立学校でありながら、国家権力を排除して児童を主人公とする民主的な学園を作ろうとした試みそのものを、決して全否定するものではない。それどころか、この希有といってよい体験から少なからぬ影響を受けていることを、いまの私はよく自覚している。
 しかし、ここで問題にしたいのは、自らの教育行為そのものが、実はその理想に反して、近代天皇制やナチス・ドイツにも通じる権威主義をはらんでいることに対して何ら自覚をもたないまま、「民主主義」の名のもとに、「異質的なものの排除ないし絶滅」(前掲『現代議会主義の精神史的地位』)がなぜ公然と行われたのかである。それは、ナチス政権下の公法学者となったカール・シュミットと同じように、民主主義に対するきわめて一面的な理解に根差していたといえないだろうか。」211-212頁]

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恐るべき「善意」

 斎藤貴男「緊急ルポ プリンスホテルの恐るべき『善意』 ルーティンワークが自由を殺す」『世界』2008年4月号(no.777)を読む。じつに刺激的な論考だった。例の、グランドプリンスホテル新高輪による、日本教職員組合の教研集会・全体集会「会場使用拒否」問題についてのルポである。最近の映画『靖国』上映中止問題にも見られるように企業の「事なかれ主義」が顕在化している昨今、このルポを読んで問題の深刻さを痛感せずにはいられなかった(ホテル側の会見の様子を読んでも、日教組を顧客としてすら扱っていない差別的対応がうかがえる。「ホテル・ルワンダ」とは大違いである―と思ったら、すでに内田樹氏が『ホテル・ルワンダ』を取り上げつつ同問題を論じていた)。

 ホテル・会場の位置や敷地などをインターネットを経由して見ながら、ホテル側の説明「受験シーズン」「周囲に迷惑がかかる」がどうにも腑に落ちないでいた。ルポの次の文章は、その「善意」の疑わしさを明確に衝いている。

プリンス側の言い分そのものも、疑わしくないか。会場周辺もプリンスホテルの広大な私有地なのだから、警察はむしろ有効な警備態勢が敷きやすい。万が一にも病人や受験生に被害を及ぼして、本気で警察の面子を失わせたらどういう報復が待ち受けているのかを、街宣車の主たちはよく知っている。
 しかも会場の目と鼻の先にはロシア通商代表部が立地していた。ということは、日教組側は後になって知ったことだが、この一帯は「国会議事堂周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」によって拡声器の使用が禁じられている。だからこそ、自民党は例年グランドプリンスホテル新高輪で党大会を開くのだ。福田康夫首相が今年一月一七日、“生活重視”の党運営を打ち出したのも、この場所だった。(75-76頁)

 しかも「この種の出来事が、二〇〇八年の日本には珍しくない」(76頁)として、「DV防止講演会を中止したつくばみらい市」の問題なども挙げられている。斎藤氏の最後の指摘が、不気味に響いてくる。

今回の事件がヒントとなって、反権力的な集会や会合を容易に潰すノウハウが確立されていく危険も小さくないと思われる。彼らだけを笑う資格が、しかし、現代の私たちにあるのだろうか。(82頁)

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本が出ました

■梶山雅史編著『近代日本教育会史研究』(学術出版会、2007年。定価3,990円)

中央・地方教育会の具体的活動内容とその歴史的役割を鮮明に浮かび上がらせる!
 明治10年代に全国各地に登場した教育会は、行政担当者、師範学校スタッフ、現場教員、地域名望家を構成メンバーとし、各地域の教育事業振興に極めて大きな作用を及ぼした。日本教育会史上、教育会は全く新たな組織・システムであり、強力な教育情報回路を形成し、多様な行事・事業を繰り広げ、時事案件の処理にあたり、戦前の教員、教育関係者の価値観と行動様式を水路づけ、さらに地域住民の教育意識形成に深く関わった。教育会の本格的研究である本書は、日本教育会史像の点検と再構築を提起する。(広告より)

 学術出版会から発売されている(ここで宣伝だ!)。
Shiraさんすだ公民館長ら若手による執筆が多く、一部私も何頁かを汚している(汗) ブロガー率が高い(?)という意味でも画期的な教育史研究書である(笑)
 「序章 教育会史研究へのいざない」を読むと、何かカジヤマ先生の教育会史研究に賭ける熱い想いが伝わってくる。「教育会の実態解明なくしては、近代日本の教育実態の構造的解明は、その深部の核心を把握し損ねるといっても過言ではない」(32頁)なんて文章を読むと特に。
 また、「序章」では教育会史研究に関する重要な先行研究にしっかり言及しているので、教育会史研究の論点整理をする上でありがたい。
 以上、ご紹介まで。

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「慰安婦」問題から教示を得る

■大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか―メディア・NGO・政府の功罪』(中公新書、2007年)。

 1990年代以降、「歴史認識」をめぐる大きな争点であった「慰安婦」問題。本書は、「慰安婦」救済を目的に設立された「アジア女性基金」に関わった、当事者による回顧録―「達成」と「失敗」の記録―的色彩を帯びている。
 本書で著者は、従来の政府、官僚主導によっては対処が困難な社会問題、政治問題の解決に果たすメディア、NGOといった新しい「公共性の担い手」の意義を強調している。著者によれば「「慰安婦」問題は、こうしたメディアとNGOの公共的機能が典型的に発揮されたケースだった。「慰安婦」問題は典型的な人権、しかも女性の尊厳にかかわる問題であり、同時に日本国民の「歴史認識」を問う問題だったからである」(ⅴ頁)。

 本書には、左右両側からたたかれた当事者ならではの視点が貫かれている。例えば、それは、単なる政府=悪玉論に陥り、煽動的で独善的になりやすいメディアやNGOの問題をも言及している点である。
 数ある戦後責任の中で、何を優先すべきか・急を要するか、そして硬直的な政府・官僚に対して、現実的に被害者へのどのような償いの仕方がありうるのか。本書を読むと著者のそのような苦悩が見えてくる。かくしてその苦悩は、「アジア女性基金」というかたちで具体化されたが、それはまもなくメディアやNGOなどから批判されることになる(国家補償論的観点から)。「『慰安婦』問題は、すでに被害者個々人の救済、個々の元『慰安婦』への償いというより、歴史認識、ナショナリズム、フェミニズムをめぐる政治的・感情的な争いへと転化してしまっていたのである」(26頁)。 
 多様である個々の被害者の要求から離れ、「過剰な倫理主義」(89頁)的発想のもと、非現実的なタテマエ論に終始したメディアやNGO(日本だけでなく、被害国-韓国のそれをも含む)の姿勢を、著者はリアリズムを欠いたものとして疑問視する。

