同僚の「浅田真央論」に触発されて

 本日は、職場=教育学部教員の懇親会。私の、懇親会係としての今年度最後の役回りであった。
 学部FD研究会の司会業務からの学部懇親会司会というコンボは毎度きついのだが、来年度はこの職務から解放される予定である。ホッ…。

 この間の、巷の話題といえば、ソチ冬季五輪だろう。
 今日の飲み会での、同僚のK谷先生が熱弁をふるった「浅田真央論」はひじょうに面白かった。
端的にいえば、それは、「浅田真央=研究者・求道者」というものである。
 以下、概要を記してみたい。

   ■   ■
 

 今回の五輪の結果は、周知のとおりである。残念ながら、浅田選手はメダル獲得には至らなかった。だが、彼女の滑りに多くの人々が魅了されたのは言うまでもないだろう。

 それがわれわれ「日本人の期待だったから」というのは、ちょっと違う。
 少なくとも同業者=プルシェンコをはじめとする世界有数のフィギア・スケーターの、彼女への評価はひじょうに高い。それは、twitter等での浅田エールからも明らかである。

 それは、なぜか。
 浅田選手のプログラムは、他の誰も成し遂げられない演技への挑戦だった。言うまでもなく、今回の五輪でトリプルアクセル(3A)という高難度の技に挑戦したのは、浅田以外にはいなかった。そして、忘れられがちだが、オリンピックという舞台で3Aを成功させたのは伊藤みどりと、浅田以外にはいないのである。しかも浅田は、今後抜かれることはないといえるほど、オリンピックの舞台で3Aを成功させた。彼女自身が成し遂げたギネス記録のさらなる更新である。
 それは、他の人間ではなしえない芸術の探究であり、レフリーごときが採点できるものではない―点数に表してはいけない代物だった。

 他の選手の演技は、(当然だが)いかによいレフリー(=既定)の評価を得るかというところに力点を置いたプログラムだったといえる。
 一方、浅田の演技は、そのような型におさまる評価の枠組みを越えようとする豪傑な試みだった。

①これを、教職課程の履修学生に置き換えてみたらどうだろう。
多くの学生は、よい評価(GPA)を得るために、教員側にすり寄った立居振舞いをするだろう。だが、そのような姿勢からは、灰谷健次郎『兎の眼』に登場する足立先生のような人材が育つ可能性は見込めない。どこまでいっても、プログラムに規定された評価の枠組みにおさまる人材こそがよいということにしかならない。
 それでよいのか。

②また、これを、研究者の世界に置き換えてみたらどうだろう。
 いかにも無難な評価を得て掲載されそうな、しかし、読む側からすれば大して知的好奇心を喚起されない報告書的論文を読まされるのと、非常に挑発的で、学界には容易に受け入れられないだろうが、しかし読み手の好奇心を喚起する論文を読むのとでは、どちらが話題にされるか。そして、研究者はどちらのスタンスを理想とするのか。 
 

 

 今回の浅田選手の演技もそのような問題を提起する質のものではなかったか、というのが、フィギア・スケートファンという、同僚先生の主張であった。
 なるほど、プルシェンコや羽生が浅田を高く評価するのはそういった点ゆえか、と思った次第である。
(たとえ評価されないとしても)メダルという、世俗的な価値を超える演技を求めようとした浅田真央の姿勢をこそ、我々は評価しなければならないのではないか―。

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平成も四半世紀

 昨年暮れにやっていたテレビ番組で気づかされたのだけど、元号が「平成」となってすでに四半世紀が経ってしまったということに驚いてしまった。
 すでに『平成史』というタイトルを付した本も出版されているが、改めて「四半世紀」といわれると、自分が多感な時期を送った青少年期は、もはや現代“史”、同時代“史”という枠組みでとらえなければならない時期に来たのだと痛感する。
 
 大田堯編著『戦後日本教育史』(岩波書店)は1978年(戦後=1945年から、33年後)の刊行、久保義三『昭和教育史』(上・下、三一書房)は1994年(新版は、東信堂、2006年)の刊行だったが、「平成」の日本教育史は、ここ10年くらいのうちに刊行されるときが来るのだろうか。
※ちなみに、WebcatPlusで“昭和教育史”と検索すると、海老原治善『昭和教育史への証言』三省堂、1971年がもっとも古い文献として引っかかってくる。