「政権内のぎりぎりの折衝や、日本が遂行した一五年戦争の侵略性を認めようとしない自民党多数派の歴史観の根深さ、「慰安婦」問題で謝罪することへの反発の強さは、一般の市民には見えない。多くのNGOや学者にもほとんど見えない。こうして、国家補償派の学者やNGOは、『もうすこし時間があれば』といった希望的観測にもとづく批判を基金に浴びせ、実現の見込みのない目的を掲げて突き進んだのである。」(112頁)

「『慰安婦』問題にかかわった多くの支援団体、NGO、弁護士、学者、ジャーナリストは、みずからが政治闘争の主体であり、〈みずからの言動は結果責任を問われる-傍点〉という自覚をどれだけもていたのだろうか。そうした自覚とリアリズムを欠いたまま、裁判闘争やメディアの圧力、国連などを利用した外圧によってみずからの主張を実現できると考え、被害者たちにそう助言してきたのではないか。こうした希望的観測のもとに被害者を引っ張ってきた支援団体や弁護団は、結果に対する責任を負うべき主体として、将来の予測と政治闘争の方針の立て方において大きな過ちを犯したのではなかろうか。」(155頁)

 著者にいわせれば、「国家補償」とは、実はどれをとっても完全な償いはあり得ない多様な「償い」(償いきれない償い)のなかで、相対的には「基金による償い」よりはましな、しかし実現可能性のきわめて乏しい、ひとつの償いのあり方だった。「にもかかわらず、多くの学者やNGO、メディアの担い手は、あたかも国家補償だけが唯一無二の被害者の意思であり、それが実現しなければ「慰安婦」問題の解決はあり得ないという言い方をした。そうした主張は、法的責任と道義的責任の関係、政治的力関係や司法府のあり方、メディアや運動体の力に関する冷静な認識と評価を欠いた、ある種の思い込みだったのではないか。それは、多くの被害者に裁判と特別立法による解決への期待を最後まで抱かせ、最後の最後になってその期待を裏切ってしまうという、取り返しのつかない結果をもたらしたのではなかったか」(207頁)。
 元「慰安婦」の女性たちを支援するはずが、彼女らの多様な償いへの要求を無視し、狭量で独善的な「正義」を言い募ることに終始して、結果的に被害者の救済へとつなげることができなかった(できていない)NGO、メディアの姿勢はたしかに反省すべき点を含んでいるのかもしれない。

         ◇

 「慰安婦」問題に限らず、ある運動や政策を「失敗」とみなすとき、何をもってそうみなすのか、「失敗」だというならほかにどのような解決方法がありえたのか、そのような評価のための自覚化された視座と基準が必要である(これから行われる政策への批判なら、必要な資源、手段、実現可能性など実際的な側面への厳醒な考察が必要となる)。教育学の世界にいると、とくにそう強く感じる。学者たちから、さも簡単に「~の失敗」といったを言葉を聞くようなら、どのような観点からそのように評価するのかその理由を、また、「過度の倫理主義」による抽象的・独善的な議論に陥っていないかどうかを、厳しく問いつめていかなければならない。本書から、そのような意味での教示を得た。

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奇抜なフィクションとリアルな実感

 山田悠介『リアル鬼ごっこ』(幻冬舎文庫、2004年)を読む。
なにしろ、帯文の言葉がすごい。

  「全国500万の〈佐藤〉姓を皆殺しにせよ!」。

〈佐藤〉姓の一人として、手に取らずにはいられない。
「西暦三〇〇〇年、人口約一億人、医療技術や科学技術、そして、機械技術までがかつてないほど発達し、他の国に比べると全ての面でトップクラスであるこの王国で、“佐藤”姓という姓を持った人口はついに五百万人を突破した。二十人に一人が“佐藤”というこの時代」という舞台設定。そして、同姓であることが気にくわないという王様の気まぐれによって、国をあげた“佐藤”姓抹殺ゲーム、“リアル鬼ごっこ”が開始される……

 あまりに奇抜な設定だが、自分たちが住む現実の世界の不条理と何ら変わらない、共通の問題構造をストーリーの中に見出すことができる。一人の権力者の無謀な発想に、「ふざけてる」と文句をつき、あきれつつも、最終的にはそれに付き従ってしまう。自分と何ら変わらない隣人が〈佐藤〉というだけで、殺戮に巻き込まれても、傍観者的態度に終始し、一週間というゲーム実施期間の最後まで不条理なルールを守る国民。そして、最終的に行動(国王への報復)を起こすのは、愛すべきものを失った極限状態の当事者であること。
 奇抜な設定のフィクション=鮮やかな視点であるがゆえに、むしろリアルな実感をもって多くの読者に迫ってくる作品だ。

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『犯罪不安社会』を読む

 浜井浩一・芹沢一也『犯罪不安社会―誰もが「不審者」?―』(光文社新書、2006年)。「おすすめ」(小田中先生風)。大晦日、帰省中の列車のなかで読み始めたら、これが面白く、(乗り物のなかで本を読むのは苦手なのだけど)一気に読んでしまった。
 
 「治安悪化」の「常識」に基づいて厳罰化や監視強化が進む現状に対し、本書は統計・思想の両面からの分析を通して、その神話生成の要因、治安悪化神話と監視強化や厳罰化がつくり出している「現実」を提示している。
 治安悪化は神話であるという見方は、教育学の分野でも「青少年の凶悪化」神話というかたちで、主に教育社会学的観点から指摘がなされてきた。そして、私自身はそのような「青少年の凶悪化」(本書の言葉で言えば、「少年の怪物化」)言説が、くり返される「教育改革」政策の自己総括を回避し、「改革」の根拠とするかたちで機能してきたと理解してきた(今もそれは変わらない)。
 この本では、そのような「青少年の凶悪化」言説も含めて、凶悪犯罪がどのように語られてきたか、その言説変容のプロセスが詳細に論じられている(2章)。簡単に表にすると、以下のような感じか。