 以前、歴博の講演・対談(「現代史を展示する」2012年11月1日)を聴講したとき、講演者の入江昭氏は、70年代以降の「最近史」(comteporary history)を捉える視角として、次の5点を提示された。①経済のグローバル化、②(国境を越えた)人権問題の広がり、③環境問題への関心の高まり、④(国境を越えた)人の移動、そして、⑤(EUに代表される)地域的共同体への視点。
 では、冷戦構造の終焉に位置づけられる1989年以降=平成の教育の歴史を捉える視角としては、どのようなものがありうるのか―。
これは現在の教育に対する強い問題意識なくしては、考えることができない作業である(クローチェ「すべての歴史は現代史である」)。
 
 教育制度改革をめぐる同時代的諸動向(教員養成や道徳教育、教育委員会制度や大学教育など)は、決して対処療法的に捉えようとするだけでは消化できない難題ばかりである。
 今年はもう少しこのブログを更新し(早くも挫折しそうですけど)、この難題に対する自分の考えを理論化していきたい。
 自分がブログを始めたそもそものきっかけは、言葉を紡ぎだす作業を通じて「教育を見る眼」を鍛えたいというところにあった(実際、身になることが多かったと思う。ブログで書いたネタを、大学授業での教材に反映させたこともあった)。
 だいぶ鈍っている気がするが、あまり目標を高くせず、少しずつやっていきたい。

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被災地にて

 前回のエントリで書いた通り、先週末、自分はいわきの実家に帰っていた。
本当はGWに帰りたかったが、GW中は(連休にもかかわらず)会議が山盛りのため、断念。
 
 震度6強の地震が襲った実家や近隣の傷跡を確認してきた。
 ウチは置物のガラスケースや食器類が割れた、屋根瓦がずれたなどの被害で済んでいた。ただ、隣の家では、塀がくずれ、道路から中庭が丸見えになっていた。
 ウチや隣家のほうに塀が倒れず、すべて道路側に倒れたのは、幸いだった。揺れの向きが違っていたら、実家の被害はもっと大きかったかもしれない。
 
 家が倒壊するほどの被害は外から見るぶんには、ないようにみえる。ただ、家屋の内部には多大な被害が起こったと予想される。叔母の家では、一階の天井板の一部が折れ、二階部分の重みで沈んでいるという被害を確認できた。
 沿岸部に向かう途中でよくみかけたのは、多くの民家の家にビニールシートが張られてあるという状況だ。瓦がずれる、割れるなどの被害はあちこちにあると考えられる。
 そのほか、波打つ道路、車線が地割れで平行にずれてしまっている箇所、土砂崩れで通行止めになっているところもあった。
 また、何台かのパトカーとすれ違ったが、いずれも地元警察署ではなく他県の、それも福岡など西日本からのパトカーだった。
 自衛隊の車両も見かけた。また、家族に聞いたら、実家近くの陸上競技場には、震災直後は自衛隊のヘリが離着陸しようとする様子がよく見えたとか。  

 沿岸部の被害状況も少し肉眼で確認できた(ちょうど、この動画この動画この動画のあたり)。今回の震災は、やはり津波による被害が圧倒的である。
 沿岸部の惨状はあきらかに別世界とよべるものであった。「これでもだいぶ片付いたほうだ」ということだったが、つぶれた車、瓦礫の山、倒れた橋。そして、一階部分がぺちゃんこになり、二階部分だけになった民家―。
 津波がどの高さまで押し寄せたのかがよくわかる痕跡があちこちに残っていた。そして、それがわかるところは、まだ被害が浅いほうだということも。ひどいところは、もともとここに何があったのかもわからない状況なのだ。

 地震に津波、原発事故、そして、風評被害と偏見・差別―。いわきを取り巻く環境は依然厳しい。
 余震の心配も消えない。
 「FUKUSHIMA」は、もはや世界的に有名な言葉になってしまった(こんなかたちで有名になるとは、やりきれない)。
 それでも、地元は立ち上がろうとしている。いわき駅前は少しずつ賑わいを取り戻しつつある。
「がんばろう いわき」「がんばっぺ いわき」といったスローガンがあちこちのショーウィンドウに貼ってあった。なかには「元気 勇気 いわき」という、何とも語呂のよい標語も。
 また、かつての街復興のシンボルである「フラガール」たちは、全国キャラバンで再び復興のシンボルとして、いわきの元気を伝えることになっている。 
 そして、地元のテレビでよく流れていたこの曲。