○1989年、宮崎勤の連続幼女殺害事件~事件に、時代や社会を読む言説の隆盛
○1997年、酒鬼薔薇事件の衝撃~少年Aをめぐる解釈合戦。議論は教育制度批判へ
○1998年、栃木黒磯事件~怪物化する少年たち
○犯罪被害者遺族への注目
―社会の共感は加害者から被害者へ―
○2000年、少年法の改正~「加害者と教育」パラダイムから、「被害者と厳罰」パラダイムへの移行
○2001年、宅間守の大阪池田小事件~転換点―法制度の批判、異常者という眼差し、セキュリティの強化―
○2004年、小林薫の奈良女児殺害事件(第二の宮崎勤)~「犯罪被害は、何の前触れもなく突然襲ってくるもの」という「不安」


 そのほか、犯罪統計の読み方(1章)という基礎的な考察を含め、実態なき犯罪不安に駆り立てられた地域住民たちの防犯活動が、コミュニティの再生という運動に参加している喜びと結びつくという、「快楽と不安の共存」。しかし、現実に生み出されているのは地域の連帯どころか、子どもに声をかけたら不審者扱いされるという「相互不信社会」であるという皮肉な現実(3章)、さらに、科学的根拠(エビデンス)に基づかない、信仰に基づく犯罪対策がもたらしている現実の一断面として刑務所の実態―「福祉の最後の砦」になりつつある塀の中―という刺激的な分析へと続く(4章)。
 監視や管理の強化という犯罪対策によって、我々は何を得、何を失っているのか。それを考えるうえで勉強させられた。セキュリティも重要だが、それだけでなく、社会保障を含めた広い視野から犯罪問題を捉えていく必要性を痛感した。少なくとも、自分の安全が脅かされない限りでの「自由」の享受―得体の知れない他者を排除し、均一化された生活空間で「自由」に振る舞う=自分もその立場に置かれるかもしれない社会的弱者への無関心、ないしは非寛容―という発想では、事態は閉塞するだけではないか。


〈リンク〉
・少年犯罪データベースhttp://kangaeru.s59.xrea.com/
 少年犯罪データベースドアhttp://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/
・キャンベル共同計画http://fuji.u-shizuoka-ken.ac.jp/~campbell/index.html

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食べ物と同じ―出版の責務―

 東北大学出版会10周年記念講演会―読書と人生、そして文化―に参加してきた。
 ちょうど講師の新田義之先生の著書『澤柳政太郎』(ミネルヴァ書房、2006年)を読んでいた最中であり(いい予習になった。新田先生を講師に選んだのは、やはり水原先生だった)、それと関連して本学のさらなる歴史を聞けると期待し、参加した。また、出版会から出されている本を一冊無料でもらえるという大盤振舞な企画も、この講演会に参加する大きな動機になった(現金な自分。でも、あれは間違いなく好評だった。自分が執筆者に名を連ねているCOE叢書の人気は…、まあ、そこはあまり触れないでおこう)。
 新田先生の、出版界およびそれとの絆を不可欠とする研究者へむけたメッセージは重要であったと思う。自分なりにまとめると、以下のようになる。

 東北大の先達=「学風を創った人々」の共通性、それは、いずれも質の高い著作をもつ一流の専門家でありながら、その専門性を支えて余りある幅広い文化的関心をもっていたこと(医学部教授でありながら、詩人・作家でもあり、『日本吉利支丹史鈔』などの研究をのこした木下杢太郎など)。これは、大学(University)における研究者のあり方を教えている。そして、そのような研究者による質の高い研究を本というかたちでを世に知らしめるのが、出版界とくにUniversity Pressの責務ではないか。
 本は食い物と同じ。読者(お客)が読む(食う)のにたえうるものを出版してほしい。

前掲『澤柳政太郎』によれば、澤柳は、「大学」は総合大学(university)であるべきだという持論を持っており、高等教育においても、その専門性が一面性と同義にならないよう徳性の淘冶を保障するような一般教育をも重視していた。そのような澤柳の意向は、その後招聘された教授たちの多彩な人生に如実に現れているといえ、東北大学の学風を形作ったといえよう。
 もう一人の講師、自称「本の虫」「活字中毒」の大隅典子先生が言及された、ラスコーの洞窟壁画と自閉症者の絵の類似性(ハンフリー『喪失と獲得』で論じられた画期的な見解―元来文化の高度性の証左として捉えられた壁画だが、むしろクロマニョン人は言語能力を獲得していなかったがゆえに、あのように写実的に書いたのだ―)も、本(言語)から離れ、画像に頼りすぎている我々の視覚優位の現状と関連して、印象に残るものであった。
 その後の対談については、進行に不満なところもあったのだけど、それも含めて、いろいろと思考を触発された有意義な時間を過ごせた。バイト学生のみなさんは、ほんとご苦労様でした。

  ■  ■

 ベネディクト・アンダーソンは、『想像の共同体』において、近代国家のナショナリズム形成に、プリント・キャピタリズム(出版資本主義)が関与していたとの指摘を行っている。教育基本法改正案が来週にも可決される可能性があり、「愛国心」を盛り込まれようとしている切実な問題状況下にあってこの講演会が開かれたことは、学問・出版の責務とも絡めて、どこかマッチしたものであったと考えながら、帰路につく。
 途中、自分がかつてバイトしていた老舗茶舗で休憩、出版会の理事長さんと知り合いだという(ホンマかい)若旦那さん(といっても還暦を過ぎている)に近況を報告して、無事帰宅。久々に長い距離を歩いて疲れた。

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学問と「どう生きるか」

  過去につけていた私的ノートからの抜粋。

   ■   ■

 阿部謹也『学問と「世間」』(岩波新書、2001年)を読む。
 阿部氏によれば、日本では、個人と社会の間にあって、個人を大きく規制している「世間」という存在を学問の対象とした研究が少ないという。
 各個人は、それぞれの「世間」に属し(例:学会)、そのことに自覚的ではない。そのため、例えば、「個人」や「公共性」などの欧米由来の概念が、自国の現実とのちがいについての十分な検討を経ずに、適用されることに気を払わないという事態が起こる。いまだにわが国の「個人」の観念がヨーロッパの個人の観念と一緒だと思っている。
 戦後日本で重要視されてきた諸概念の多くが空洞化しつつあるという現実があるのは、この世間=〈生活世界〉を捉えていないからであると著者はいう。学問を研究している間は「主観・客観の関係の世界(客観的・理念的世界が普遍的世界であり、そこでこそ真実が解明される)に関わり、日常生活においては、自然的生の中で生きる―その分断された生活が知識人や研究者の日常であった。
 著者は、日本人が社会科学的思考を長い間もてなかった背景に、「世間」を所与のものとして捉え、それを変えようという発想が見られなかったという理由があることを述べる。
 明治以降、日本の官僚機構は「近代化」された形をとってはいるが、その中での人間関係は歴史的・伝統的なシステムによっており、いわば「世間」によって営まれている。不祥事の際に仲間内の結束を守ろうとする意識がそれをよく表している。世間はまた差別的体系であるがゆえに、例えば、明治以来、被差別部落の子弟も他の子弟と並んで教育を受けることはできたが、学校教育の中で差別の問題が取り上げられることはなかった(学校の中で欧米流の個人の生き方が学ばれていたにもかかわらず)。
 では、世間=〈生活世界〉を出発点とする研究とはいかなるものか。著者は「教養」に視点を当てて、説明を行う。教養とは「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状態」と定義することで、著者は教養を知識人の占有から解放する。そうすると、〈生活世界〉の中での教養とは、種々の知識を用いて生活の変化を確認・観察しながら、そこでの生き方を考えることといえるだろう。
 著者が所属した上原専禄のゼミナールでは、常に、「生きる」ということと直接に結びついている学問が主題となっていたという。
 著者は最後に、〈生活世界〉の中から学問を再構成していく手段の一つとして、生涯学習を挙げている。それは、「いかに生きるべきか」という問いを中心にして、さまざまな庶民の生き方を課題として扱う、生活現場からの発想に立った学問の再構築といえよう。(2001.7.5)

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 けっこう昔に書き留めたもので、たいした出来ではないし、本の内容をきちんと理解できているとはいえない。
 それでもこの本を思い出すのは、お前の研究生活(「生き方」)は今日の教育問題に真摯に対峙するものになりえているか、学会という「世間」に閉じこもって、自分の眼で現実を見ていないのではないか、と常に問い続けてくれるからだろう。学会のお手伝いもきっかけとなって、自分の研究姿勢をまた反省した。

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女が刀を求めるとき

 中村きい子『女と刀』(講談社文庫、1976年)を読む。名作である。
前から読みたがっていたのだが、なかなか見つけることができなかった(確か絶版である)。
つい最近古本屋で見つけ、ようやく眼を通すことができた。
 COEのRAをやっていたときに読んでいれば、なおよかった。
 鶴見俊輔はこの本の「解説」で次のように述べている。
「この本には、明治以後の百年を、この本一冊によって見かえすほどの力がある。明治百年が日本の男が表にたって指導した歴史であったことを考えあわせるならば、明治以後の日本の男たち全体を見かえす力がある」(鶴見俊輔「解説」、同上書、335ページ)。

―鹿児島・霧島連峰の麓、外城士族の家に生まれたキヲは、父権領司直左衛門から、「郷士」の娘としての誇り―気高い士族意識―、「おのれを侵されるな」「血を汚すな」「おのれに意向をもて」との教えをたたきこまれる。しかし、「士族の娘の結婚」となったとき、ほかでもない父によって、その誇りは裏切られることになる。
 キヲは伊原兵衛門と結婚したものの、情(こころ)が通わない「血固め」の結婚に、そして家長制という立場によりかかることでおのれの男であるという権威を保とうとする夫に反発し、世の習慣に侵されない自身の生き方というものを模索していく。
 そのなかで、キヲの思いはいつしか実家に置いてある刀へと向かっていく―

話のおおよその流れは以上のようなものだが、キヲが刀に魅せられていく思いが記された以下の文章を、自分はとても気に入っている。

 このひとふりにつながる多くの刀が、かつて明治の御代以前の歴史をいかに揺り動かし、突き崩し、また創ってきたことであろう。(184頁)

 武士のたましい、あるいは精神の鏡などと申しても、とどのつまり刀自体は斬るということにしか、その本命はないのである。
 刀ひとふりのため、いくつかの権力が倒され、そしてまたいくつかの権力が生まれた。
 それゆえ、これまでに刀は世の仕置きにたずさわる男たちのみに、その所有は許されてきた。
―権力と刀、これは表裏一体をなしていることで、「刀」と存在する―
   (中略)
 たとえ、世がかわり、武器に飛道具が用いられる時代となって、刀にかわる火縄銃が生まれ、火縄銃につぐさまざまの銃がつくられたにしても、その時の権力をのみこみ、権力の威力という重さを、ずしりと突きつけるものは刀よりほかにあるまいと、わたしは考えている。(184-185頁)

 刀には刀であるがゆえに刀がもたねばならぬ美というものを、わたしは知っている。それは、このように床の間などに飾りとして、愛でられることで終わってしまう刀のことではない。
 ―おのれの意向をうちたてるため、いやさらに言うならば、「権力」というものを、おのれの手に握らねばならぬとしている人間の、その理念こそが、このひとふりとしてある―と構えたところで、敵を斬り倒す、その一瞬の刀のきらめきこそ、わたしはおのれの思念に映ゆる真の美というものをえがく。
 ―おのれ、というものを通すことで、生命を賭して刀と刀が向きあう。そのむきあう刀には、これをもつものの姿勢、心、目これらの動きが、闘う、あるいは敵を倒すために存在しているという精神で満ちている。その厳しさに見いだされる美を、射てばあたるという操作だのみの近代(はやり)の銃には、わたしは見いだすことはできないのである。
 生命を賭して生きる人間の魂、あるいはその裸像ともうつる、この刀と向きあうことで、日々わたしはいささかの弾みをもった。(185頁)