 故郷のために、立ち上がってくれている人たちが大勢いる。
 今は確かに辛い状況、二次災害の恐れもある予断の許さない事態が続くが、必ずや立ち直って世界に恩を倍返しする日が来ることを心から願う。

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ばあちゃん、さようなら

 先週末(4/22-24)、実家・いわきに帰った。祖母が老衰で他界し、通夜・告別式に出なければならなかった。
 祖母は数え年で100歳(満98歳8ヶ月、大正元年生まれ)であった。
 時期が時期なので、叔母や母は、もう少しがんばってほしいと願っていたが、その願いは叶わなかった。
 だが、かえってよかったのではないかと思っている。普通なら、亡くなったらすみやかに通夜・告別式の日程が組まれるはずだったが、祖母の場合は、そうはならなかった。
 月曜日に亡くなったが、通夜・火葬は土曜日、告別式は日曜日だった。そのぶん、家族は祖母と最期の時間を長くとることができ、貴重な思い出をふり返ることができたからだ。棺には、親戚皆の間では周知の事実である、祖母の大好物のスイカが一緒に入れられた。
 このような時期なので、通夜・告別式は、内々に家族葬という形式で行った(家族以外で参集してくださったのは、祖母が人生の最期を過ごした特養施設の職員の方々ぐらいであった)。しかし、おかげで、久々に親戚の方たちともゆっくりと話す時間がもて、和やかな雰囲気で祖母を送ることができた。


 祖母は「靖国の妻」であった。祖父は戦争末期・1945年の7月下旬に、パラオで戦死した。
 小卒の学歴しかもたない祖母は、年端のいかない二人の娘(叔母と母)とともに、戦後の厳しい時期を乗り越えなければならなかった。
 そんな状況下でも、祖母は二人の娘に地元の進学校、そして、四年制大学卒業という学歴を与えた。二人の娘は、教育学部を卒業して、ともに地元いわきの学校教員を定年まで勤め上げた。

 これは、いまも不思議に思うところである。つまり、小卒で田舎育ちの祖母が、女子の「学歴」というものに理解を示していたという事実に対してだ。
 叔母と母が大学に入学した頃は、現在と違ってまだ大学進学率自体が低く、「女子学生」に対する社会の偏見(「女子学生亡国論」など)も根強く存在した時期のはずだ。
 また、祖母は孫が誕生してからは、そのすべての孫(従兄弟二人と私)の子育てに関わった。その孫たちも皆、大学を卒業している。
 こう述べると、いかにも祖母が、子育て・家庭教育に長けていたと思われるかもしれない。だが、おそらく娘や(自分を含めた)孫たちの誰一人として、祖母が特別なスキルを持っていたとは思っていない(もしかしたら、「土着の教育学」とでも呼ぶべき、特別な技術を発揮していたのかもしれない)。むしろ、怒られてばかりでいやな記憶のほうが多いくらいだろう。
 もし、他所より高く評価できる部分があるとすれば、現在はほとんど世間から失われてしまった、着物づくり(裁縫)や着付け、漬物をつくるなどといった生活上の技術に長けていたというところか。
 だが、何よりも、「いつも家に帰ればそこにいた」という安心感を家族に与えていたこと=存在そのものが、祖母が果たした役割だったといえるのだろう。 
 大正-昭和と激動の時代を生き抜いた人間の放つ存在感によって、家族(後の世代)が救われてきたこともあったはずだ。 

 死ぬ間際まで激動の状況(震災・原発事故)とあって、祖母の人生は最期まで苦労の連続だったとしか言い様がない。
 せめて、彼の岸では安らかな日々を過ごしてほしい。
 

 ばあちゃん、さようなら。しばらくぶりに逢えたおじいさんと天国で仲良く―。

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1970年代からの提言

■伊東光晴『君たちの生きる社会』(ちくま少年図書館39、1978年、pp.48-54)より。


自分の国にある資源をもっと利用しよう
 原子力がだめだ。それではいったい日本はどうしたらいいのだという質問がでるでしょう。そうです。しかし考え方によっては、頭を働かせればまだまだエネルギーをつくりだす方法というのはいろいろあるのです。
 電力だけをみても、現在、水力発電所の技術は、かなり進みました。そして四メートルの落差だけでも発電所をつくることができるようになったのです。この技術は、フランスを中心に発展しました。
 日本でも、すこしずつ、低落差でも発電できる技術が進んでいます。静岡県天竜市〔現・浜松市天竜区-引用者注〕にある船明ダムによる三万二千キロワットの発電所の構造は、まだ十メートル落差ぐらいですが、この低落差発電所のものとおなじです。
 こういう低落差発電所が進歩するならば、いままで発電予定地と考えられなかったところが、にわかに発電可能地になります。大都市の近辺にも、そういう発電所ができます。こうしたものをたくさんつくりだすならば、電力の不足にある程度対処することだってできるのです。
 どのくらい、わが国は水力発電をおこすことができるか―これを包蔵水力といいますが、昭和十二年から十六年の調査までは、最大約二千万キロワットの電力をおこすことができると報告されています。だが、昭和四十八年になると、これが二倍以上の約五千万キロワットになりました。日本列島に降る雨の量がかわったわけではありません。開発する技術が進んだためです。…(中略)…資源とは、天然のままのものだけではなく、人間の知恵がこれに加わったものなのです。人間の知恵、人間の努力、これあるがゆえに、石炭も石油も枯渇しなかったのです。資源問題を考えるとき忘れてならないことは、このことなのです。
 …(中略)…
 このようにヨーロッパの科学技術の発展は、すべて、自分の国にある資源を利用して必要なものをつくりだそうと努力したことによります。日本の場合はどうでしょうか。いままでは外国から技術を学んできました。でもその技術は、外国にある資源を外国が利用しようとして研究開発されたものですから、かならずしも日本にすぐにあてはまるものではありません。これからの私たちの学問は、日本にある資源で、日本に不足しているものをつくりだそうという方向に力を入れなければならないのではないでしょうか。そうでないかぎり、石油がないから、こんどは原子力―こういう考え方になり、いずれの資源も日本にないにもかかわらず、なにか、原子力にすると日本のエネルギーの問題は解決するかのように思いこんだりする誤ちをおかしています。

原子力発電は、ムダが多いしとても高い
 原子力が日本のエネルギー問題を解決するのは、もっともっと遠いのちの話し、もっともっと技術が進まなければだめなのです。
 現在、多くの原子力発電所が故障つづきです。…(中略)…こんな不十分な技術なのにつくるのですから、経済的には高くつくエネルギーをつくることになり、そしてまた、公害をまきちらすということになりかねないのです。
 もし、原子力発電所が四十%しか稼働しないとすると、火力発電にくらべ、一キロワットあたりの電力の値段は五十八%も高くなってしまいます。ですから、原子力発電は安い電力をつくるという予想は、現在までのところ、まったく反対です。水力発電所はコストがかかり、高い電力になるといわれながら、まえに書いた船明ダムは、一キロワットあたり八円強の電力を供給しています(1977年)。1977年につくりだす原子力発電所、東京電力の広野一号、二号(合計百二十万キロワット)の電気は七十%稼働で、一キロワットあたり、十一円五十一銭と予定されているのです。
 しかもほんとうの計算をすると、原子力発電所からの電力はもっと高いのです。稼働率が七十%にたっしないからだけではありません。たとえ七十%でも、―です。なぜかといえば、原子力発電所は動き出したならば、とめたり、動かしたりすることができません。昼、電力がいる。そのとき発電する。夜、電力がいらない。その時はとめる。そういうことはできないのです。いったん動きだしたならば、途中でとめるということはむずかしいのです。
 そこで、夜つくりだすムダな電気を使って水を高いところにあげ、たくわえて、昼、電力の需要がふえてくると、その水を落として水力発電をするという揚水式発電所と組み合わせなければなりません。ですから、百万キロワットの原子力発電所といっても、じつは補助の機械として、水力発電所として、揚水発電所をつくらなければならないのです。ところが、原子力発電所でつくった電気で水をあげ、その水を落として電気をつくるとすると、その間にたいへんなエネルギーのムダが出てきます。ですから百万キロワットの原子力発電所といっても、この揚水式発電所をいっしょに計算の中に入れると、発電の能力は八十万キロワットあるかなしかということになってきます。しかも、百万キロワットの原子力発電所というのが二千億円でできたとしても、そのほかに揚水式発電所をつくるために、一千五百億ものお金がかかるのです。それを計算に入れて原子力発電所の発電コストを考えると、もっと高い値段になってしまいます。