 キヲは、「子どもしか産めぬ女と、おのれの生涯を閉じることのなきよう、そのため絶えずわたしを激しく突きゆさぶる相手として向きあえるものは、このひとふりの刀にあらずしてほかになにがあろう」(187頁)と、おのれの意向をたてねばならぬとする自分の肌が向きあえる唯一のものとして刀を求めていく。
 掌を伝わって、ずしりとこたえるそのひとふりの重量(おもさ)が突きつける、時の権力者たちの強い意志。刀とその重量(おもさ)と向きあって生きていかねばならぬとするキヲの意向は、現代に生きるわれわれの軽さを思い知らせる(実際に居合の稽古で刀を持っても、そんなことを考えたことはなかったな)。

 齢七十の老齢になって夫と離婚するキヲが、兵衛門に吐き捨てた言葉は、
ひとふりの刀の重さほどにも値しない男よ」。
〈刀をもつ女〉を妻にもっていたりする旦那様は、こんなことを言われないよう、「おのれの意向」を確と立てなければならない(T橋さん、がんばってください)。

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〈時間貯蔵庫〉はどこに

 論文(卒論・修論)提出ラッシュは一段落した。 心配されていた何人かの学生も皆(M4の彼も)無事に提出したようだ(だが、わが専攻の「年中行事」はこれからがヤマ場のような気がする。絶対一波乱あると、そう確信する。まだまだ目が離せない。←以上、コアな内輪ネタ)。
争いを終え、平静を取り戻した演習室は、紙屑だの何だので散乱している。
それを毎年片づけるのは事務補佐員である自分の役割である。

 それも一段落したところで、森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書、2005年)をよむ。いろいろと思うところがあって手に取った一冊である。
 この本で森岡氏は、「世界の労働時間は一九八〇年代以降、それまでの減少傾向が止まり、再び増大に転じつつある」と指摘している。本書のタイトル通り、いまや世界規模で「働きすぎの時代」に突入しているというのである。
 では、なぜ「働きすぎの時代」になってきたのか。著者は、その要因を現代の高度資本主義の四つの特徴から把握しようとする。①「グローバル資本主義」、②「情報資本主義」、③「消費資本主義」、④「フリーター資本主義」の四つである。

①グローバリゼーションが進む中で、途上国をも巻き込んで世界的に競争が激しくなり、日本やアメリカやヨーロッパ各国の労働者が、中国その他の途上国の労働者と賃金の引き下げと労働時間をめぐって直接に競争させられ、結果として、賃金引き下げと労働時間の延長に迫られている。

②情報通信技術の発達が、新しい専門的・技術的職業を生み出す一方で、多くの部面で業務を標準化するともに単純化し、雇用形態の多様化と業務のアウトソーシング(外部委託)を容易にして、正規雇用の多くを非正規雇用に置き換えることを可能にし、その結果、雇用を不安定にしている。
 そればかりか、パソコン、携帯電話などの新しい情報ツールは、仕事の時間と個人の時間の境界線を曖昧にし、経済活動のボーダーレス化や24時間化を促進することによって、むしろ労働者の仕事量を増やしている。

③生活水準が向上し、マスメディアが発達した今日の大衆消費社会では、人々は絶えず拡大する消費欲求を満たすためにも、消費競争のなかで自己のアイデンティティや社会的ステイタスを表現するためにも、より多くの収入を得ようとして(あるいは賃金のより高いポストに就こうとして)、より長くハードに働く傾向がある。それとともにコンビニや宅配便に象徴される、利便性を追求するサービス経済の発展が消費環境を変化させ、過剰なサービス競争を生み、働きすぎの新しい要因をつくりだしている。

④日本では1980年代の初めから、労働分野の規制緩和と労働市場の流動化が進められ、若年フリーターだけでなく、中高年も含めて、アルバイト、パート、派遣などの非正規雇用労働者が増加してきた。その結果、雇用形態が多様化するとともに労働時間が二極分化し、週35時間未満の短時間労働者が増える一方で、絞り込まれた正規労働者のあいだで週60時間以上働く長時間労働者が増え、30代の男性を中心に正社員の働きすぎが強まってきた。

 この四つの視点から、日本における過剰労働の現状が分析される。それは、フリーターやニートの問題、あるいは労働時間や賃金をめぐる男女格差の問題に、重要な示唆を与えるものである。
 そして(この本の大きな特徴であるが)、結論部において著者は、「労働時間を短縮し、過重労働をなくすために―働きすぎ防止の指針と対策」を示し、労働者、組合、企業、行政に訴えている。末尾には、「全国労働局・労働基準監督署一覧」「雇用・労働・労働時間関連サイト一覧」が掲載されている。
 
 著者が示すような社会の現状に対し、そのような「働きすぎ」の社会に人材を送り出す側にいる教育関係者はどういうスタンスをとればいいのだろうか。教育学部にいる人間としては、同書を読んでいてそのような問題を考えざるを得なかった(森岡氏も、大学教員として学生を社会に送り出すという自身の立場を、同書執筆の一つのきっかけとしている)。
 今年の卒論・修論には、進路指導(職業指導・キャリア教育)をテーマとするものが複数あった。彼(女)らは、自らの主観的願望から発せられた切実な問題認識をして、そのようなテーマを設定したのだろうと推測する。

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日本語に賭けた人物の生涯

 高田宏『言葉の海へ』(岩波書店同時代ライブラリー341、1998年)、読了。
日本初の近代国語辞典『言海』をつくった大槻文彦の生涯を描いた伝記文学であり、『言海』完成にうちこむ文彦の苦悩や情熱が感動的に描かれている。詳細な時代描写と関わらせることで、大槻文彦の個性が鮮やかに、説得力をもって読者に示される。それゆえに、読み応えがある。当時の時代状況をもっと勉強した上で読み直せば、さらに面白く読めるようになるはず。
 国語の統一は、一国の独立の基礎、近代国家には近代国家の辞典が要る―そのような文彦のナショナリズムが「洋学」と「仙台」という二つの「根」から育まれてきた、という見方などはとくに心にひっかかり、以下の文章などはチェックせずにはいられなかった。