おどろかされたら、考えよう 
 問題はまだあります。都市のごみを焼いたとき、その廃熱を利用して電気をおこす―そういう場合には、一キロワット四円ぐらいでしか電気会社は電気を買わないのです。原子力発電所は費用がかかるから、八円で買い、都市の焼却場の熱の有効利用である電気は四円でしか買わない。こんなバカなことがありますか。もし、都市のごみ焼き場の電気をもっと高い値段で買ったならば、こうした設備はたくさんでき、アメリカの物理学者が警告したように、資源の効率的な利用をはかる社会ができるはずなのです。そういう点では、私たちは原子力が未来の技術だと宣伝されているばかりに、なにか肝心なことを忘れているのではないでしょうか。
 私たちはおどろかされたり、待てよと思って、ものごとを深く見きわめていくことが必要なのです。


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はえーなー

 今日から、秋期の授業開始である。早いなぁ。もう9月も半ばを過ぎたというのに、まだ猛暑は終わらない。自分のモチベーションが超低空飛行状態なのだから、学生のやる気のほどは推して知るべし。

  自分の授業は、明日からだ。秋期も大人数の授業が続く。
 授業開始を前に少しでもモチベーションをあげるべく、春期の「教育原理」の授業で学生が書いた感想をふり返ってみる。実にいろいろな感想をもらったわけだが、その中でもうれしかったやつを。

 タカキ先生の授業は、今受けているのを合わせると三つ目になりますが、本当におもしろいです。まず、導入部で学生の興味・関心をひくようなものを提示し、それと関連させ、授業を行っていくスタイルはとても勉強になります。また、クイズに正解した学生に、褒賞を与える(あまり良い方のでないのが逆に良い)といたことでも、クラスの雰囲気を良くしたり、盛り上げてくださるのが、とてもうれしいです。口では厳しいことを言うこともありますが、本当に学生のことを考えてくれる優しい先生だということも伝わってます。ありがとうございました。(法学部・Aさん)

  自分が取っていた授業の中でも佐藤先生の授業は厳しいといいますか、冷酷な感じがしますが一番得るものが多かった授業のように思えます。先生の頭の良さが伝わってきました。今回は、僕の勉強不足、プリント忘れという怠慢により単位を落とすとは思いますが、次の佐藤先生の『教育原理』また『道徳の指導法』は、キチンと勉強したいと思っていますのでよろしくお願いします。(日本文化学科・Tさん)

 「厳しい」「怖い」という意見を書く学生が多いのだけど、どのあたりが? 
  確かに、欠席や私語についてはきっちり対応するようにはしているけど、べつに怒鳴っているわけではない(そんなことは一度もしていない)。それだけで「怖い」というのなら、他の先生は、いったいどういう授業評価を得ているのだろうか。
  このあたりはすごく不思議に思っているところだ。

 一番うれしかったのは、以下の感想。

 佐藤先生の「教育原理」は終始、“講義”というより“授業”でした。
  この大勢の履修者を相手に、深く考えさせる授業を展開していくのは本当に大変なことだと思うし、尊敬します。また、ビデオを見た授業の後に、ちゃんと解説を付けてくれたところもとても記憶に残っています。大体の授業がビデオを見て、感想を書いて、それで終わりなので、解説がついたことですんなりと理解することができました。……これからも先生がおすすめしている本などを参考に勉強していきたいです。(心理学科・Uさん)

 “「講義」ではなく、「授業」を―”。これは、自分が強く心がけていることだ。その意図をくみ取ってくれた学生がいたのは、うれしい。努力している甲斐があるというものである。
 おそらく、先の「怖い」というのもこのあたりに関わっているのだろう。自分の場合は、毎時間学生を指名して発言させたり、もしくは自分のほうから寄っていってマイクを向けたりしている。そのため毎時間ドキドキする、といったことを書いた学生は何人かいる。でも、そういった緊張感と双方向性がなければ、多くの学生は寝てしまうだろう。

 あと、こんな意見も。

 私がこの授業を受けてまず最初に思った事は佐藤先生の年の若さです。大学の先生と言うと、私の中の勝手なイメージで、おじいさんもしくはおじいさんに近い先生なんだろうなと想像していました。(教育学科・Iさん)

 まあ、たしかに大学教員の平均年齢は、高校までの教育機関より高いだろうけど(笑)
  これらを読み、今の大学生が持つ、もしくは望んでいる大学教師像ってどんなものなのだろうと、ちょっと調べてみたいという気になった。

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春麗ら

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東京も桜が見頃。

勤務校の一風景から。

それにしても早いなぁ。もう今日から授業が始まってしまうぅ。

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忙殺のシーズンを終えて~授業の反省~

 自分に課せられた校務(成績評価、入試監督)も一区切りし、何とか赴任一年目を乗り越えられた気分である。
1月~2月は大学教員にとって超多忙な時期であることは、学生時代からよく知っていた。状況はどの大学でもあまり変わらないようだ。
 一区切りついたことの安心感~少々燃え尽きた感もあるが、そうだらだらしてもいられない。
まだ書かなければならない原稿があるし、新年度入学生の(入学前)課題レポートも読まなければならない。
在学生のインターン実習日誌を読む作業も残っている。教員志望学生の指導もある。
 さらに来年度は、(まだ2年目なのに)たいそうな委員会に入ることも予定されていて、今年以上に大変になりそうな予感。
  今のうちに、少しでも貯金(教材の準備など)をしておきたい(が、結局しないんだろうなぁ)。
 
  ■  □  ■
 
  今年度、自分の担当した授業は、ほとんどが100~200名の大教室での授業だった。毎度毎度、精神的・肉体的疲労が溜まった。
  「教育原理」「道徳の指導法」といった、昔から人気のない二大科目も担当した。学生の保護者の中には当然、学校教員の方もいるため、「親から教育原理はつまらないと聞いていた」などという情報を事前に仕入れている学生もいる。自分には最初から分が悪いというわけだ。
 それでも、熱心な学生たちからは「どんなことを学ぶのか疑問だったが、とてもおもしろかった」という感想をもらえた。
 とにかく、一方的な伝達にはならないように机間を歩き回っては積極的に発問し(来年度は万歩計を身につけて授業しようか)、毎回コメントを書かせるなど私語・居眠りする暇を与えないように注意し、教育の最新事情についても十分にふまえた授業を心がけた。

 それでも、やはり「講義」になってしまった感がぬぐえない(残念ながら、今の大学では、「講義」は学生に対して効果を及ぼさないし、学生も受け身の姿勢を望んでいない。「講義」を捨て、「授業」をしなければならない)。
 とくに日本教育史の授業ではそうなった。この授業も200名近くの学生が押し寄せたため、授業の準備にはかなり苦労した。これだけの人数での「教育史」授業など学生時代には経験したことはないし、そもそも「講義」と少人数の「演習」のイメージしか、自分の頭にはない。大人数・大教室という制約下で、いったい、どんな発問・指示や授業活動がありうるのか。
  映像・図像資料をふんだんに用いた授業を展開したのだが、その結果、最後の授業で書いてもらった学生の感想(「どの授業がもっとも印象に残っているか」、「もっと知りたいと思った事柄はなにか」)では、ビデオを見せた授業にほぼ全回答が集中した(4本ほどVTRをみせたが、「明治教科書疑獄事件」が意外に高評価、そのほか鈴木三重吉の『赤い鳥』-「童謡誕生物語」、など)。「もっと、そういう授業を増やしてほしい」と。
 そのテの反応が来ることは十分予想していたので映像資料を多用したわけだけど、そうなると、内容をある程度絞らなければならない(ビデオをみるとそのぶん時間がかかるし、内容についての解説などもしないと授業にはならない)。
  当初、この授業では戦後・現代までを授業計画に組み込んでいたのだけど、結局、今年度は戦後初期までしか教えられなかった。