 西国に居ては分らないかもしれない、はっきりした北辺への感覚が、奥羽の人びとの血には、流れている。その感覚は同時に外国への感覚であり、それがこの土地から多くの洋学者を生み出した。この土地が生んだ洋学者は外国の技芸学術の習得に止まろうとしなかった。国際関係への関心と国防への熱い思いが誰をもつらぬいていた。蝦夷地が目前にあったからである。そのことが「日本」を嗅ぎ取らせていた。(162ページ)

 洋学は、熱地に蜜蜂を移入するためのものではない。ヨーロッパに蜜蜂のあることを識れば、熱地には熱地の蜜虫を見つけ出して、育てる。それが見識であり、また、利にもつながるはずだ。自らの土地のものを創り出さないでは、他の土地の人たちと肩をならべて付合えるわけがない。
 大槻文彦は、西洋文法と西洋辞書に良質の蜜を見た。そして、この日本の土地にふさわしい蜜を、足もとから見つけ出し、育てようとした。日本文法と日本辞書を、この国に育てなければならぬ。それなくして欧米人と付合うのは不見識であり、恥ずべきである。
 文彦の「洋学」は、そういう「洋学」であった。
(170ページ)

                    ◇

 この本、以前から、というか仙台赴任当初から梶山先生が皆にお薦めしている本である。先生が好きだというのがよくわかる。史料によるあとづけを行いながら人物の個性を生き生きと描く、そんな歴史研究をしてみたい、という欲求に駆られてしまう(もっとも、作家の歴史の捉え方をそのまま歴史研究に活用することはできないが)。
 なお、『言海』は、現在ちくま学芸文庫から出版されており(文庫としては異例のぶ厚さ、値段も文庫としては異例)、手軽に読むことができる。

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戦後教育の出発点

 永井健児『教師は敗戦をどうむかえたのか』(教育史料出版会、1999年)を読む。17歳で群馬県高崎市下の国民学校助教(旧制中学卒、代用教員)となった著者の記録である。敗戦直前の昭和20(1945)年4月から、退職する1947(昭和22)年4月までの著者の教師体験、敗戦当時の教育現場の状況がリアルに語られている。まさに「第一級の記録」である。
 終戦60周年の今年、改めて戦後教育の出発時の現状に思いを馳せてみる。

               ◇

 日記を通して見えてくるさまざまな現場の問題は、専門書などを読んでいてもなかなかイメージできない部分である。空襲警報のたびに下校させ、警報が解除されてはまた登校、授業を再開する、その繰り返しの実態などは「学校崩壊」を思わせる(「ただし学力は崩壊していなかった」とは、ある年配の方の意見)。また、「弁当盗難」の続発など、安易なヒューマニズムではどうにも解決できない命に関わる食問題についてもリアルに記されている。そのような問題に直面した教師の無力感などは、さすがに想像できない。

 終戦してまもなくの秋(と思われるが年は明記されていない)、著者は「ある無力感」と題して、次のように綴っている。

 近ごろ子どもがわからなくなった。
 終戦を転機に、以前の五カ月近い戦時教育に責任の如きものを感じ、子どもたちへの弁明に迷い苦しみ、自らも模索していた。
   (中略)
 だがどうだろう、最近の子どもたち。注意しても進駐軍にむらがり、『自由詩』や、『雨の一日』『運動会』などの作文を読んでも、また、毎日の教室の生活でも、二カ月前の、あの悲しみや怒りは何も感じられない。戦時中との意識のつながりも見いだせない。たった二カ月間にである。
 喜ぶべきなのか。悲しむべきなのか。
 いったい、子どもは何を考えているのだろうか。その心に何を感じているのだろうか。
 終戦以前の教育で、私は、白紙の子どもに対して加害者だったのではあるまいか、傷つけたのではあるまいか、と自責したが、ある意味で、結果的におれが子どもにほんろうされ、傷つけられているのかもしれない―とさえ思えてくる。
   (中略)
 教育とは、人間の前に力があるのか、ないのか。
 最近、大きな無力感と挫折を感じている。子どもたちの袋だたきにでもあったかのようである。「教育とはなんだろう」「教育とは、知識の伝授以外に無力なものなのか」
 近ごろ、ばかにみじめに思えてくる自分。(146-147ページ)

ここには、戦前の教育に対する、実践的なリアリティに基づく疑問が芽生えていることを確認できる。
 のちに、他の教員たちの議論を経て、著者は「押しつけ教育はだめ」という結論に至っている。

「日本は神の国」「天皇は現人神」「戦争は正しい」「米英は鬼畜」「必ず勝つ」など、すべて子どもに押しつけ、おれもまた、押しつけられて育ってきたわけだ。押しつけられたものが、メッキがはげただけで、子どもは戦中も戦後も別に変っていないのであろうと思う。
 これからは、子どもに考えさせる教育、子どもの個性を伸ばす方向に転換していこう。また、文化面で国を伸ばすため、絵や作文など、おれの得意な科目にも力を入れてみよう。(154ページ)

教師たちが、戦後教育への転換に対し、どのような主体的判断によって対応していこうとしたのか。その一例をココに看取できる。

 戦後教育の出発点が求められるとすれば、それは何より当時の教師たちが直面した敗戦の現実から受けた挫折と、教師自身のそれまでの教育に対する自問自答の中にこそ求められるのではないか。「戦後教育」という言葉には、ややもすると、欧米からの輸入物(「押し着せられたもの」、それゆえに日本にはなじまない)といったイメージがつきまとうが、そのような固定的なものとは質的に違う、発展可能性をもった「戦後教育」へのイメージを、著者の文章からは受ける。