  スコープとシーケンスへの視点。この見通しが、今年は甘かった。
自分が知っている教育史の枠組みがモザイク的だ(明治-教育政策史、大正-教育実践史、運動史、昭和-ファシズム教育史)というのも頭を悩ませた。
 どのような問題認識(テーマ)を設定すると、学生は歴史に入りこみやすくなるか。
それをふまえながら、来年は授業を計画する必要がある。
 加えて、学生に史料解読などの作業に挑戦させるなど、授業に主体的に参加できる仕組みについても考える必要があるな。

 まぁ要するに、“FDがどれだけ重要か”ということを思い知った1年だったわけで…。

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どんな本をお薦めするか

 明けましておめでとうございます。本年もこのブログともども、よろしくお願いします。

    ◇

 今年の仕事はじめ=授業再開は、1月4日から。「官公庁の仕事初めじゃないんだから」と、思わずツッコミを入れたくなる。
 でも、意外に学生たちはきちんと一限から大学に来るのだから、そういう意味では真面目だ。

 いつものように研究室に行き、PCを立ち上げる。
新年早々、大学のメルアドに入っていたのは、教務委員の先生からの、“本学学生の手助けとなる推薦図書リスト作成のお願い”についてのメールだった。
 一人10冊をめどに、「5冊は、先生のご専門の領域や教育関連から読ませたい本のベスト5を……教育学演習や卒業研究を受けるような3~4年次学生に読んでほしいもの」「もう5冊は、先生のご専門にかかわらず読ませたい本……教育に関する本はもちろんのこと、それ以外のジャンルのものでも」という内容である。 
 今年、2010年は「国民読書年」だ。国民の読書離れを憂えてか、読書推進に向けた取り組みが、国家規模で展開されようとしている。本学でも、ということなのだろうか。でも、上記のような取り組みはあってよいと思う。各先生の読書・研究の志向性を知るのは、自分も楽しいから。

 本学教育学科の学生の読書量を調べた調査がある(→コチラ[PDF])。それによると、たしかに読書量は低い。
 1冊も読まない学生が3割を超え、しかも、「第一志望andAO入試で入学してきた学生ほど、本を読まない」という調査結果が得られている。
 このような現状をふまえて、今年度(昨年)、自分が担当した1、2年次学生の授業では、とにかく本を読ませる授業を実践した。
その一つの試みは、POPを書かせるというもの。
 本学にも書籍部(ブックセンター)はあるのだが、前にいた大学と比較すると、売り場スペースはそれなりにあるのに、ほとんど教科書の在庫置き場のようになっていて、魅力を感じることができない。前の大学にいたときは、1日一度は書籍部に行き、気になる本を物色するのが日課だったが、本学のブックセンターではそれを楽しむことができない。
 しかも、この現状でよい(どうせ学生は教科書以外は買わない)、という雰囲気がある。
 「これではいかん」と思い立ち、実践したのが「POPを書く」という授業だった。本学は生協に加盟していないので「読書マラソン」なども行われていないのだけど、何とか少しでも、読書へのモチベーションを高めたかった。
 学生が書いたPOPはブックセンターに置いてもらっている(写真を参照)。学生の成果が目に見えるようにした。
 そして、POPを書いてもらった本は、それなりに売れているとのこと。どうです、ちゃんと売り上げにも貢献しているでしょ。 
 
 さて、先生方、学生にどんな本をお薦めしますか?
 自分は、『君たちはどう生きるか』、『窓ぎわのトットちゃん』は外せない。でも、後は何を入れようか。特に専門分野に関しては悩ましい……。

Pop

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そうか、もうあと1ヶ月で今年も終わるのか

  しばらく更新することができずにいた。何しろ、忙しい。
 今年もあと1ヶ月というところまで来てしまった。そう考えると怒濤の1年だった……と、今年を総括するには早いか。

 先週は久しぶりに仙台へ。といっても科研の研究会だ(「事業仕分け」の影響で、この科研も来年は予算が削られたりするのだろうか)。やっぱりこちら(東京)と比べると寒い。
 それでも、久々にあの11階からみる景色はきれいだった。

 しかし、「次回は報告」というお土産ももらってしまった。まあ、予想してたけど。正月も落ち着いて休めないなぁ(遠い目……)。

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