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「身体」からの視点

 斎藤孝『「できる人」はどこがちがうのか』(ちくま新書、2001年)を読む。内容は、その道の達人と呼ばれる人々のエピソードをもとに技の習得・修練のプロセスを論じ、普遍的(「領域またぎ越し」)な上達の秘訣を探るというもの。
 何かを学んだり、習得するというとき、どうしても頭(思考・認識)と体(作業・実践)は切り離されて捉えられがちだが、この本を読むと両者の密接な関係性について深く考えさせられる。スポーツとか武道とか学問とかいった領域を越えて、普遍的な学習の論理を教えてくれる。居合道に勤しむ自分の経験と照らし合わせたり、また大学院生として机に向かって物を書く経験と照らし合わせたりして読んでいて、なるほどと目から鱗であった。村上春樹が、走ること(ランニング)や音楽を通してリズムとテンポを体に染み込ませ、それを動力にして自分の仕事の、そして文章のスタイルをつくりあげていったという指摘など、へえと思わせる。
 斎藤さんは、東大大学院教育学研究科に在学していた。『東京大学教育学部紀要』には「教師における自己の確立―芦田恵之助における岡田式呼吸静坐法体験を主題として―」(第31巻、1991年)といった論文も書いている。単に言説のみならず、斎藤さん自身の身体経験に基づく芦田の世界への接近を通して、言葉の背後にある事実の豊かさ(教師の経験の世界)に迫る手法は、教育実践史の観点からも独創的と評価されている(吉村敏之「教育実践史の可能性―教師に学び、教師とかかわることをめざして―」『日本教育史研究』第14号、1995年)。本書もそのような斎藤さん自身の経験に裏打ちされたものといえ、その意味で説得力がある。

 目下、自分にとっての切実な課題は、限られた時間の中、高い集中を発揮して研究作業をこなすことだが、その解決のヒントについても同書は教えてくれる(それは斎藤さんにとっても切実な課題のはず)。本当はそんなことを大いに期待しながら読んだ一冊。

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現実的かつ原理的に

 二回目の読書会。読んでいるのは丸山真男『現代政治の思想と行動』(未来社、1964年)で、現在、第一部のファシズム論に関する部分を皆と検討している最中です。
 なぜこれを読むことになったのか自分たちで決めておきながら謎なのですが、対象としては文句なし。読めば読むほど味がでる古典です。「自分の研究と結びつけるならば、この本は(そして著者は)どのようなヒントや問いを自分に与えてくれるか」。読書会の際は、そのことを考えながら読むことを心がけているのですが、そう強く意識しなくても丸山のほうから強烈に問題意識をもって迫ってくる、そんな感覚をもちます。それほど、同書から受ける刺激は強いものです。

 もっとも同書には時代的制約からくる問題点もあるかもしれません。しかし、だからといって同書ひいては丸山の思想を過去の一時代に属するものとしてしか捉えず(「これが限界だった」という批判)、イデオロギー的観点や時代を超越した今日的立場から断罪することほど無意味なことはないでしょう。そのようなかたちで読書会が進むことには警戒する必要がある。
 石田雄さんは、丸山思想の今日的意味について次のように述べています。
 

古くからある未解決の問題に、過去の丸山発言が意味を持つだけではなく、より積極的に、丸山先生の示された思考の方法が、将来にわたり私たちが当面するであろう課題ととりくむ際に持つ意味を考える必要がある。その方法とは、「肉体文学から肉体政治まで」(1949年、『丸山眞男集』第4巻)などに示されたように、極めて具体的な現実から出発して、それを人間とは何か、政治とは何かというような原理的立場から見すえていくという思考方法である。
 すなわちその方法は、一方では原理論の公式的適用による教条主義に陥ることなく、常に流動する現実に対応する弾力性を保ちながら、他方では現実に埋没して現実主義の名による現実追随に陥ることなく、動かない理念にむけた志向性を持ち続けるという、内面的緊張をはらんだ体系的思考の方法である。(中略)
 そしてこのような思考方法は一挙に身につけられるものではなく、最も日常的なものの中で、最も原理的な考え方をする不断の過程の中で、一歩一歩積みあげていくより外に近道はないだろう。そしてこの場合、原理的な考え方をするということは、何か与えられた理論や教条に頼ることではなく、人間性という共通の基盤の上に立った異質的な他者との対話によって、より普遍的なものを求めていく過程によってしかえられないだろう。
〈註〉石田雄「丸山思想の今日的意味」『世界』第627号、1996年10月(「追悼特集 『生き方』としての丸山真男」)、251-252ページ。

「何か与えられた理論や教条に頼ることではなく」という部分が眼にとまります。西洋の理論をひっぱってきて、その権威を借りて戦中の国家主義や戦後の安易な民主主義礼賛を批判するのではなく、他ならない日本の思想(『神皇正統記』、陸羯南など)を足場として日本の可能性を探っていった、丸山の思考方法を念頭に置いた記述だと思えるからです。本の内容はもちろん、このような思考方法=生き方についても読書会の過程で学び、その意味内容を深めていきたいと強く思います。

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戦争のステレオタイプ

 憲法記念日の今日(3日)、しばしの息抜きに三崎亜記『となり町戦争』(集英社、2005年)を読みました。「戦争」という観念について深く考えさせてくれる本でした。過去の実際の戦争ではなく、架空の、それも「となり町同士」の戦争というありえない設定ですが、戦争に関するさまざまな問題要素が凝縮されている感じです。行政文書など細部にも凝っています。戦争を知らない世代が書いた物語。それゆえか、同じく戦争を知らない(少なくともそのリアリティを感じることができない)自分の胸に迫るものがあります。

          ◇

 ある日突然、役所からの依頼を受け、何が何だかわからないまま、覚悟も責任もないまま、「戦争」の「偵察業務」に関わるサラリーマンの北原修路、その北原を職場の同僚として面倒をみることになった役所勤めの香西瑞希は「行政の論理」に基づき、「戦争」についての自身の職務を遂行していく。
 二人のやりとりを通じて描かれる「戦争」像。それは、戦闘シーンのように激しい、残酷なものとしてではなく、「変わらぬ日常」の延長戦上として、穏やかに描かれる。いつ始まり、いつ終わったのかも知らない。自分のために人が死んでいるにもかかわらず、それをリアルに感じ取ることができない。そのように、容易に実体を掴むことのできないものとしての「戦争」。そして、それゆえにその「戦争」を「否定」することの難しさ。

・「僕たちの世代というものは、戦争というものの実体験もないまま、自己の中に戦争に対する明確な主義主張を確立する必然性もないまま、教わるままに戦争=絶対悪として、思考停止に陥りがちだ。戦争というコトバを聞くだけで、僕たちの頭の中に、普遍化されたモノクロの映像が浮かんでくる」(76ページ)
・「もちろん、僕たちは戦争を「否定」することができるし、否定しなければならないものだと感じている。ただしその「否定」は「あってはならないもの」「ありえないもの」としての消極的な否定であり、「してはならないもの」としての積極性を伴った否定にはつながりえないようだ。では、「現にここにある戦争」を、僕たちは否定することができるであろうか?」(77ページ)

 本書は、戦争のステレオタイプ(固定観念)を相対化する必要性を認識させてくれます。「来るべき冬を我々に無意識のままに植え付けていくように、意識させぬうちに人の心に入りこんでくる」戦争。改憲の動きが高まるなか、「戦争」を冷静に捉える眼がますます必要だと実感します。

〈追記〉「戦争のリアル」を感じることができないでいた主人公の北原。その彼がはじめて「戦争のリアル」を感じることができたのは……。モノの見方や感覚を一変させる人生上の大きな問題。本書では小説に欠かせない一つの重大要素が、「戦争」と絡まり合う形で展開されています。そのストーリー展開の見事さにも唸ってしまいました。

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言葉の意味は変わる

ビアス著、西川正身編訳『新編 悪魔の辞典』(岩波文庫、1997年)という本があります。
 アンブローズ・ビアス(Ambrose Bierce, 1842-1914?)は、アメリカの短編小説家であり、ジャーナリズムの世界でも編集者、コラムニストとして活躍しました。『悪魔の辞典』は、別に悪魔について事細かく説明した本というわけではなく、アメリカ史上最も恥ずべき時代(「めっき時代」1870年代から世紀末にかけて)における社会の腐敗を、辞典形式で諷刺した社会批評の本です。「悪魔」という、当時社会でタブー視されていた単語をタイトルに使おうとするあたりからすでに、彼の社会へのまなざしの一端を看取できます。

 彼はいろいろな言葉を取り上げ、それに対し、簡潔かつ機知に富んだ定義を下しています(その先には、それぞれ具体的な指示対象があったわけですが、それ、つまり当時の社会状況については、残念ながら勉強不足で把握しきれてはいません)。
 例えば、「辞書」については次のように定義しています。

辞書(dictionary n.) ある一つの言語の自由な成長を妨げ、その言語を弾力のない固定したものにしようとて案出された、悪意にみちた文筆関係の仕組み。とはいうものの、本辞典に限り、きわめて有用な制作物である。

 完全に私の主観ですけれども、この文を読んで、プラグマティズムが想起されました。プラグマティズムは、もっともアメリカ的なものの考え方であり、今日のアメリカ資本主義社会とその文化を築き上げてきた基調だ、などと言われます。ビアスは、まさに、アメリカ資本主義がめざましい発展をとげたその時期、19世紀末アメリカのジャーナリズムで辛辣な筆を揮った人。とすれば、プラグマティズムから何らかの影響を受けたということは考えられます。

 プラグマティズムは専門哲学の体系であるよりも、むしろ一種の生活態度を意味しています。歴史なき新大陸に飛び込んだアメリカ人は、さまざまの伝統にわずらわされることなく、現世的な人間の幸福をひたすら追求する生活に没頭できました。新大陸での生活建設に際し、それが成功するか失敗するか、幸せになるか不幸になるかを決定するのは、神の“予定”でも、出生・身分でもなく、個人としての努力と創意でした。そういった生活経験から生まれた気分がはっきりと意識されたときに、哲学としてのプラグマティズムが成立しました。

 「愛とは~だ」「教育とは~だ」「学力とは~だ」などといった言葉はよく見かけますが、プラグマティックな態度は、はじめから特定の結論を主張しようとはしません。むしろ、先験的な理由や固定的な原理、もっともらしげにもちだされる絶対者の言葉に徹底して背を向けます。
 プラグマティズムにとって、言葉は結論ではなくて、まさにそこから討議がはじまる出発点にほかなりません。「理性」だの「精神」だのと言葉を持ち出せばそれで結論が得られたかのような考え方、換言すれば、言葉だけの解決=言葉による無限の言い換えは、批判の矢面に立たされます。
 例えば「民主主義」という観念があって、それが真理であるとするときには、その言葉によって我々が〈実際に〉何を指し示すかが、まず問題となります。「その言葉が実際に何を意味するのか」、「いかに通用するのか」、「そのように定義したらどういう実際的帰結へと至るのか」。その正価を見究め、実際の経験の中ではたらかせてみなければなりません。「民主主義というのは、人民が本来制度の自己目的化―物神化―を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなりうるのです」(丸山真男『日本の思想』岩波新書、1961年、156ページ)。
 「学力」についても、その定義だけをめぐって論争しても何の意味もありません(定義の問題は真偽の問題ではありません)。その定義を使って、教授-学習の現実をどう効果的に捉えられるのか、問題を理論の構築にまで進めなければなりません。あるいは現場の現状から「学力」を帰納的に捉え直すという作業を不断に行わなければなりません。

 ある言葉を定義したときには、その定義を〈使って〉実際の事実を説明しなければ何の意味もないし、またある法則(知識)を真だとするときには、その法則を実際の事実に照らし合わせて証明しなければいけない。そういった活動の過程を経ずに、真理は不変的なものとして在ると捉えるのでは、言葉の定義をめぐって論争しても不毛に終わる。結局は、自分の中の固定的な考え方を主張し、押しつけて終わるだけですから。

 ビアスが「辞書」の項目であらわそうとしていたことも、以上のような意味合いのことではないのかなと、かなり飛躍している気がしますが、思いました。政界や宗教界の腐敗を激しく糾弾してきたビアス。彼が、今の時代に生きて、アメリカの現状をみたらどのようなコラムを書いたでしょうか…

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